蜆蝶売りの竹谷さん


ざっ、ざっ、ざっ。
草履が乾いた地面を踏みしめる音が男の足元から淡々と鳴り出していて、それ以外に聞こえるのは、ひゅううと響く風の音だけだった。
陽射しがあたたかいけれど、風が涼しい。丁度心地よい気候のように思えた。

少し先に見えていた案内板の元へ辿り着いたけれど其処には何も書いておらず、男は小首を傾げ少し考えてから左へ進む。
暫く歩いている内に木々が増えてゆき、やがて林に入ったのだと男は気づいた。

すると、向こうから二人の子供が駆けてくる。
子供はきゃいきゃいと楽しそうにはしゃいでいて、その容姿は鏡写しのように全く同じものであった。
笑いながら何やら会話をしている。

「もう帰らなきゃ」

「帰らなきゃ」

「……?」

男ははてと不思議そうに子供を見つめるが、子供はこちらをちらりとも見ることは無い。

「竹谷さんが来る時間だよ」

「日が沈む、日が沈む」

「ねえ君達、竹谷さんって?」

子供がすれ違い通り過ぎてしまいそうになって、男は少々慌てた様子で声をかけた。
二人の子供は同時にぴたりと止まって振り返り、ただただ愛らしく微笑む。
その顔はやはり、鏡写しのように全く同じものであった。

「蜆売りの竹谷さん」

「蝶売りの竹谷さん」

それらを呟いてから、子供はおかしそうにくすくすと小さく笑って、それから。

「蜆蝶売りの竹谷さん」

ふたつの声がぴったりとくっついて、男の耳の中に浸入してきたようだった。

「お代は小銭一枚」

「綺麗な花束でもよい」

「君の瞳でもよい」

「子供一人でもよい」

催眠術のように繰り返し繰り返し、何やらよくわからない言葉を紡ぎ続けた後、もういちど二人でくすくすと笑って、駆けて行ってしまった。
今度は一切声はかけずにその背中を見守り、男はくるりと向き直って道を進んでいく。

遠くから、声がする。

やわらかくおぞましくたけだけしくやさしい声。

何かを叫んでいる。

その声の主の姿は、思ったより案外早く見留める事が出来た。

「蜆蝶は、いらんかねえ」

ばさばさと雑に伸びた髪を下の方で適当に括り、大きな笠を被っていて、着物の袖は肩までまくり、それはそれは大きな虫籠を背負った長身の男だ。
親しみを感じる愛らしいけれど男性らしい笑顔をその面にぺったりと貼り付けて、同じ様な言葉を叫び続ける。

「蜆蝶は、いらんかねえ。かわいいかわいい蜆蝶、いらんかねえ。……お」

こちらに気づいたその商人は、嬉しそうに手を振ってきた。

「其処の兄さん、蜆蝶はいらんかねえ」

「蜆蝶?」

「お前さんも、幼い頃に捕まえた事があるだろう。春の野原を自由に飛び回るこのこ達をさ。」

商人は背の虫籠を男に向ける。
中には淡い色の羽をした小さな蝶々が五、六匹ほど飛び回っていた。

「かわいいだろう」

「かわいいけれど」

「一匹いらんかねえ」

「銭を持っていない」

それだけ告げると男は「それじゃあ、」と言いかけ、しかし後ろから子供が近寄って来ているのに気づいてそちらを向いてしまった。

「蜆蝶売りの竹谷さん」

「はい、坊ちゃん、いつも有難う」

「今日のお代は、これでいい?」

黒く艶めいた、柔らかそうな髪をした子供は、まるくて赤らんだほっぺたを緩ませる。
商人に差し出す手の平の上には、綺麗な綺麗な石ころが三つほど乗っかっていた。

「充分だ!」

商人はその手の平の上から石を二つだけ取って、腰に携えた布袋に仕舞い込んだ。
子供の手が小さい所為だろうか、商人の手は何だかとても大きく見えた。

「毎度あり」

商人は虫籠を地面に下ろすと小さな扉を開けてそうっと一匹の蜆蝶を取り出した。
それに丁寧に細い紐を括りつけて、もう既に嬉しそうな顔をした子供に渡してやる。

「竹谷さん有難う」

子供が元来た道を引き返そうとした所で、男は商人から離れその子供に声をかけた。

「ねえ君」

「なあに?」

「その蜆蝶、どうするんだい?いつも買っているのかい?」

「うん、竹谷さんが来る時間になると、買いに来るよ」

子供は素朴にはにかむ。
そして、次の一言は、少し声を潜めて教えてくれた。

「餡子に入れると、おいしいんだ」

それだけ言うと子供はさっさと駆けて行ってしまい、男と商人だけが林に残る。
もうすっかり辺りは暗くなってしまっていた。

「兄さんは、いらない?」

商人は虫籠を背負い直そうか直すまいか困っている様子だった。
男は商人をじっと見つめてから、視線を落として、自分の腰に巻きつけた布袋に手を突っ込む。
何かを取り出したようで、きゅっと握り締めた拳を、商人に差し出した。
商人は妙な顔をしながら片手の平をそのすぐ下に据える。

「これはお代になるかな」

ぱっと手を広げると、商人の手の平にぽとぽとと一匹の蜘蛛が落ちた。

すると、どういう事だろう。

商人は「ぎゃ」と短く低い声をあげてから、焦った様子でその蜘蛛を投げ捨て、男に掴みかかろうとした。
男は目を見開いて驚いた後、固く目を瞑る。

何の感触も無くなって、おかしいなと目を開けると、男はひんやりとした大きな石の上に寝転がっていた。
むくりと起き上がり、おもむろに腰に巻きつけた布袋に手を突っ込むと、其処には何も入ってはいなかった。
もしかしたら、最初から、何も入ってはいなかったのかもしれない。

ただ男の指には、きらりと光を反射する、蝶々の鱗粉の様なものがくっついていた。

男はそれを裾で軽く拭って、石から降り、何処へ続くのかもわからない道を歩き出し始めた。




全員五年生です。竹谷さんかっこいい!



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