moment_zzz







珍しくエルに仕事に関する頼みごとをされた私は、「手が空いた時でいいので」と添えられたにも関わらず、彼の差し出す紙切れをひったくるように奪って書庫にしてある部屋へとやって来た。
いつでもいいものを短納期で仕上げる。それが出来る女の条件に違いない!うん、きっとそうだもんね。

任務はいたってシンプルで、依頼人が必要としているファイルを見つけ出し、彼のもとに無事に届ける。それだけだ。
壁を取り囲む本棚に並ぶファイルの数は膨大で、ちょっと心が挫けそうになったけれど、よくよく見てみればきちんとアルファベット順に整列してる。
きっとワタリさんがきちんと整頓しているんだ。
さすがワタリさん。細やかさに隙が無い。
ファッション雑誌に載っている綺麗なモデルさんなんかじゃなくてワタリさんこそが世の中の女子が目指すべき最終形態なんだろうなあ、なんてぼんやり思いながらエルが書いたメモを開くと、そこにはお約束のミミズの文字がにょろにょろ。


「ぎゃ、筆記体!」


私が読めないって知ってるくせに。
これは、あからさまな意地悪だ!
人にものを頼んでおいて何たる仕打ち。

思わず床に向かって投げ捨てた紙切れが、ひらひらと舞って机の下に滑り込んでしまったので、慌てて四つん這いになってその紙切れの行方を追う。
なんとか迷子になる前に回収できた紙切れを握りしめて立ち上がると、ゴン!っという小気味の良い音がしてそれからすぐに後頭部に熱くて鈍い痛みが広がる。


「いったー!」


あーあーもう、何やってんだろ。
まぬけな痛みのおかげでやっと冷静になった私は、エルの走り書きをもう一度見つめて、何とか解読しようと決心をする。
メモは3行で書かれているから、私のミッションはきっと3つのファイルを探すこと。
本棚には、背表紙にタイトルが書かれたファイルが並んでいて、印字されたブロック体が殆どだったけれど稀に手書きの筆記体が紛れ込んでいることに気付いて、希望が出てきた。

いける。ここから照らし合わせて行けば、きっと、そのうち読めるはず。

そんなことをしなくても、ちょっと戻ってエルに「これってなんて読むの?」って聞けば済む話だなんてことは百も承知。
でもこれは、彼に初めて頼まれた仕事のお手伝いだもの。絶対にちゃんと成し遂げて見せる。私の意地とプライドを賭けた闘いなのだ。

探偵のお手伝いなんて、実はちょっと憧れてたし。
それに、ここで有能なところを見せておけば、ワタリさんがいないもしもの時に私にも何かさせてもらえるかもしれない。そうなれば、将来結婚して探偵業を家族経営ですることになった時も安心なはずだもの。(結婚って!)(家族経営って!)(にやにやしちゃう!)


「よし。えっと、なになに…エス?アール?」

「ん?………あれ。なかった…」

「あ!これだ?かもしれない?」








私の意地とプライドはまさに15分の死闘を繰り広げた果てに守られた。
足下に近い低い段の中に、依頼人ご所望の最後のファイルを見つけて、ヨッシャ!とひとりでに声が零れる。長い道のりだったけれど、何とか自力で見つけ出すことが出来て、嬉しい、頑張った、エルに褒めてもらえるかなあ。なんてね、なんてね!

そんな素敵な妄想をしながらタイトに詰め込まれた棚から目当てのファイルを抜き出したとき、パコンと音を立てて何かが落ちた。

無理矢理引き抜いてしまった所為で何か別のファイルを道連れにしてしまったんだと思って慌てて拾おうとした手が反射的に顔の横まで戻って来る。
「ひえ!」と変な奇声が上がるのを止めることも出来なかった。

床に落ちたそれは、思わず身体が避けてしまうほどの衝撃のアレだった。


『12連発!巨乳人妻と秘密の温泉旅行』


「えっ。…………ええっ?」


思わず二度見する。
けれど、なんだか変だ。

えっ、ないない。
絶対、ないない。
あのエルがこんな場所にいかがわしいDVDを隠すなんて、ありえないよ。
ワタリさんにソッコー見つかっちゃうだろうし。
大体、エルがこういうの買ってこっそり隠したりするのかな。しなそうだよな。隠したりせず、堂々とその辺に置いてそう。


「あ、だからまさか、ワタリさんがわざわざ?」


隠したのかもしれない。
まかり間違って私の目に入らないようにって気を遣ってくれたのかもしれない。
辺りを見回して誰もいないことを確認して、そっとそのDVDを手に取ってみる。何故だか触っているだけで、とんでもなく悪いことをしているような罪悪感を覚えてしまう。こんなものが、ここにあるのはどうしてもおかしい、そうは思うのだけれど。

でも、このいかがわしいDVDがこの場所から、セーフハウスとか言うエルが時々住んでるこのビルの一室から出てきたことは紛れもない事実で、やっぱりエルはこのいかがわしいDVDを買ったんだ、と思う。そして、買ったからにはこのいかがわしいDVDを観たに違いない、って、これって本当にいかがわしいDVDなのかな。ただのセクシー系の旅番組ってことは、


「ないよね!ガッツリえろいやつだ、これ…!」


僅かな希望を胸にDVDをひっくり返してパッケージの裏面を見てみても、当然の惨敗。
しっかり脱いで色々やってる画像に、ご丁寧な箇条書きで何をしているのかの説明が入っている。大体、旅番組に12連発はおかしい。これは正真正銘のアダルトビデオというやつだ。しかも巨乳の。そう、女の私が見てもドキドキしてしまうくらい、すごく綺麗な素晴らしい巨乳だ。


「えっ、あ、Iカップ…!?」


大きな文字で書かれた情報に気付いて、びっくりしてしまった。
A、B、C、Dと指折り数えてみたけれど、Eの次のFの次のGの次のHの次だ。神の領域としか言いようがない。そんなすごいおっぱいが実在することさえ知らなかった。うっかり自分のぺったんこの胸を撫で下ろしてしまって、溜息が出てしまう。惨めな気持ちだ。

口では言わないけれど、やっぱりエルもおっぱいの大きなセクシーな女の子が好きなんだろうなあ。
男の人はきっとみんなそうなんだって分かってたつもりだったけれど、こうもはっきりと現実を突き付けられるとちょっとだけ悲しくなってしまう。
私が目指すべきは、ワタリさんでもなく、ファッション雑誌のモデルでもなく、こういうセクシーすぎる女優さんなのかもと思うと、一番難しそうだと思った。


「くっそー。エルなんて、エルなんて」


そして、このDVDの女の子は顔だってすごく可愛い。普通に服を着て街中を歩いていたら、人妻どころか初々しい女子大生に見えると思う。


「面食いのおっぱい星人かよー」


Iカップで顔も可愛いこんな女の子が、人妻になりきってイケナイあんなことやこんなことをする姿なんて、そりゃ世の中の男の子がこぞってお金を出して観たがるに決まってる。仕方ない仕方ない、当たり前なんだから!と自分を励ましていたはずが、ああ、エルもお金を出してこれを買ったのかあ。という生々しい事実にたどり着いて余計に落ち込んでしまいそうになる。ああもう、私のバカ。


「見なかった、見なかった。私は何もみなかった」


もうこれは無かったことにしておこう。
念仏を唱えるように自分に言い聞かせてそう決めて、DVDが差し込まれていた場所に戻そうとすると、ちゃんと収まらず途中で引っ掛かってしまった。
何かが奥で折れてしまってるのかも、と思ったけれど、低い段のその場所は、膝をついて覗き込んでも暗くて中がよく見えない。
分厚いファイルがいなくなったおかげで余裕のできたその空間に手を差し入れて探ってみると、やっぱり何かが引っ掛かっているのが分かった。
それからすぐに、またしてもあの音。床に何かが落ちるパコンっていう音。
嫌な予感を覚えながら、私は覚悟を決めてそっと床に視線を落とす。


『ド貧乳☆ロリ眼鏡っ娘とイケナイ放課後』


こめかみに指をあてて、目を閉じる。
そうして一休さんのように閃く時を待ってはみたけれど、当然何も起こらない。降りても来ない。
一瞬の間に色々なことを思ったし、色々なことを考えた。けれど、疑問はもう、ひとつだけ。


「えっ。どっちなの!」


ああもう、
エルのことが、分からないよ。








「もう見つけてくれたんですか」

「うん」

「仕事が早くて助かります」

「うん」


頼まれたファイルを両手で抱えて、パソコンの近くのサイドテーブルに置くと、くるりと椅子を回転させてこっちを向いたエルが、持っていたキャンディを口に咥えて、ファイルを捲る。それから、目線を上げて目を合わせると、その手でぽんぽんと頭を撫でてくれた。

憧れていた探偵のお手伝い。
忙しそうなエルを見て、いつか、仕事のことで何か役に立てたらいいのになってずっと思ってた。
ちっぽけな雑用かも知れないけれど、今やっと、それが叶って彼が私を労ってくれたというのに心はちっとも晴れなくて、上手く喜べない、笑えない。
とんでもない秘密を知ってしまったからだ。

はりきって臨んだ初めてのお手伝いで思いがけない体験をしてしまった私は、まるで人生の機微を味わったような気分だった。


「どうかしたんですか」

「ううん、なんでもない」


まさか、言えるはずがないし、訊けるはずがない。
あなたは巨乳が好きなんですか。
それとも貧乳でいいんですか。
本当はどっちが好きなんですか。なんて。
訊いてどうするっていうの。
何にもいいことなんてあるはずがないのに。

でも今、私の中に在る疑問はそれだけだ。
下手な嘘を吐けば、すぐにバレるだろうし、誤魔化したりするのも得意じゃない。どうやって、何事もなかったかのように振る舞おうか一生懸命考えているところだから、今はとにかく、そっとしておいてほしいのにな。
そう思って早々に別の部屋に行こうと決心したところで、それはもう時すでに遅し。
エルが、疑ったような目で私を覗き込んで、言った。


「見てはいけないものを見てしまったような顔をしていますけど」

「みっ、見てない見てない何にも見てないよ!」


ドキッとして、声が裏返ってしまう。
外国のホームドラマみたいな大袈裟なジェスチャーで首を振って否定すると、その姿を見たエルが、きょとんと目を丸くする。

あれれ、なにその顔。かわいいな。

そんなことを思ってうっかり目を合わせてしまったその瞬間だった。彼が小さく吹き出して、珍しく声を出して笑いはじめた。
膝を抱える手が震えて、うな垂れた頭と肩が揺れている。えっ何、何。どういうこと?
なんでエルは、こんなに笑ってるの?


「すみません、もう限界です。堪えきれません」

「ええ?」

「あなたって本当に、面白い人ですね」

「私?」

「はい、面白くて、正直で、可愛いですね」


そして、椅子を動かした彼が指差したのは、いつもは絶対に見せてくれないモニター。
そこに映るのは、空っぽの部屋。
色んな角度から映された映像が、数秒ごとに切り替わるのをしばらく見つめて、それがついさっきまで私がいたあの書庫の部屋だって気付いた。


「まさか、見てたの?」

「はい、見てました」

「何のために?」

「見守っていました」

(開いた口が塞がらない!)


見守るって、それってつまり監視してたってこと?と言うと、「そうとも言えますね。」と何の気もなさそうにけろりと白状する彼。顔はまだ笑ってて、楽しそう。


「様々な困難を乗り越えて、頑張ったんですね」

「…なにこれ、なにこれ」

「あきらめない姿に勇気をもらえました」

「もう!信じられない!」

「ちょっとした悪戯です。あなたもよくやりますよね。たまには仕返しさせてくださいよ」


確かに私はエルに色々悪戯を仕掛けてきたけれど。
こんなひどいこと、思いつきもしなかったよ!

そんなに可愛い顔で笑ったって、ダメなんだから。
そんなに嬉しい言葉で褒めたって、ダメなんだから。
確かに可愛いし嬉しいけど、ダメなんだから。

こんなタチの悪いイタズラ
そう簡単には許してやらないんだからね!





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