moment_zzz







「松田さん、フラれたんですか」

「…なんでそれを竜崎が」


「やっぱりそうですか」と無表情で納得した後、ボードの上の色のついた角砂糖をがりがりと食べて、空いたスペースに白い角砂糖を置いていく竜崎。
どうぞ、と掌で促された僕は、それに続いて、シュガーポットから取り出した角砂糖で適当な場所を埋めていく。

この気持ちの悪いオセロゲームに付き合わされているこの状況は、運が悪かったとしか言いようがない。

飲みに出て初めて、私用の携帯電話を捜査本部に忘れていることに気付いた僕が、もう誰も居ないだろうと踏んでこっそり戻って来たこの時間に、竜崎が起きていて、パソコンを眺めていた。眺めているだけで、暇をしていたらしく、あれよあれよという間に、いつの間にかゲームの相手をさせられていたのだ。

向かい側の一人掛けのソファに妙な恰好で座って、「何故フラれたんでしょうね」と人の傷心をナイフで抉るような言葉を吐き捨てるこの人物は、今現在のところ僕の上司で最後の切り札と言われる名探偵のLだ。どれだけ酔っぱらっていて早く眠りたいと願っていたとしても、部下の僕には断るという選択肢は残されていなかった。


「どうして僕がフラれたことを知ってるんですか」

「簡単です。松田さんがあんなに気にして大事にしていた電話をここに放置したままで出掛けるなんておかしいので。恋人に愛想を尽かされて出て行かれたのかと思っただけです」

「はあ。別に、同棲してたわけでもないんですけどね、まいったなあ。当たりです」


いつもなら、寝ても覚めても捜査の事しか考えていないようなこの能面男が、最近は少し様子がおかしい。やる気が全くなくなっているらしいのだ。

それは、彼が自信満々にキラに間違いないと主張していた容疑者の無実が明らかとなり捜査がふりだしに戻ったからに他ならないのだけれど、それにしても大の大人がわがままだよなあ、と僕は思っていた。


「ライト君を監禁してすぐ、あたりですか」

「その通りですよ!あの時は何週間も帰れませんでしたし」


監禁、の単語が出た時に、竜崎の左手に繋がる鎖の先のイケメンが微かに振り返り、複雑な表情を浮かべる。隣の3人掛けのソファに座ってノートパソコンを睨みながら何やら熱心に調べていたこの彼こそが、つい最近まで竜崎に監禁され、今もこうして24時間監視されている可哀想なライト君だ。


「愛情とは会えないと冷めるものなのでしょうか」

「そりゃそうですよ!ここに居たら携帯の電源も入れられないから音信不通になっちゃいますし」


つまり、フラれたのは竜崎の所為だ、と主張したいけれど、僕は大人だ。我慢する。
大体、キラを追う捜査本部に志願しておいて、恋愛にうつつを抜かしている暇なんてなかったんだ、そう、これは仕方がない、仕事を選んだ男の悲しい末路なんだ。そう言い聞かせて明るく振る舞うことが出来る分、推理が外れていじけている竜崎よりはずっとずっと大人なはずだ。


「それでも、松田さんを好きなら待ってくれそうなものですけどね」


角砂糖を並べながら、特に悪気もなさそうにさらりと言い放たれた竜崎の一言にかちんとくるけれど、冷血な名探偵の意外な台詞に、笑い出しそうにもなってくる。
「好きなら待ってくれる」なんて、少女漫画みたいな考えを竜崎が持っているなんて。現実の男と女はそんなに簡単ではないことを、彼はきっと知らないんだ。


「どんな女性だったんですか」

「どんなって、キレーな人でしたよ。美人で優しくて、料理も上手で。可愛くて、はあ」

「彼女とミサさん、どちらが可愛いですか」

「え、そりゃあ、ミサミサには敵わないですよ!あの子アイドルですもん。可愛すぎますよ」

「はあ。ダメダメですね、松田さん」

「えっ何が?」

「そこは嘘でも彼女の方が可愛いと言うべきです。アイドルと一般人女性を同じ土俵で比べていては、彼女が愛想を尽かせても仕方がありませんね」


ここまで、角砂糖の並ぶボードからほとんど目を離さなかった竜崎が、ちらりと僕を見てバカにしたような笑い顔を作る。
なんだなんだ、仕事のことだけじゃ飽き足らず、プライベートにまでダメ出しするつもりなのか。
なんだよ。そんなの、冗談じゃないぞ!

大体、彼女は可愛かったよ。ミサミサは可愛いけど、本音は彼女の方が可愛かったに決まっている。もうフラれたけど。でも、そんな本音を竜崎に打ち明ける義理なんてないし、説教される筋合いはもっとない。
さすがに我慢が出来なくなってきて、止めておけばいいのに、ついつい言い返してしまった。あの竜崎に。お酒の力っていうのは、恐ろしい。


「恋愛をしたこともなさそうな竜崎にそんなこと言われたくないですよ!」

「恋愛、ですか」

「そう、恋愛ですよ。竜崎そんなの、経験ないんじゃないですかあ?」


酔っぱらって強気な僕は、目の前の上司の姿を見て、絶対そうだ、そんな経験があるはずがない、と確信する。
ぼさぼさの髪に、目の下に隈。よれよれのシャツにだらしなく裾を引き摺ったジーンズ。見ているこっちが気分が悪くなりそうなペースで角砂糖を噛み砕くこんな男に、恋愛なんて無理に決まっている。
名探偵だか金持ちだか何だか知らないけれど、こんな見るからに怪しい姿をした男が女の子にモテるはずがないことくらいは、仕事のできない僕にでもわかる。
多分、童貞だ。竜崎は童貞のくせに名探偵で金持ちで、だから偉そうなんだ。童貞のくせに。絶対そうだ。間違いない。


「具体的には、どういうことをするのが恋愛なんですか」


心の中で完全に見下していた上司が、不思議そうに首を傾けて尋ねてくる。
ほらね、やっぱりね。
竜崎は恋愛なんてしたことのない童貞だからこんなことも分からないんだ。頭が良くても人の気持ちが分からなければ、女の子とは付き合えないんだから、当たり前のことだ。この分野では、まだ僕の方がリードしていると言ってもいい。フラれたとはいえ、ちゃんと彼女と付き合っていたのだから。
世界一の名探偵に、恋愛とは何ぞやと問われた僕は、きちんと彼に説明をしてやることにした。


「例えば、保健室で寝てるところにキスしたり」

「保健室。学生設定ですか」

「ああ、クローゼットの中でもいいです」

「クローゼット」

「あとは、彼女のピンチにヒーローのように駆けつけたり、一緒に買い物に出かけて手を繋いで帰ったり、彼女の両親に挨拶をして向こうのお母さんに気に入られたりとか、彼女の手料理を食べて塩と砂糖を間違ってるのをからかったりとか、星空の下で抱き合って愛を語り合ったりとか、そういうのですよ」

「なかなかの少女趣味ですね、松田さん」


想いのままに言い切ると、若干後ずさりした竜崎が可哀想なものを見るような目でこっちを見ている。
少女趣味は竜崎のくせに。童貞のくせに。教えてくれと聞いてきたのはそっちのくせに!


「世間一般の恋愛は、こうですよ、多分。こんなの、ライト君なら全部経験あるんじゃない?」

「いや、さすがにクローゼットの中はないですよ。」

「クローゼットの中は、ですか」

「えっ!じゃあ他は全部あるの?すごいね、ライト君!」


さすが色男のライト君だ。
ここまで綺麗な顔をして背が高くて頭の良い男ならば、10代にしてそのドラマのような項目の殆どを網羅できるものなのか。確かに文句なしのスペックだもんな、ライト君って。と考えているうちに、うっかり自分と比べてしまって、軽く絶望を感じてしまう。何を食べて育てば、こんなにカッコイイメンズになれるものなのだろう。今度局長に聞いてみたいくらいだ。ああ、ちくしょう。


「竜崎はこっち側の人間ですよね。ないですよね」

「こっち側の意味が分かりませんけど。松田さんはないんですか」

「正直、盛って言いました。ないですよ、普通」

「そうですね、悔しいですけど」


ボードの上の角砂糖を摘み上げながら、覗き込んできた竜崎がぱちぱちと瞬きをしてから言った。


「保健室は流石にありません。が、他はオールクリアです。私、恋愛したことあるみたいです」

「えっ」

「ご期待に沿えず申し訳ありません」

「エー!?」


保健室は、ということは、他は全部あるってこと?何で?竜崎が?童貞なのに?という心の叫びが見事に口に出ていたらしい。むっと嫌そうな顔をした竜崎が、「童貞ではないですよ」と言って、角砂糖を食べた。

まさか、そんな。
竜崎が「保健室でキス」以外を実行したことがあるなんて信じられない。
この能面男が、彼女のピンチにヒーローのように駆けつける?怖い怖い、逆に怖いよ!
どんな格好で彼女の両親に挨拶なんてするつもりだよ。お母さんもびっくりだ。
砂糖と塩を間違えても、甘けりゃ文句はないのだろうけれど、星空の下で抱き合って愛を語り合う姿なんて想像すらできない。エー!?だよ。マスオさんもびっくりだ。


「ウソだ!」

「松田さんに嘘を吐いてどうするんですか」

「竜崎、彼女がいるのか」

「いても教えませんけどね。私はライト君をまだ疑ってますから」


驚いて声も出ない僕が口をパクパクして次の言葉を探しているうちに、気が付けばライト君もパソコンを閉じて興味深そうに話を聞いている。疑っていると言われて一瞬顔を顰めたけれど、不快感より好奇心の方が勝ったらしく、すぐに角砂糖を並べている竜崎に別の質問を投げかける。


「彼女は竜崎のその病的な甘党について、なにも言わないのか」

「ライト君、そこ?そこじゃなくない?」

「私だって四六時中甘い物ばかり食べているわけではありません。普通に食事もしますよ」

「…一体どういう状況でクローゼットの中でそういうことになるんだよ」


少し不本意そうに、初めて年相応の男の子のような顔をして言ったライト君を見て、ああやっぱり、負けず嫌いなんだなあ、とぼんやり思う。
そして僕は妙な安心を覚える。
そうだよ、18や19の男なんて、こういうくだらない、何も生まないような話に花を咲かせるのが正しいんだ。
そう思ったら、何故か楽しくなってきて、僕まで青春時代に戻ったような気がしてくる。(あ、この言い方ジジくさい)(僕はまだ若い方なのに!)


「そんなの、成り行きですよ」

「あ!成り行きの純愛なんて、僕は、認めないぞ!」

「純愛ですか。クローゼットが」

「だって、それって、ママレード・ボーイの有名なワンシーンじゃないですか!」


その、青春時代の記憶だ。
昔クラスの女子たちが盛り上がっていた懐かしいアニメを思い出して話すと、何故だか思いついたような、驚いたような、もしかしたら嬉しそうな表情で目を見開いた竜崎に、ドキッとする。当然変な意味ではなく、こんな表情を見たのは初めてだったからだ。


「その柑橘系の少年がどうだかは知りませんけど」


ボードの上の角砂糖は、気付けば四隅を残して真っ白だった。
わざわざこんなえげつない勝ち方をしてくる竜崎が、何でもないような顔で回想しているそのシーンに、一体どんな女の子がいたのかと思うと、突然その見ず知らずの女の子の身の安全が心配になって来る。


「純愛ではないです。盛り上がって結局そのまま最後までやりましたし」


飄々と言い捨てるこの人間をつい数分前まで童貞だと信じていた僕には、もう返す言葉も見つからない。ライト君はライト君で腕を組んで涼しい顔をしたまま「クローゼットでか。それはすごいな。」となぜか本気で感心しているように見えるし。上流階級の話に、僕はついて行けそうもない。


「松田さん、大丈夫ですか。顔色が悪いですよ」

「ライト君、僕、酔いが回って来たみたい」

「こんなところで潰れないでくださいよ」

「僕もう寝ます。なんだか目が回って来た」


そうして二人の天才に見送られながら、部屋に戻った僕は、ふらふらする頭を抱えて、どうか今日の記憶が消えてしまいますように、と願った。

いや、信じない。
僕は信じてなんかいないんだけど。
あの、竜崎が一瞬だけ見せた不思議な表情が、もしかしたら何処かに居る大事な女の子を想っている表情だったんじゃないかって思えてくるのも、きっと気のせいなんだけど。

今日の話が本当に本当なら、あの変人の竜崎でもちゃんと女の子と付き合えてるのに。
あーあ、僕って何してんだろ。
早くキラを捕まえて彼女作ろう。彼女が欲しい。
























「松田さんをからかうのはおもしろいですね」

「からかってたのか、竜崎」

「はい、全部冗談です」

「いくらやる気がないからって、傷心の松田さんをからかうなんて、よくないぞ」

「また無駄に爽やかなことを言う。何だか性格変わりましたよね、ライト君」





ママレードボーイの受難







- ナノ -