side.Sの逡巡
きっと今まで出会ったなかで一番魅力的な女の子だと、13年とそこまで長くない人生でそう思った。
何より自転車に臨む姿勢に同じ自転車乗りとして憧れていた。
付き合うことになった時凄く嬉しかったし周りもお似合いだって言ってくれた。
『ごめんなさい、今は自転車を一番にしたい』
だから別れる理由を聞いた時、夏樹はどこまでも夏樹なんだと、悲しく思う気持ちの中の一抹に別の感情もあった。
あいつがその後少しずつ調子を取り戻して、スゲえ綺麗な笑顔浮かべてるの見た時はこれで良かったのだと思えた。
あの時はあの距離が適切だったし今では少しずつだけど以前のように距離を縮められてる実感はあった。
だからその矢先、夏樹にうさ吉の事を相談した時にしまったと思った。
誰かに発破をかけて欲しいと思っていたのが原因か、その場にいた夏樹にいきなり何の前振りもなく自転車を辞めるかもなんて話してしまった。
また彼女の気持ちの機微に気付けなかった。
泣いていると分かったのに、その後ろ姿を追うことは出来なかった。
直前に見せた夏樹の表情に昔味わった感情が一気に噎せ返ってきた。
もう二度とあんな顔をさせたくなかったのに
* * *
黒田に話す微かな声を聞きながら新開は空を見上げる。
夏樹は自分に全ての非があるように話していたが、知らないうちにとはいえ夏樹を傷つけてしまった自分にも悪いとこがある。
まして彼女がそれを引きずっているのに、何食わぬ顔でまた距離を縮めようとしてた自分が浅ましく思える。
「オレって結構卑怯なのかな」
「そりゃ盗み聞きは卑怯デショ」
返ってくるはずのない返事に驚いて、咄嗟に後ろを振り向けば靖友が立っている。
しかも若干不機嫌そうに。
「なる程ネ、最近2人してよそよそしかったのはそういうこと」
「…なんだ、おめさんも聞いてたんじゃねぇか」
感情の機微を悟られないよう、普段通り笑ってみせるがどうにもただで誤魔化せる相手ではない。
クッセと鼻をひくつかせながら不機嫌そうな顔を更に歪めてみせる。
「ジメジメ、ジメジメ…湿っぽくて気持ち悪くてヘドが出そうだ」
「随分な言われようだな。でもおめさんに口出し出来る問題じゃないだろ」
そう、これはオレと夏樹の間の問題だ。
自転車に乗れなくなったことで寿一や部の他の奴らに迷惑をかけてることか自覚してるし、さり気なく力を貸してくれてる事も感謝してる。
それでもこれに関しては誰かに助けを乞うつもりもなければ、立ち入られるつもりもない。
「新開、テメェ一体何様のつもりだ?」
胸倉を掴まれて勢いよく顔を近づけられる。
不機嫌を通り越して怒りを堪える様なその顔に言葉が出てこない。
靖友がここまで怒る理由に心当たりがない。
「テメェの都合だけで夏樹チャンを振り回すんじゃねぇよ。そりゃお前は距離縮めんの楽だろ、さっきの話きいてりゃ昔の事は明らかに夏樹チャンのワガママだ」
「違う!悪いのはアイツだけじゃ、」
「周りから見ればそう見えんだよ、それが事実だ」
唸るようにそう言う靖友は今にも怒声を響かせそうだが、その実向こうにいる夏樹と黒田には聞こえないよう声を抑えていて。
ムキになりかけてる自分が急激に治まっていった。
「今年も部での立場ぶんどって、これからだって時だろうが。オレらは別に構わねぇヨ、いくらでも付き合ってやっから。だが夏樹チャンにはどうみてもキャパオーバーだ。唯でさえ昔の事気にかけてるってんなら尚更だ」
「…オレだって夏樹に重荷を背負わせるつもりはないさ。ただどうしたってこのままって訳にはいかねぇんだ」
分かってるという事を伝える為、真っ直ぐ靖友の目を見ながら胸元にある手を上から力強く掴む。
このままならまた何時か何かの拍子に夏樹に同じ表情をさせてしまうかもしれない。
今回のことで改めて痛感したのだ、曖昧な距離を保ち続ける方が却って良くないことを。
「…どいつもこいつも頑固チャンてかよ、めんどくセぇ」
そっぽ向いて小さく舌を打った靖友が掴んでいたオレの胸倉を離す。
「だからっていきなり距離を詰めんのは見過ごせねぇナ」
「靖友、おめさんさっきから何でそんなにオレたちの問題に関わろうとするんだ?」
「んなのオレの自由だろうが」
「いや、でも…」
「ウッゼェな、んなに理由が欲しけりゃくれてやんよ」
そう言ってニッと笑った靖友の言葉にオレは時間が止まるような感覚をおぼえた。
「夏樹チャンが気になる。これならどうだ?」
(してやったり)
(まるでそう言ってるようだった)
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