弱虫ペダル | ナノ


  緩やかに始まる


初めてロードのレースを見たのは親ぐるみで仲の良かった寿一に連れてかれた時だった。


面白いものが見れるからと腕を引く寿一にされるまま会場に行った。
野外競技だから当然さんさんと照り付ける太陽を遮るものが何も無い、私はすぐにかえりたくなった。
夏なのに人混みも多いのに空気はピリピリと張り詰めている、あちらこちらで色んな声が飛び交ってタイヤのカラカラ回る音が一杯聞こえた。
あまり人混みに慣れてなかった私はそのごちゃごちゃした景色と音が堪らなく怖かった。

『帰りたいよじゅいち、なんだかここうるさい...』

そう言った私に寿一は少し考え込むと私の腕を引っ張った。

「じゃあ、ゴールの近くの山道に行こう。それならきっとここほど煩くない」
『ほんとう?』
「うん、きっとなつきもロード好きになれるよ」

行こう、そう言って寿一は寿一のお父さんの所へと私を連れて走っていく。
事情を聞いた寿一のお父さんは泣きそうな私の頭を撫でながら車に乗せてくれた。
そしてこう言った。

「煩くはないかもしれんが夏樹ちゃんにはゴールの気迫は逆に怖いかもしれんな」

私はよく意味が分からず煩くなければそれでいいと頷いた。
そしてゴール付近でレースを見て私は幼いながらに感動した、こんなにカッコいいスポーツがあるんだと。

息の詰まるような競り合い、少しでも多くと回される脚、顔に浮かぶ無数の汗

もっともっと見たいと思った、そして同時に―――

『じゅいちはずっとこれやってたの?』
「うん」
『じゃあ速く走れるの?』
「うん、俺強いから」
『じゃあじゃあ私もあれ乗って速く走れるようになりたいから教えて』
「えっ、女の子にあれは危ないよ」
『私、あれで走れるようになりたい』

せがむ私に寿一は困った顔をしてお父さんを見上げる。
すると寿一のお父さんは苦笑いをしながら私の前に屈んだ。

「夏樹ちゃんがロードを気に入ってくれてよかった」
『うん、私これ好き、これで一番とりたい』
「それはいい心掛けだ。だけどねこの競技は何かと危険も多いからやるならちゃんとご両親の許可を得なさい。それからだったら私も沢山速く走るために協力しよう」
『おじさん約束よ』
「あぁ、約束だ」
『やったぁ。じゅいち、私絶対じゅいちより速く走れるようになるからね』

笑顔で寿一へと振り向くと彼はびっくりしたように此方を見ていた。
普段からあんまり自転車のこと以外で表情を変えない寿一にしては珍しい反応だった。
おーい、と彼の目の前で掌を左右に振る。

「本気で乗るの?」
『うん、おもしろそう』
「...おもしろくはない」
『えーと、じゃあ楽しそう』
「それもなんか違う気がする」

寿一は少し難しい顔をしてこれは勝負なんだと私に言う。
でもそんなの今は気にならない。

『もう、なんでもいいの、とにかく私乗るから。一番なるから』
「駄目だ、一番は俺がなる」
『え、私だよ』
「俺だ」


斯くして私はロードを始めることになったのだ。




* * *




頭の上から誰かの話す声が聞こえてくる。

「オィ、誰かコイツ起こせヨ」
「最初に気付いたのは靖友だろ、起こしてあげなよ」
「アァ、なんで俺が」
「なんだかここまでぐっすり寝てると起こすのが可哀想に思えてくるのだ」

次いで誰かに覆い被されたのか気持ちのいい具合にあたっていた日射しが遮られる。
あぁ、風邪ひいちゃうかもとぼんやりと思いながら日射しを遮った人物に顔を向ける。

『とう...ど、くん?』
「ん、起こしてしまったか」
「起こしたかじゃねぇヨ、目覚めてんならさっさとおきやがれ」
『イタッ...』

逆光で黒く見える東堂の横から腕が伸びてきてそのまま頭を叩かれる。
たいして痛かったわけではなかったが反射で思わず言葉が漏れた。
じんわりと痛む頭を押さえながら起き上がると背後で舌打ちをされる。

『すぐに舌打ちするのはよくないよ荒北君』
「ウッセェ、てかお前も部室で寝るなよ、無防備過ぎ」
『うん、そうかな』
「そういうとこが無防備だっつってんの」

再度舌打ちをするとそそくさと自転車を取りに行ってしまった。
荒北の言いたいことがいまいち伝わらなかった夏樹は思わず首を傾げる。
すると部室に残っていた東堂と新開は堪えながら小さく笑い始める。

「あれは苦労するな靖友も」
「うむ、俺が苦労するからな、あいつがしないわけがない」
『何の話してるの2人とも』
「夏樹には秘密、ほら練習行こう。1年生を待たせてるよ」
『そうだった、今日は遅刻するなって寿一が言ってた日』
「もう若干の遅刻だがな」

そう言う2人に急かされながら夏樹は慌てて髪を三編みに結う。

「着替えまでしたなら髪もやっちゃえば良かったのに」
『これは、いいの』

いつも通りのシンプルに一つで纏めた三編みの先を弾きながら夏樹はにこりと笑う。いつからかこの髪を結うこともロードに乗る前の準備の一環になってた。
以前は結ばなくても走れた位短かったのが今では軽く肩を通り越している。

『気合い入れる作業だから』

改めて時の流れを感じる。
こんなにも長い間ロードをやってきたんだと。

『今日もいい天気だね、風もいい感じに吹いてるし絶好のロード日和だね』
「この自転車ばか」
「夏樹には敵わんのだよ」

東堂と新開が苦笑いをしながら私の横を通り過ぎていく。
そんな2人の背中を満足げに眺めていると2人は此方を振り返った。

「何やってるの夏樹」
「置いていくぞー」

今日もまた全力で挑む、大好きな自転車と供に。

『うん、走ろ』






(ていうか今日はレースやらないよ)
(あれっ、そうだっけ!?)

prev / next

[ back to top ]


人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -