人間と木


ぱらぱらと光の降り注ぐ涼やかな森で男は目を覚まし、しばし考え込んだ。
男は此処を知らない。そして、意識を失う前の事が何一つ思い出せない。
ついさっきやっと生まれ落ちたかの様だった。
けれど男は確かに、竹谷八左ヱ門という己の名を覚えていた。

時折木々の隙間から獣が覗く陽気な森の道は全く方向感覚が掴めず、竹谷は手探りで進むしかなかった。
やがて開けた空間に出てきょろきょろと辺りを見回せば、人間がちらほら木の椅子に座ってなごやかに談笑している。
声をかけてみれば気さくに応えた。竹谷はその人間達の輪に入り談笑を始める。

どれくらいの時が経っただろう。竹谷は少しずつだが違和感を感じていた。
もうとっくに喉が渇いていても、腹が空いていても良い頃合なのだ。
彼らが口に物を含んでいる姿を見かけた事がない。
この人間達は、飲食をしていない。
そんな彼らと会話をしている事で自然と何も口にしていない竹谷だったが、限界だった。
泉の水を飲んだ。ウサギを狩って肉を焼いて食べた。

人間達は、有り得ない、と言いたそうな目で竹谷を見る。
人懐っこい笑顔で焼いた肉を勧める竹谷を気まずそうに無視した。
竹谷は思った。ああこいつらは人間ではなかったと。

それからも竹谷は其処でその人間達と暮らしていた。
会話はしなかった。話しかける事もなかったし、話しかけられる事もなかったのだ。
泉の水を飲んだ。川で魚を釣って焼いて食べた。
人間達は魚肉を頬張る竹谷に言う。それは害なのだと。害でしかないのだと。
そう告げる彼らはどんどん痩せ細っているように見えた。
これは彼らにとって必要な行為の筈なのだ。

数日経ったある日、ぱたりと、一人の男が飢えて倒れた。
彼の生死を見届けた竹谷は思った。あまりにも短い一生だと。
しかしそれは彼らが望んだ一生だ。
泉の水を飲んだ。鹿を狩って肉を焼いて食べた。
俺は生きている。

獲物の皮や骨の処理をし終え藪の中を進んでいると、倒れている少年を見つけた。
竹谷が驚いて少年に近づくと、少年はぱちりとまるっこい目を開いて飛び起きる。
視線を彷徨わせてからたった一言、ここは何処なのかと、尋ねてきた。

少年は泉の水を飲んだ。獣の肉を食べた。それはそれは美味しそうに。
竹谷は嬉しくなって、少年をいつも傍に置いてことあるごとに話しかけた。
他の住民達からの視線は一切気にならない。竹谷は自分にとっての人間と一緒に居られて幸せだった。

しかし、けれど。
少年の食は段々と細くなっていった。
いつしか水しか飲まなくなり、水さえ飲まなくなっていった。
竹谷は思った。この子も人間ではなくなってしまったと。
泉の水を飲んだ。狸を狩って肉を焼いて食べた。
誰かと二人で食事をとる事が出来たのはたった数日だった。

ぱたりぱたりと人は死に、また別の人間が現れる。ただただ繰り返されている。
その毎日で肉を噛み続けているのは竹谷だけだった。
なにげなく転がった死体を眺めていると、少年のものがあることに気がつく。
ひどい臭いのするそれに近づいて手を取り、握ってみれば、折れてしまいそうなほど脆く感じた。

そして、背筋がぞくりと震えた。やっと竹谷は知ったのだ。
きっと彼らは木々になりたかった。
清々しく空へ伸び、青い葉をこぼれんばかりにたずさえた、木々になりたかった。
木は肉を食べない。彼らは確かに肉を食べなかった。何も食べなかった。
そう、確かに、今の彼らの身体は、木の姿をしている。

竹谷は思った。
なんだ、こいつらちゃんと、生き物だった、と。

ついに木になれたのだから、水をやらなければならない。
とっくに動かない彼らを一人ずつ丁寧に湖に沈める竹谷は、慈しむようで、優しく、暖かかった。

竹谷は今日も肉を焼く。



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