moment_zzz







「あーあ」

「うわーん!気付いた?気付くよね、そりゃ」

「やっちゃいましたね」

「やっちまったよ!」


くるりと椅子を回転させて、私の顔を見るなり予想通りの半笑いになったエルが、「学習しない人ですよね」と呆れ果てたように言い捨てる。
悔しいけれど、言い返せない。
そう、学習しないバカ。それが私だ。


「そろそろだろうとは思っていたんですよ」

「期待してたの?」

「期待以上です、それ」


わざとらしく目を見開いたエルが、すぐにそれを細めて、半笑いに戻る。椅子から飛び降りて、ジーンズの裾を引き摺りながら歩いてくる姿を睨めば睨むほど、その口角は上がっていくようで。これはひょっとしたら、今年度で1番嬉しそうな名探偵かもしれない。


「随分と思い切りましたね」


お約束ですが、前髪を切りすぎた。
それも、久しぶりに決定的に、かつてないほどダイナミックに。はさみを入れた昨日の夜の時点では、なんとかギリギリセーフの長さを保っていたかもしれないと思うのに、一回寝て起きるとひとりでに短くなってしまうという前髪の不思議。
「何も不思議ではありません」「それはおそらく昨日の時点でアウトな長さです」という言葉も、いつもならつまらなさそうな無表情で紡がれるのだろうけど、今は違う。完全にニヤニヤしてる。バカにして、面白がって笑ってるんだ、このひょろ悪魔め!


「おや、髪を切られたのですね」

「ワタリさん!」

「可愛らしいですよ。よくお似合いです」

「ワタリ様!」


そこに、世界一美味しい紅茶を淹れて持ってきてくれた英国紳士ワタリさんが、最上級の上品な表情で、にこりと笑いかけてくれた。
その慈愛にあふれた言葉に、優しい微笑みに。傷付いた可哀想なハートが突然慰められて、思わず涙が出そうになってしまう。
聞いたかエル。これが正解。キミが目指すべきパーフェクトアンサーだぜ!


「えっ、泣くんですか。その面白い髪型で」

「私、ワタリ様と結婚したい」

「だそうです、ワタリ、どうですか?」

「いいえいいえ。私などにはもったいない」

「だそうです、残念。誰も傷付かないパーフェクトアンサーですね」

「ねえ、その半笑い、いつまで続くのかな!」

「あなたは私を笑わせる天才ですよね」


カップの中にいくつもの角砂糖を落としながら目を細めたエルが、悪戯っぽく言う。天才なんて言ってもらえてうっかり気分が良くなりかけてしまったけど、危ない危ない、ちがう!笑わせてるのではなくて、笑われてるんだ。これは。


「プリーズカムバックマイ前髪」

「時間にしか解決できない問題です」

「今すぐ。せめて3ミリ」

「3ミリで何かが変わるとは思えませんけど」

「変わりますー!あと3ミリあれば話は違ってた!」

「前々から不思議だったんですけど、何故そこまで前髪にこだわるんですか。失敗するのに」

「エルにはわからんか!この乙女心が!」

「ああそれ、永遠の謎ですね」


この前髪があと3ミリ(いやほんとは1センチ)残されていれば完璧な比率が完成されていたはずで。大好きな人には、ちょっとでも可愛く見える私で会いたいというささやかな乙女心が、こんな風に裏目にでるなんてね。

いやいや、知ってた。これ知ってたよ。
彼の言う通り、この失敗はもう5回目だ。その中でもダントツでやっちまっているのが今ってだけで、このシーンは初めてなんかじゃない。その度に半笑いでからかわれるのも、デジャブっていうよりもはや定例会。名探偵の永遠の謎ってああこわい!


「私も、可愛いと思いますけどね」

「…心にもないことを!」


3ミリ(ほんとは1センチ)足りない前髪を撫でられて顔を上げると、覗き込む二つの瞳と視線がかち合って、どきっとする。でも、残念ながらその視線を少しずらして確認したところ彼の半笑いな表情は全く直っていなかったので、私はそっぽを向いて拗ねて見せるしかない。ちくしょう。


「いいえ、本心です。可愛いですよ。別に嫌いじゃありません。 」

「じゃあなんで半笑いなのさ!」

「あなたの顔に『失敗した!』と書いてあるからです」

「面白がってる!」

「はい。面白いは面白いです」

「ほら!」

「面白くて可愛いです」

「面白いと可愛いは同居しない!」

「しますよ、今、してます」


エルは意外とこういうしょうもないことで笑う。
そういえば、前に喉をやってしまってオカマ声になった時も、わざわざ紅茶を噴いてまで笑ってた。
面白がられるのは本意じゃない。けど、こんな風に可愛い、なんて言ってもらえると嬉しくなってきちゃうのも事実でして。例えそれが半笑いの口からこぼれた言葉だったとしても、彼の声が発音する『可愛い』の威力ははかり知れない。世界一の名探偵に永遠の謎だなんて言わしめる乙女心ってやつは、実はこんなに簡単だ。

『拗ねました!』を主張するためにほっぺを膨らませていた空気がいつの間にかなくなっていたことに気付いて、もう一度その大好きな色の瞳をじいっと見つめてみることにする。

すると、どうやら笑いを堪え切れなくなったらしいエルが、ふっと息を吐いて顔を背けた。膝を抱える綺麗な手が目に見えて震えてる。その姿は、楽しそうで、嬉しそうで、なんだかずるい。
笑われてるのに、もうすっかり、悪い気がしないんだもん。


「時間かかるかな。元通りまで」

「ええ。すぐにとはいかないでしょうね、今回ばかりは」

「なんとか見慣れてちょうだいね」

「善処しますが自信はありません」


負けず嫌いの恋人のこんな弱気な発言だって、意地悪だって分かってはいるのに、ついつい笑って返してしまうなんてね。

その笑顔の精度なんて。
好きな人が笑ってくれるならどうでもいいことなのかもしれない。
エルが笑うと、私も嬉しい。恥ずかしくて悔しくて情けない気持ちもたくさんたくさんあるけれど、そんなのくしゃくしゃに丸めてゴミ箱に捨てたって良いってくらい今、ハッピー。だってよく考えたら、こんなにしつこく笑い続けるエルなんて、超レアなんだもん。


「風邪ひきませんかね、それ」

「え、寒そうに見える?」

「見えますね。そして私をバカにしているようにも見えます」

「ええ?私が、エルを?」

「はい。あなたにバカにされている気分です」

「バカにしてるのはそっちでしょ、このやろう!」

「それもそうです。そうでした」



面白がられていることも、バカにされていることも、その口から告げられて間違いなく確定。でも私はもう受け入れました。それでいい。甘んじて笑われてあげるよ。

もう、好きなだけ笑えばいい。
もっともっとずっとだって見ていたいもん。
こうなったらもう、私があなたの笑顔でお腹いっぱいになるまで、うんと笑って見せなさいよね、このひょろ悪魔め。


「は、ハクション!」

「いい加減にしてくださいよ。面白すぎます」

(お、怒られた)





You & あと3mmの乙女心






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