祈り染め
ぱたしゃん、ぱたしゃん。
軽やかで澄んだ音が聞こえた。
ぱたしゃん。
音は小さく、ただ静かに響いている。それと、鼻をつく独特の香り。
なにやら覚えがあって目をあけてみれば、枕のすぐ横に置かれた盥と、その中に伸びる白い腕を見留められた。
腕の主はよく見知った顔で、僕はつい、「タカ丸さん」と名を呼んだ。
俯いて盥の中を見つめていた彼はこちらを向くと、「伊助くん」といつもの柔らかい笑みをみせてくれた。
そして「まだ、僕には、難しかったみたい」と残念そうにぽつりと言うと、障子を開けて外へ出ていってしまう。
なんとなく呼び止めることができずにいた僕は、おもむろにむくりと起き上がって盥の中を覗きこんだ。
おそらく染料であろう。綺麗な菜の花色と空色とが、にゅるにゅるとひろがって、所々まざりあっていた。
そしてその色の海の中に、ぽんと落とされている小さな布切れ。
指でつまんで掬い上げてみると、未だ染めが足りないようだったので、再度海に沈めて揺らめかせた。
ぱたしゃん、ぱたしゃん。
盥の中に手を突っ込んだまま、しばらくぼんやりと座り込んでいると、からりと障子が開いた。
「伊助くんっ、ただいまぁ」
「……お帰りなさい、タカ丸さん!」
血や泥ですっかり汚れてしまっている制服を身に纏い、部屋に入ってもいいものか迷っている様子だったから、ちょちょいと手招きをしてみせた。
すると申し訳なさそうに、それでいて嬉しそうに僕の方へ駆け寄ってくる。
頬に涙の跡があったけれど、見てないフリをした。
「心配しました、何日帰って来なかったんですか」
「何日だっけ、うう、ごめんね、頑張ってきたよ……」
「はい、お疲れさまです」
撫でるか抱きしめるかしようと思い立った時に、自分の両手が染料まみれな事にはたと気付く。
タカ丸さんも気付いたようで、不思議そうに「どうしたの、それ?」と問いかけてきた。
「染めて、いたんです」
足元の盥を指さして、なんだかおかしくてふふふとわらう。
タカ丸さんは更に不思議そうにしたものの、「そっか、出来上がるの楽しみだねー」と一緒にわらってくれた。
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みずの音っていいですよね。