moment_zzz







目的地の河川敷に辿り着いて空を見上げると、真っ黒な夜に鮮やかな無数の光が弾ける。微かな時間差で、遠くから鈍い音が響いた。


「おお!やってるやってる!」


携帯の時計を確認すると、花火大会が終わるまでは、あと15分。
きっとここからクライマックスだ。
繋いだ手の先にいるエルに、ナイスタイミング!と笑いかけると、視線を受け止めてくれた彼はふらふらとその場に座り込んでしまった。


「あれあれ、どうした?」


立てた両膝に長い腕を引っ掛けて地面を見つめていたエルが大きく息を吐いてから、覗き込んだ私を恨めしげな目で見上げる。


「寝不足で時差ボケの人間が突然全速力で走ればこうなるんですよ…」

「あっ。ごめんごめん、ナイスファイト!」


突然外国から帰って来たエルに靴を脱ぐ間も与えず走り出してしまったことを少し反省しながら、持って来たビニール袋から取り出したラムネを渡す。ついさっきまで冷蔵庫の中で冷えてたとっておきを献上したことで、不機嫌そうな半分の目が、少しだけ優しくなる。

でも、珍しくへろへろのエルは頭の中まで珍しくへろへろだったらしい。受け取ったラムネをすぐに開けてしまったものだから、走ってるうちに散々振り回していたそれは当然勢いよく溢れ出してしまう。その様を呆然と眺めながら嫌そうな表情を浮かべてるエルの横で、私は堪え切れず笑い出してしまった。


「今日はこの町の花火大会なんだよ」

「でしょうね」

「エルと見たいなって思ってたからさ、まさかその夢が叶うなんて!」


ドン、ドンと音を立てながら夜空の隅っこに打ち上げられていく花火。遅れて到着した私たちになんて御構い無しで終盤を迎えた夏のお祭りは、惜しげも無く夜のキャンバスを楽しそうに彩っていく。

気だるそうに頭を上げて空の端っこを眺めるエルの隣に座った私は、同じ場所の光の名残を目で追った。
特等席とは言えない、人もまばらなこの場所からでは、丸い花火も不思議な楕円形。そのうえ小さく半分くらいしか見えなかったけれど、とてもきれいだった。
隣で腰を下ろしたエルが、花火の途切れたほんの数秒、星の烟る空を見たまま、静かな声で言った。


「ちゃんと、間に合う予定だったんですけど」

「え?」

「祭りの日の渋滞をなめてました。2時間押しです」

「…あれ?」


珍しく弱気なエルの発言に違和感を感じながら、不意に気付く。


「知ってたの?花火大会のこと」

「知っていました。あなたが行きたがっていることも」


まさか、バレていたとは。
一緒に花火大会に行きたいなんて、めちゃくちゃ思ってはいたけれど言葉にはしなかったのに。

先の予定が分からない人だから、断られて寂しい気持ちになるくらいなら、当日ギリギリまで勝手にワクワクしていようって決めて内緒にしてた。
それなのに、ダイニングテーブルの上にさり気なくチラシを置いてたくらいで私の願いを見抜いてしまうなんて、さすが名探偵は鋭いね、と感心して見せると「あれのどこがさり気なくですか」と真顔でつっこまれてしまった。

まあ、折り込みチラシをわざわざ開くくらいの可愛い主張はしましたけどね。

だけど、本当に気付いてくれるなんて夢にも思ってなかった私は、その証拠に、こんな特別な日にすっかり寝支度を始めてしまっていて、お風呂上がりのすっぴんに、ほとんどパジャマのルームウェアっていう究極の軽装備だった。自分の残念な姿に今更気付いて、ああ、しまった!と、ちょっとだけ後悔が湧き上がっては来るけれど。

それでも嬉しい。エルが、わたしの願いごとをちゃんと見てくれて、考えてくれたことが、すごく嬉しかった。私でさえすっかり諦めてたその願いごとを叶えるために、頑張って今日、帰って来てくれたんだね。


「結局間に合わなかったんですけどね」

「大丈夫!間に合ってるよ、ほら、きれい!」


一際大きな光の雨が、線を描いて空を落ちていく。
夏の匂いのするこの場所で、無数の黄金色が消えていく様は、魔法みたいに美しかった。

今、エルと私は同じものを見ている。
寝不足と時差ボケの目にも、この瞬間はきっと同じ色で映って心に焼き付いたはずだ。
この空の下で、私は初めてみたいに思い知るの。
大好きな人の隣で見るものは、なんだってきれいなんだね。

ぱらぱらと散らばる光の音を聞きながら頭を傾けると、視線を拾い上げてくれたエルが、背中を丸めて近付いた。
普段、必要以上にくっついたり甘い言葉を囁いてくれるような人ではないのに。それなのに、こうして当たり前みたいに、呼吸するみたいにキスをくれるところが彼の意外な一面なんだろうなって思う。

何度か触れて離れた後、くちびるを舐めるとかすかにラムネの味がした。嬉しくなって笑っていると、横目で目を合わせてくれたエルが、同じように舌を出して、変な顔になる。私はきっと、ビールの味だったから。
なんだか悔しくなって、今度は私から顔を近づけてやると、その瞬間にぱん、と弾けた花火を無視して首を傾けてくれたエルが、ぺろりと私の上唇を舐めて、意地悪そうに笑った。花火の光で、色の白い彼の肌が一瞬照らされる。

こうして私は、もっとエルに夢中になっていくんだ。いくらでも好きになる。こんな素敵なこと、誰にも知られたくないって独り占めしたい気持ちでいっぱいになるの。


あのね、エル。
この河川敷をずっとずっと進んで行くと、花火が正面から見える場所があって、毎年花火大会の日にはたくさんの人が集まって、賑やかな夜になるんだよ。土手沿いの道には屋台が出て、いろんな美味しいものの匂いがして、好きな色のかき氷を食べるよ。みんな楽しそうで、笑っててね。この日のために勇気を出して好きな人を誘った女の子たちは、浴衣を着てお洒落をして、特別な思い出を作るんだよ。

本当の本当は、私も今年買った浴衣を着て、特等席からパノラマに広がる大きな花火を二人で見るのが夢だったの。人混みの中の幸せなカップルと同じように、1年に一度の特別な景色の一部になってみたかった。

でも、そんなのもうどうでもいいや。
だって今、すごく嬉しい。
私のしあわせは今、確かにこの場所にあるんだもん。


「悔やまれます。あなたの浴衣姿を見るチャンスだったのに」

「えっ、それほんと?別に思ってないでしょ」

「失礼な。とりあえず言ってみただけですけど、少しは思ってましたよ」

「まあ、エルはこんなすっぴんでパジャマみたいな服の私が好きなんだもんね?」

「本当にどうかしてますよね」

「あはは、どうかしてますよ」


意地悪そうに口角を上げたエルの表情を見て、楽しい気分になる。
夢みがちな私の理想を平気で越えてくる、夢より素敵な現実を見せてくれるのは、いつだってエルだ。

あんなに見たかった花火を放ったらかしにして目を瞑る私に、今日何度目かのキスをくれたエルの腕を引っ張って引き寄せると、ラムネの瓶が転がって、ビー玉がカラカラと音を立てた。


「もう終わりかなあ」

「かもしれませんね」

「でもなんか、花火がなくても綺麗な空だね」

「同じことを思ってました」


河川敷に座り込んだ蒸し暑い夜。
湿った空気と、土の匂い。
汗ばむ腕に張り付いた草。
溢れたラムネの所為でちょっとべたべたしてる大きな手が、とんでもなく愛おしい。
すっかりぬるくなった缶ビールを持ったすっぴんの私の隣で、時差ボケでへろへろの「間に合わなかった」エルが笑った。

きっと、この先何度も思い出す。
花火の夜に、星が鈍く滲む空に、この土混じりの空気の匂いに、全てに夢を見るよ。
完璧ではないけれど、あなたがくれた最高の夏。














● ● ●




「あ。家に帰ったらガリガリ君が待ってるよ!」

「誰ですかそれは」

「あれっ知らない?ガリガリ君」

「私が不在の間に、よりによって、そんなふざけた名前の男を」

「あはは、ごめん。毎日連れ込んでる」





パーフェクト・サマー






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