code 48


「これが―――だ」

見知らぬ場所で顔の見えない誰かに手を包まれる。
ゆっくりといとおしむように手を撫でたあと声はそこに恍惚の色を浮かべる。

「君は――でわ――の―――だ」

周波数の合わないラジオのようにざらざらとノイズだらけのそれは何かを懸命に伝えようとしている。
ふと目の前に気配が近付いた。

「さぁ全てを思い出すのだ」




『っ...』

突然変わった視界に息が止まった。
あまりに急激な目覚めに頭がついてこずここが何処かその判断が一瞬追い付かなかった。
息が整うのをぼんやりと待っていると視界の隅に青い光りがちらついた。
汗でうっすら湿った腕を伸ばして光源の携帯を手にして開くとそこには数え切れない程の文字の羅列があった。

"外に出たら殺される"
"逃げ場なくない?"
"ヘルメットを被ってる奴がいたら要注意"
"正当防衛なら赦される"

画面の中で夥しい程の文字が流れていくのを眺める。
次第に過激になっていくそれらは止まることを知らない。
グソンが始めた情報操作にまんまと引っ掛かり民衆の恐怖は煽られていくばかりだ。

『もうすぐ約束の時間』

億劫な身体を無理矢理起こす。
気分は晴れることはなかったが身体は思い通りに動くようになった。
先の夢が頭の端で引っ掛かったが今はそれどころではない。
決断を下した以上この後のパーティーに出遅れる訳にはいかないのだから。




* * *




名奈が別室で仮眠をとっていたフロアとは別の場所でグソンは槙島と向かい合っていた。
柄にもなく不安や焦燥に焦がされる心を落ち着けるようにしているとふと槙島が笑みを溢した。

「落ち着かないかね?」
「そりゃあね、不安にもなりますよ。はたしてここから先に何が待っているのか、この街がどうなってしまうのか」
「君のそういう普通なところ凄くいいと思う。僕も君もごく普通で、本質的にありきたりな人間だ」

そう言って窓の外の景色を眺める槙島にグソンははたしてそうなのかと思った。
自分が普通なのは認める、特技以外にこれといって優れるものがあるわけではないのだから。
だがしかしこれだけの事を画策して実行する彼が本当に普通か。
まぁ敢えてその疑問を口にすることはないのだが。

「自分のことを欲張りだと思ったことはないよ。当たり前のことが当たり前に行われる世界、僕はそういうのが好きなだけでね」
「ごく普通でありきたりな我々が普通でない街に犯罪を仕掛ける」
「普通でない街か...なんだろうな。昔読んだ小説のパロディみたいだ、この街は」

小説という単語を聞いて頭の中に幾つか候補があがった。
取り敢えず言ってみると、

「たとえばウィリアム・ギブスンですか?」
「フィリップ・K・ディックかな」

そう返された。

「ジョージ・オーウェルが描く社会ほど支配的ではなく、ギブスンが描くほどワイルドでもない」
「ディック、読んだことないな。最初に一冊読むなら何がいいでしょう」
『アンドロイドは電気羊の夢をみるか?』

槙島の声ではないその返事に後ろを振り向くとそこには眠っていた筈の名奈が立っていた。
「私もそう教わりました」そう言って控え目に笑った名奈はグソンの横を通り過ぎて槙島の隣に立つ。
おはようとか、遅くなってすいませんとか、こんな状況でも二人は日常の一場面のような会話をする。
やはり彼女も槙島同様グソンは普通ではない存在と捉えていた。

『そうだ、ディック。大分内容が違いますから比較してみると面白いですよ』
「ダウンロードしておきます」
「紙の本を買いなよ、電子書籍は味気ない」
「そういうもんですかね」
「本はね、ただ文字を読むんじゃない。自分の感覚を調整するためのツールでもある」
「調整?」
「調子が悪いときに本の内容が頭に入ってこないことがある。そういうときは何が読書の邪魔をしているか考える。調子が悪いときでもすらすらと内容が入ってくる本もある。なぜそうなのか考える。
―――精神的な調律、チューニングみたいなものかな、その際に必要なもの分かるかい名奈?」
『紙を触ってる感覚とか本を捲った時にでる瞬間的な脳の神経を刺激するものです』

淀みなく答える名奈とそんな名奈に嬉しそうな笑みを浮かべて正解だと述べている槙島を見てグソンは思わずため息をつきたくなった。

「なんだか、へこむな」
「ん?」
「貴方と話していると俺の今までの人生、ずっと損してたような気分になる」
「考え過ぎだね」
「ですかね」
「...そろそろ時間だな」
「行きますか」

席を立って店の出口へ向かうグソンと槙島の後ろに駆け寄るように名奈が付いてくる。
暫く何かを躊躇うように視線をうろうろさせた後に「あの、」とグソンに声をかけた。

『凄くどうでもいい話なんですけど、ギブスン好きなんですか?』
「子供の頃、読みましたけど。それが何か?」
『凄腕のハッカーがギブスン好きだなんて出来すぎだなって』






(溢れるべくして溢れた世界)
(均衡は崩れ去る)

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