リビングにある赤いソファではもちろん、どこにいたって、いつでも左隣を空けてくれている彼は、今日もベッドの端っこに座って、真剣に読書をしている模様。
数週間ぶりに帰ってきたエルと久しぶりに一緒に寝られるこんな日の私は、ウルトラポジティブ野郎ですから。その左側のスペースが、まるで「おいで」って言ってくれてるような気がしてそれだけで嬉しくなっちゃうんだ。
「エル、髪乾いた!」
「はい。よかったですね」
彼の隣に座って、さりげなく、さりげなくとタイミングを見計らおうとしていつもそれは失敗に終わる。普通に足を下ろして座ってくれてたらそこから膝枕なんて楽勝で持ち込めるのだけど、彼のこの推理力の水準を保つためだという変な座り方ではなかなか難しい。結局私は、あからさまなアクションを起こす他なくなってしまうの。
「ねえねえ」
「はい」
隣からじいっと見つめてみても、外国語で書いてある難しそうなその本がよっぽど面白いのか、今日はちっともこっちを見てはくれない。 「ねえねえ、エル」としつこく呼び続けると、気の無い返事をしながらやっと目線を合わせてくれたエルが、黙りこんだ私を見て、気付いたようにキスをしてくれた。
「ふふ、エルってちょろいもんだな」
ちょっかいを出して強請ったのは私だけど、実際こんな風に願い通りの可愛いキスをしてもらうと、嬉しくて照れくさくって笑ってしまう。思わず彼を煽るようなことを言ってしまうのも、ほんとはもっともっとたくさんして欲しいから。
「じゃあもうしません」
「わー!嘘うそ、もっとして!」
「ニヤニヤ笑ってる人にはできません」
「にやにや!」
不用意な言葉のせいで意地悪スイッチが入ってしまったエルは、もう思い通りにはならないかなあ、と諦めた私は、エルの白い頬っぺたを両手で包んで自分から顔を近づける。 すると、もうしません、なんて言ってたくせにまるで迎えにきたように顔を傾けたエルが、何度も何度も音を立てて、柔らかくて温かいキスをしてくれた。さっきよりもずっと長い時間をかけて確かめるように触れてた唇が離れると、たちまち私は顔が緩んでしまう。 ニヤニヤしないように必死で口元に力を入れるのに、ああ、だめだ。こんなのしあわせすぎて、笑わずにはいられないよ!
「えへへ、エル、好き」
「笑いながら言われても」
呆れたように眉毛を顰めたエルが、私の頬っぺたを両手で摘んで引っ張る。 痛い痛い、と悲鳴を上げながらもニヤニヤが止まらない私を見た彼が「病気ですか」とちょっと引いたみたいな表情を浮かべたこの瞬間が、チャンスだ。
すかさず首元に全力で飛びついて、体重を掛ける。 そのまま後ろに倒れてしまったエルの上に乗っかって、その胸に顔を埋めてしまえばこっちのもんだ。数週間の「会いたい」と欲求不満が合わさった私の愛をなめんなよ!
「深刻な笑い病かも。優しくしてね」
「うつると困るので離れてもらえますか」
「ひどいなあ。うつっちゃえ」
顔を上げると、めんどくさそうな表情を作ったエルが、あなたの相手なんかしませんけど?みたいな態度でこっちを見ている。この期に及んでなかなか手ごわい恋人だ。 エルには絶対的に笑顔が足りないんだから、私の笑い病をうつされてしかるべきだ! そう思って、抱き付いていっぱいチューでもしてやろうと身体を起こしかけたその時、下にあった彼の身体が動いて、バランスを崩した私はそのまま仰向けにごろんと転がってしまった。
「あまりに嬉しそうで楽しそうなので。いじめたくなってしまいます」
気がつけば、大好きな大きな手に捕まって、逃げられないように顔の横で拘束されて、形勢逆転。きっと私がこれを望んでたことも、この名探偵にはお見通しなんだろうけど。
「いいよ、いじめられてあげる」
「危ない発言ですね」
「会いたかったんだもん。エルの好きなこと、何だってしたいよ」
突然正面になってしまった天井の光が眩しくて目が眩むのに負けないくらい、同じシャンプーの匂いがするエルの温度が嬉しくて、しあわせで、くらくらしてる。 会えない間に考えてた、ずっとずっと言いたかった殺し文句ですから。こんな風に驚いて目を見開いたエルが、困ったように笑ってくれるこの顔を見るのが、楽しみで楽しみで楽しみで、仕方なかったんだよ。
さあさあ、どんな私がご所望ですか。 丸い目を輝かせてそう言った彼女に、私は何を、どう伝えるべきかを考えあぐねていた。
「嫌がったほうが燃える?」
「さあ、どうでしょう」
「よし、嫌がろうか!」
「楽しそうな提案ですけど、演技は無用です。あなたが本当に嫌がるまでやればいいだけの話なので」
「何だそれ、こわいね?」
可哀想に。身体の下に組み敷いたへらへらと笑う恋人には学習能力がない。私が彼女の嫌がることをするはずがないと信じ切っている。過去にどんな目に遭っていても、その思い出は彼女の中では美しく残ってしまうようだ。
残念ながら、私は彼女が思うほど甘くも優しくもないただの男だ。こんな風に全力で嬉しそうに楽しそうにされてしまうと、可愛くて仕方なくて余計に意地悪をしたくなる小学生レベルの幼稚な男なのだ。
いつまで経っても思い知ることのない真っ直ぐな彼女が、うっとりと大きな目を瞬かせているのを確認して、きっと私の表情は笑顔になる。 そして、彼女の枕元に置いてあった照明のリモコンを取り上げ、わざとそれを見せつけてから目の前で遠くに放り投げた。 にこにこと笑いながらその様子を見つめてた彼女の表情が、だんだん混乱し、遂には困ったように歪められるのを見るのが、楽しみで楽しみで楽しみで仕方なかった。
「わー!エル、電気!電気だけは!」
「他にあなたの嫌がることが思いつかないもので」
「お願い、何でもしますから、電気だけは消してください」
「残念です。リモコンはたった今紛失しました」
「そんなあ。恥ずかしいよ…!」
「いいですね、その嫌そうな泣きそうな顔」
ナイス演技です、と揶揄うと、「本気のやつ!」と涙目で訴えてくる彼女の本気は勿論承知の上だ。不用意になんでもする、などと言うものではない。 数週間の「会いたい」と欲求不満が合わさった私の愛をなめないでくださいね。
スイートデビル
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