「ん?綾乃?」



今日は男女共にグラウンドで体育が行われており、ふと女子の方に目をやると、綾乃が日陰で三角座りをしているのが目に入った


男子は短距離走をしていたので自分のタイムを測り終えると俺は静かに綾乃に歩み寄った



「なんや?綾乃が見学なんて珍しいな」


「蔵ノ介!」



よっと横に腰掛けると、綾乃は驚いたように俺を見たがすぐにニッコリと微笑んだ



「風邪かなんかか?」



俺が訊ねると、



「うん…ちょっと体調良くなくて」



綾乃は少し歯切れが悪くモゴモゴと言葉を濁した



「熱は…─?」



そんな綾乃の様子が気になり、顔を覗き込んで額に手を添える



「っ!…く、くら?」



綾乃はピクッと体を震わせて瞳を揺らした




始めは平熱だった綾乃だったが、次第にじんわりと熱を帯びてきて、手のひらを通してその熱が伝わってきて──




ふと伏せていた目を上げると、至近距離に綾乃の潤んだ瞳があった



「っ、わ、悪い…」



俺は慌てて綾乃の額から手を離して座り直した



「やっ、ありがと…」



何だかむずむずとした雰囲気に包まれ、俺たちはグラウンドを駆ける同級生たちの様子を静かに見守る



「…ほな、そろそろ戻るわ」



しばらくそうしていたが、さすがに戻らなくては先生に見付かってしまうため、俺は腰をあげた





──すると、クイッと体操服の裾を引かれた





「綾乃?」



どうかしたのかと首をかしげると、綾乃はハッとしたように手を離した



「あっ、ごめん…何でもない」



綾乃は少し寂しそうに微笑み、俺はもう少し彼女の側にいたいと思わされるが



「…そうか?」



綾乃の頭を軽く撫でてその場を後にした



「…蔵ノ介っ!ありがとうっ」



すると後ろから綾乃の声がして俺は振り返って軽く左手を上げた










放課後になり、俺は部活に向かっていたが教室に忘れ物をしたのを思い出して教室へと引き返した



──ガラッ



教室に入ると、自分の机で佇む綾乃の姿があった



今日はHRが長引いたこともあり、クラスメイトたちは早々に教室を後にしていて、教室には綾乃しかいなかった



1歩室内に足を踏み入れると、綾乃はこちらを振り向き、パァッと顔を明るくして立ち上がった



「どうしたん?」


「ん、忘れ物してもうてな」



自分の席に行き、目的の物を探せばすぐに見付かった



「ねえ、蔵ノ介?」



いつの間にかすぐ側にやってきていた綾乃



「なん?」



そして静かに俺を見上げて口を開いた







「───抱き締めて?」





「え…─」






綾乃が口にした言葉に俺が目を見開いて見つめ返すと、綾乃の請うような瞳に吸い寄せられる




「お願い、蔵ノ介…─私を抱き締めて?」


「─…っ!」




もう一度震える声で訴えられ、俺はグイッと綾乃の体を抱き寄せた



綾乃は俺の背に手を回して、まるですがるように強く抱き締め返してきた




「もっと…もっと強く、」


「…─おん」




綾乃の小さな声が耳に届き、俺は強く強く、綾乃の体を抱き締めた






───どうしてか俺の胸は、ぎゅっと締め付けられて…



このまま綾乃の体を離してしまうと、消えてなくなってしまうような……そんな心地がしていた






「ん…もう、いいよ」



しばらく抱き合っていたが、綾乃が静かに俺の背中に回す手を解いた



「綾乃…─」



俺もそっと手を下ろすと、綾乃は下を向いたまま口を開いた



「引き止めてごめんな?部活、頑張ってね」


「…綾乃、」



俺がなにか言おうとしたら綾乃は俺の後ろに回ってグイグイと背中を押す



「ほらっ、引き止めといてあれやけど早く行かなアカンやろ?」


「お、おん…」



俺は渋々綾乃の言葉に従って教室の扉に手をかける






「蔵ノ介?……─ありがとう」






教室を出るときに、綾乃に聞こえるか聞こえないかという声でありがとうと言われ、俺は咄嗟に振り向いた



しかし、すぐに扉は閉じられてしまい綾乃の顔を見ることは敵わなかった






どうしたんや…─?





胸の中の不安がざわざわと嫌な音で膨れ上がる





綾乃…──




『……─ありがとう』




何やねん…



今まで、ありがとう



…─そう言われた風に、聞こえた








その後、部活帰りに二人で並んで歩いたとき…綾乃はあまりにもいつも通りすぎて、教室のことには触れられなくて



それが一層俺の不安を掻き立てた










そして、その日以降───



綾乃は俺の前からいなくなった












2012*08*04


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