code 58

少し前までいつも来ていたスーツに袖を通す。公安局を出て以来、一度も来ていなかったそれは、意外にもしっくりと身体に馴染んでくれた。
鏡の前で後ろ前と身体を捻りながら全身を確認していると後ろで小さく槙島に笑われた。
なんとなく恥ずかしくて控え目に後ろを振り返る。

「君がそこまで落ち着きがないのも珍しい」
『そんなにですか』
「君をそうまでさせる人間がどんなものか些か興味が沸くくらいわね」

読んでいた本を机に伏せて、和やかに見つめられる視線に思わず顔を逸らす。
最近、以前よりも輪をかけて自分を客観的に見れなくなっている気がする。
前までが異常だったのは、分かっていたがそれでもいざそうなってみると、なかなか慣れないものがある。

ふと、近づいて来た槙島に手を引かれる。
そのまま柔らかく抱き締められたことに、困惑した名奈は顔を上げようとするが、槙島の手にやんわりと肩に押さえ付けられてそれは叶わない。

「行くのかい?」
『…はい』
「なんだろう。少し君が側にいないことが不安に感じる。君の側にいると約束したが、存外僕の方が離したくないだけかもしれない」

淋しげな色がまざる声にもう一度顔を上げてみる。手は、今度はそれを止めなかった。

『約束守ってくださいね』

見上げた顔にはいつも通りの表情が浮かんでいる。
涼しげな微笑みとどこまでも濁りのない金色の瞳が優しくこちらを見つめている。
これを見れるのはきっと恐らく最後だ、そして次に会う時に見るのは、唯一の対戦者に向けられる研ぎ澄まされた殺意の躍る瞳だ。

『行って来ます』

きっとどうあっても止められないのならせめて最後まで見届ける。
その為の最後の心残りの始末をつけに行こう。




* * *




「狡噛さん!」

先を行く背中を呼びとめる為に声を張りあげる。ちらと此方を振り向いた狡噛はほんの少し歩を緩める。
駆け足で横に並べば何とも言い難い表情を浮かべていた。

「全てが茶番だ。何もかも。泉宮寺豊久の事件、あの時ギノが上にあげた報告書を見た、こっそりと」
「また、そんなコト」
「ドミネーターが槙島を無視した件は、影も形も無かったよ。あの文面じゃ削らされたってのが実際のところだろうな。シビュラで裁けない人間がいると言う事実そのものを上層部は潰しにかかってる」
「それは仕方ないと思います」

そう言えば狡噛は足を止めて朱の顔を真っ直ぐ見つめてくる。
信じられないと、そう言われているようで思わず顔をそらす。

「悔しくないのか?」

どこか同意を求めてる様にも聞こえない言葉に心の隅で、その通りだと唱える声が聞こえる。しかしそれでもと揺れそうになる心を律する。

「悔しいです。でもこの間の暴動で改めて思い知りました。正義の執行も秩序の維持も、私はどっちも大切だと思います」
「なら、法の外側にいる人間に何をどうすれば収まりが着くと思う?」

エレベーターのボタンを押しながら狡噛は問う。

「今回ばかりは特例措置で、もう一度昔の制度に立ち戻るしかないでしょう。起訴して法廷を開いて、弁護もさせて。その上で量刑をするしかないのでは?」
「気の遠くなる話だな。お膳立てにどれだけ時間が掛かることやら。」
「でも、他に方法なんて…」
「あっただろ」

言い淀んだ朱に狡噛はハッキリとした口調で断言する。

「もっと手っ取り早く、誰の迷惑にもならない方法が。あの時、槙島を殺して置けば良かった」

そう厳しい声で言う狡噛は朱の知る彼とは別の、どうしても追いつけないところにいる狡噛の顔で。

「あんたが手を下すのではなく、俺が最後の止めを刺せば。監視官のアンタに人殺しはさせられない。が、執行官の俺には失うものなんて何も無い。そう言うチームワークなんだ。俺だって猟犬の面目躍如さ」

エレベーターへと足を踏み入れる狡噛の横顔が一瞬自嘲するような笑みを浮かべるのが見えて朱は思わず扉が閉まらぬようボタンを押す。
このままでは狡噛は何処か、遠くに行ってしまう。
そんな漠然とした不安が胸の内を過る。

「それは法の執行では有りません。ただ殺人犯が二人になるだけです。狡噛さん、いつだったか言ってましたよね?"犬ではなく、刑事として働きたいって"」
「どうでも良いコト覚えてんだな」
「どうでも良く有りません。大切な事です。あの言葉のお陰で、私この仕事を辞めずに済みました」

ふと、今も行方知らずの彼女の顔が過る。
そこまで長く一緒に過ごしたわけでもなかったせいか、以前より思い出す顔が薄れて思える。
彼女はどんな風に笑っていたか、そんな事を考える度に言い様のない痛みが胸を刺す。
もう同僚をなくして同じ思いを重ねるのはどうしたって嫌だった。

「ねぇ、狡噛さん。これからもずっと刑事でいてくれますか?そう私に約束してくれますか?」

訴えるように言う朱に狡噛は小さく頷く。

「…あぁ」

二人を遮るようにしてエレベーターの扉が閉まった。






(絡まない視線)
(離した手はゆっくりと冷えていく)

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