神様に誓って、初めは嘘なんかじゃなかった。 ぼんやりする頭を動かして暗闇の中で目を開けたのは、ほんの数秒前のこと。 玄関の鍵を閉める音がしたと思ったら、だんだんと近づく足音。 隣の部屋に明かりが灯されて、ドアの隙間から零れた光で、抱え込んでいたぬいぐるみの顔がぼんやりと浮かびあがる。 ああ、エルが帰って来たんだ。 でも、ベッドに深く沈んだ身体はまだまだ夢の中にいるみたいで、重くて起こせそうもない。
(あれあれ、困った、起きろ、私!)
頭の中の命令がとってものろまなスピードで身体に向かっている最中にドアが開いて、咄嗟に目を瞑ってしまったのには本当に何も理由なんてなかった。
うっかりすっかりナチュラルに、狸寝入りをしてしまったのだった。
ぺたぺたと足音を立てて近づいてきたエルの気配を感じて緊張していると、きっとあの綺麗な指が、前髪に触れる。それから黙ったまま、頭の上を梳くように何往復かして離れた。 この瞼の向こうにいる彼が、一体どんな顔で髪を撫でてくれてるんだろうっていう好奇心と、身体の中からゆっくりと湧き出てくるような幸福感でくらくらしそう。
この頃には当然、すっかり身体は起きていて、寝起きのラジオ体操だっていけるレベルにはなっていたのだけれど。 なんとなく、「ジャーン!起きてました」なんて言えなくなってしまった今、私はほんの少しの罪悪感を抱えながら、規則正しい呼吸を作るのに精一杯。
シングルサイズのベッドにひとりきりで眠る予定だった今日の私の位置取りは、横向きになっているとは言え、かなりの勢いでセンターを取っているはずだ。 いつもの定位置の奥側に回り込んだ彼はきっと困ってしまったにちがいない。
(どうしようかな) (端っこに寄ってみようかな) (でも、今動いたら、ばれちゃうな)
ぐるぐる考えてるうちに、すうっと、冷えた空気が入り込んだ。ベッドが小さく軋んで、私の後ろ側が沈んだと思ったら首元まで掛け直してくれたブランケットから、柔らかい、優しい匂いがする。
背中に心地良いささやかな圧力と、お臍のあたりに回された腕。 ベッドの中は、一瞬だけ冷たくなって、それからすぐに、ふたりぶんの体温で前よりもっと、温かくなる。細っこいエルの身体はなんだかごつごつしてて密着すれば痛くもあるのに、何故かとても気持ちが良い。
低めの体温がパジャマ越しに背中に伝わって、すぐに温度差がわからなくなる。境界線が溶けてしまったような、安心みたいな大好きな感覚。 そして私は、狭いスペースに長い身体を滑り込ませた彼の姿を想像してしまって、とにかく可愛くて嬉しくてまんまと今すぐに振り返って抱き付いてしまいたくなるの。
だけど、こんな風に後ろからぎゅっとハグしてもらってるみたいな体勢は、実はまあまあレアだなあ、なんてことに気づいてしまって、もう少しこのままで居たいな、なんて思ったりもして。 エルの方からこんなことをしてくれることって、あんまりないかも知れない。 首の後ろに触れる、髪の毛がくすぐったい。くっついている背中と触れられてるお腹が、幸せでふにゃふにゃになりそうだ。ぽかぽかしてくる。
(ああもう、この極上コースで二度寝に決定) (ごめん、おやすみエル!)
こんなに堂々と寝たふりをかましておきながら、それでもいつかは種明かしてエルにおかえりって言おうと思ってた私だったけれど、もうすっかりその気をなくしてしまった。
ゆるゆるとお腹を撫でていた手が、いつの間にか捲れたらしいパジャマの裾から入り込んできたのが分かってびっくりしたけど、まあまあ、こういうこともあるかな、と、気にしないことにする。 ゆっくりと肌を滑る掌は、まるで子守歌で子どもを寝かしつけているみたいな優しい手つきで、夢見心地な気分。
でも、その手がするりとズボンの中に入り込んで、内腿を撫で始めたとなっては、さすがに気にしないではいられなくなる。おやおや何だか様子がおかしいぞ!
「ちょ!ちょい!」
呆気なく声を上げてしまった私は、ズボンに入り込んだ手を掴んで引き抜こうとしたけれど、びくともしない。 慌てて身体を起こそうとしたけれど、動けないように後ろから拘束されているとも言えるこの体勢では、頭を傾けて目を白黒させることしかできなかった。
「もうギブアップですか。つまらない」
「人が寝てるっていうのになんてことを」
「見事な狸でしたね。バレバレですよ」
「あ、あれえ?」
完璧だと思ってた私の寝たふりは、名探偵には初めからお見通しだったみたい。 なんだなんだ。エルにはやっぱり敵いませんな、と振り返ろうとしたら、内腿で止まってた掌が滑るように動いて強い力で片脚を持ち上げるように割り開こうとする。そして今度こそ完全にいやらしい手つきで脚の付け根まで上ってきたから、さあ大変。
「ちょ!やめんか、この手!」
「まだ脚しか触っていません」
「まだ、って。どこを触る気だったの?」
「どこって。言ってもいいんですか」
わあ、だめだめ、言わないで!と叫ぶよりも先に遂にパンツの中にまで入り込もうとした手を必死で引っ張り上げようとしていたら、耳元で囁くような意地悪な声がして、一瞬にして動けなくなってしまう。 しまった、思い出した。私はいつも、エルのこの低い声を聞くと、まるで魔法にかかったように力が抜けてしまうんだ。
「気持ち良さそうな顔をしていたくせに」
ええ、ええ。極楽でした。 気持ちよくて寝てしまいそうだったよ。 思わずバカ正直にそう答えると、「まるでじいさんのようですね」と呆れたような声がする。爺さんって。せめてお婆さんにしてくれないかな。と思ったけれど、そんな文句を言う余裕はなかった。
両脚の間にエルの脚が噛ませられるようにのっかってきて、内腿を撫でていた手はそのまま脇腹を這い上がって胸元へと差し込まれる。その感触にぞくぞくして背中が反ってしまったのがバレたのか、こめかみにキスをくれたエルが笑ったように息を吐いたのが分かった。
「寝ないでくださいよ、おじいさん」
「うう、寝られないよ、これじゃあ」
「ええ、まだ21時です」
「あ、明日早起きなんだよ。だから早く寝ないといけないのに」
「寝ないといけないのに?」
「エルのせいなんだからね」
「その気にさせてしまいましたか」
悔しいけれど、その通りだ。 まんまとその気になっちゃった。 させたのはエルだ。このやろう、好きだよ。
「寝坊して遅刻したらエルのせいにするからね」
「別に構いませんけど、恥をかくのはあなたでは?」
「…5時に起こしてください」
「起きてくれるなら」
「ビンタしてもいいから、絶対起こしてね」
「女性を殴るなんてできませんよ」
「いいの。私、タヌキじいさんだから!どうぞひと思いにバシンとやっちゃって」
「色々どういうことですか、それ」
「エルがさっき言ったんでしょー!」
可笑しそうに笑ったエルにようやく向き直ってその目を見つめたら、明日の早起きも眠かった自分もなんだかどうでもよくなってしまった。きっと全てが上手くいく。こんなに楽しい素敵な夜だもの。
だから今夜は、やっぱり、夜更かしコースに変更だ。 そうと決まれば、話したいことがたくさんあるの。 あれもこれも、全部全部話し終わるまで私は絶対黙らないからね。
「あ、そうだ。おかえり、エル」
「今更ですか」
「今更ですけど、会いたかったよ!」
ねないこだれだ
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