moment_zzz







彼女が仕事場にやってくる時は、行きつけのレンタルショップで映画のDVDを借りてくることが多い。
そしてその嗜好には節操がない。
アニメにSF、ファンタジー、アクション、コメディなど、目に付いたものを手当たり次第に借りてきている、といった感じだ。

今日流れているのは、どうやらベタなラブストーリーらしい。映画の内容には開始2分で興味が持てなくなり、観ているふりをして別のことを考えていたのだが、左隣の彼女の表情を見れば火を見るより明らかというものだ。


「この女の子、可愛いなあ。あざといなあ」

「あざといのが可愛い、ですか」

「小悪魔って魅力的。憧れちゃうな」


確かに彼女には無理な芸当だと思う。
絶妙な駆け引きで主人公をあれよあれよと言う間に虜にしてしまうヒロインは、自由奔放でそこそこ賢く、自分の容姿によっぽど自信がある様子だ。
そんな女のわがままに振り回され右往左往する主人公の姿がなんとも情けなく滑稽で、どこかイライラしてしまうのは、自分にとってこの女優が全く好みでない、ということなのだろうか。

目をきらきらさせながらうっとりと画面を眺めている彼女はすっかり夢中になっているようで口が開いている。そこに指でも突っ込んでやりたい衝動を抑えながら横目で様子を見ていると、不意に大きく目を見開いた彼女が両手で顔を覆ってしまった。なるほど。そういうシーンになっているらしい。


「小学生ですか」

「…だって。照れるじゃん」


彼女のその反応から、一体どんないかがわしい映像が映し出されているのかと思えば、なんてことはない、一組の男女が街中でじゃれ合っているだけだった。


「外国の人って、本当の本当にこんな風に人前で平気でチューとかするもんなの?」

「さあ。そうなんじゃないですか」

「ひええ、すごいなあ」


正直な話、人前に出る機会は殆どないため実際のところは不明だ。
ソファの背凭れに深く身を預けた姿勢で顔を隠す彼女は、指の隙間から視線を覗かせて、しっかりその映像を観ている。結局それを目に映すことには変わりないのに視界にわざわざ簡素な障害物を作るこの姿は、前にもどこかで見たことのある、あまりに意味のない行動だ。


「通行人たちも見向きもしないもんね。子どもまで!気にならないのかな?」

「それよりもその意味のない目隠しこそ、すごく気になりますけどね」


両手首を掴んで顔を覆う手を抉じ開けようとすると、それを拒んだ彼女が暴れて叫ぶ。


「わあ!やだ、やめてやめて、恥ずかしい!」

「はあ、何がですか」

「だめだめ、絶対、今、顔がだめなの!」

「意味がわかりません」


もちろん、止めろと言われて大人しく止めてやれるほど人間が出来ていない私は、かまわず力を入れて、その手を引き剥がす。そうして、彼女が隠したがっていたものの正体が明らかになった。
なるほど。確かにこれでは恥ずかしがるのも仕方がない。


「物凄くチューしたそうな顔、ですね」

「あーあ、やっぱりそうなってる?」


「ばれてしまった…!」とソファの上をずるりと滑って殆ど寝転んだような姿勢になった彼女の顔は真っ赤で、薄らと涙まで浮かべている始末だ。
熱を持った細い手首を掴んで宙に浮いた両手を持て余していると、観念した彼女の腕が脱力する。


「してあげましょうか」

「えっ」

「オーディエンスが必要なら呼びましょう。ワタリですけど」

「わー!いいいい、こんなくだらないことでワタリさん呼ばなくていいよ!」

「人前でしたいんですよね」

「ううん、ふたりでこっそりしたいよ!」

「こっそりしたい、ですか」

「うん、あれ。こっそり、ってなんかやらしい?」

「はい、やらしいですね」


照れて混乱しているのか、おかしなことを口走らせているその口は、早く塞いでやらなければ。そう思ったところで、ずっと流れ続けていたはずの映像の音が遠くなっていたことに急に気付く。自分も案外その気になっているらしい。
映画の中の男女の会話を聞き流しながら、完全に放棄された物語が映し出される画面を横目で確認する。全編英語のこの映画を字幕で観ていた彼女は、これ以上目を離せば物語の結末を見届けることができなくなるだろう。


「映画、いいんですか?」

「うん。もういいや。このふたりは、ハッピーエンド確定だもん!」

「…今まさに口論になってるみたいですけど」

「え、そうなの?」


きょとん、と目を丸くした彼女に画面を見るよう視線で促すと、顔を傾けてちらりとだけそれを観た彼女が何でもないような顔をしてへらりと笑った。


「大丈夫大丈夫!ケンカもしたけどちゃんと仲直りして、ふたりはいつまでもいつまでも幸せにくらしましたとさ」


熱心に見ていた映画の中のふたりの行方については、もうどうでもよくなったらしい。
勝手な希望的観測でさくさく結末を書いて締めくくった彼女が、完全に吹っ切れた様子で視線を戻した。


「私も、ハッピーエンドのキスがいいな」


まるで空気に溶けるような声で呟かれたのは、恐ろしく抽象的で実体の掴めない難解なオーダー。
上目遣いで、うっとりと瞬いた彼女の瞳に照明の光が映って一層輝いて見えた。
期待が隠せない、強請るようなその目つきに、気付けば良いように転がされていることを自覚して、やられたな、という気分になってしまう。このまま簡単に望みを叶えてやるのも面白くない。

掴んだままの両手首を小さな頭の横に縫い止めるように押し付けて顔を近づけると、鼻先が触れたところで彼女の瞼は閉じられ、きっと進路変更になど気付かない。
彼女が待ち望んでいる展開を裏切って前髪の上から額をごりごり押し付けたその行為は、嫌がらせのつもりだったというのに。


「あはは!ちがう、これじゃない!」


肩を竦めて身体を捩らせた彼女に、あっけなく笑い飛ばされてしまう。これでは失敗だ。


「違いましたか」

「痛いよ、もう。ばか!」

「私がバカ、ですか」

「ばーかばーか。でも好きだよ」


こんな時の、嬉しそうに笑う彼女には恐れるものなど何もないのではないかと思う。どんな嫌がらせも喜んで受け入れてしまうのだから、私は結局どう足掻いても敵わない。


「エルも、私が好き?」


悪戯っぽく微笑んで投げかけられた質問に、きっと回答は期待されていない。それは自明の理であるのだろうし、いつでも呼吸をするように愛の告白ができる彼女と違い、私にはそれが容易でないことを知られてしまっているのだ。

そして、ゆっくりと瞳を伏せた長い睫毛が小さく震える。小さな身体を挟んでソファを這うような体勢から、もはやどちらのものとも知れない熱が伝わる。映画の声は、とっくに聞こえなくなっていた。
賢くもなければ駆け引きもできないこの人は、私の前ではなかなかあざとい。
自由奔放な彼女のわがままに振り回されてしまった私には、言葉の代わりに窒息寸前のキスを贈るほか道は残されていなかった。




Silent film





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