code 55

厚生省本部ノナタワー地下四階で朱は狡噛を伴って消息をたったかがりの行方を追っていた。

唐之杜の証言によれば、ここまで縢と連絡が取れていたが、突然返事がなくなってそれきりとなった。
しかし目の前にあるのはコンクリートの壁。
破壊された形跡は一切ない。

「ここから縢がどう消えるっていうんだ?」
「ここで姿を消して、あとは監視カメラにも映っていない…まさか槙島の手下に」
「だったら死体が残るはずだ。そもそもかがりだけじゃない、唐之杜がカメラで確認したはずの地下に向かった連中が一人残らず姿を消している」

狡噛の言う通り何も消えたのは縢だけではなかった。
槙島とは別に地下へ向かった者がいる事を自分達は把握していた。
そしてそのまま姿を消した。恐らく生きている可能性は限りなく低い。

「縢はどんなにテンパっても逃げたりなんかしない。自分が生き残る計算ができる男だ。消えたのはあいつ自身の意志じゃない」

そう吐き出した狡噛の言葉は、どこか唸り声のように聞こえた。




* * *




「今回の事件、目の付けどころはさすがというほかない。実際君のお仲間は真実に辿りついていたよ」

宙をまった携帯を軽々と掴み取り画面を開く。すると聞き覚えのない声が流れ、映像が始まる。

「シビュラシステムはいわゆるPDPモデル。大量のスーパーコンピューターによる並列分散処理ということになっている。嘘ではないがそれは実態とは程遠い。ナレッジベースの活用と推論機能の実現は、ただ従来の演算の高速化によって実現したわけではない。それが可能だったシステムを並列化し、機械的に拡張することで膨大な処理能力を与えただけのことだったのさ」

グソンの普段より興奮した声が聞こえ、映像が切り変わる。
そこに映し出されたのは大量の"脳"。
それらがケースの中で液付にされて保管されている。

「人体の脳の活動を統合し、思考力を拡張高速化するシステムは実はもう50年以上前から実用化されていた」

再度映像が変わり、取り出されていた脳が仕舞われ、別の脳が運ばれてくる。

「目下システムの構成員は247名。うち200名ほどが順番にセッションを組むことで、この国の全人口のサイコパスを常時監視し、判定し続けることが可能だ」

ふいに、画面が逆さまになる。
次の瞬間には騒音が流れ画面が激しく動きながら床に叩きつけられる。
画面の端に恐らくグソンがエリミネーターでやられただろう、夥しい量の血と僅かな肉片が映る。

「結局のところ機械的なプログラムで判定できるのは、せいぜいが色相診断によるストレス計測までだ。より深遠な人間の本質を示す犯罪係数の特定には、もっと高度な思考力と判断力が要求される。それを実現し得るのが我々なんだよ」
「お笑いぐさだな…。人間のエゴに依存しない機械による公平な社会の運営。そう謳われていたからこそ民衆はシビュラシステムを受け入れてきたというのに…その実体が人間の脳の集合体である君たちによる恣意的なものだったのか?」

もう一度画面の見えない所で騒音がなる。
グソンの他にいた誰かが、射殺されたのだろう。おそらくは公安局の誰か。
そこで映像は途絶える。
槙島は禾生に気付かれないよう小さくため息をつく。

「いいや、限りなく公平だとも。民衆を審判し、監督している我々はすでに人類を超越した存在だ。シビュラシステムの構成員たる第一の資格は従来の人類の規範に収まらないイレギュラーな人格の持ち主であることだ。いたずらに他者に共感することも情に流されることもなく、人間の行動を外側の観点から俯瞰し、裁定できる。そういう才能が望まれる。例えばこの僕や君や、雨宮名奈のようにね」
「ほう…」

名奈という言葉に槙島は僅かに反応する。

「僕もね、サイコパスから犯罪係数が特定できない特殊な人間だ。おかげで随分と孤独な思いをしたものだ。そのようなシビュラの総意をしても計り知れないパーソナリティーは"免罪体質"と呼ばれている。凡百の市民とは一線を画す新たな思想と価値観の持ち主。そういう貴重な人材を見つけて取り込むことで、システムは常に思考の幅を拡張し知性体として新たな可能性を獲得してきた。一昔前まではシビュラ自身が、それを作り出していたようだけどね。とあることが機で従来のやり方に戻ったらしい」
「そうか、公安局の手に落ちた君が処刑されることもなく姿を消したのは…」
「ああ。こうしてシビュラシステムの一員に加えられたのさ。初めは戸惑ったがね……すぐにその素晴らしさが理解できた。他者の脳と認識を共有し、理解力と判断力を拡張されることの全能感。神話に登場する預言者の気分だよ。何もかもが分かる。世界の全てを自分の支配下に感じる。人一人の肉体が獲得し得る快楽には限度がある。だが知性がもたらす快楽は無限だ。聖護君、君なら理解できるんじゃないか?」

楽し気に話す禾生を槙島は注意深く観察する。

「そうだな…想像に難くないところではある」
「僕も君もこの矛盾に満ちた世界で孤立し迫害されてきた。だがもうそれを嘆く必要はない。僕たちは共に運命として課された使命の崇高さを誇るべきなんだ。君もまた然るべき地位を手に入れるときが来たんだ」

そう、高らかに謳う禾生に槙島は手にしていた赤い本をひとなでしてしてうっすらと笑みを浮かべる。

「つまり、僕もまたシビュラシステムの一員になれ…と?」
「君の知性、深遠なる洞察力。それはシビュラシステムのさらなる進化のために、我々が求めてやまないものだ。強引な手段で君をシステムの一員に取り込むことはできなくはないが…。"意思に基づいた行動のみが価値を持つ"というのは君の言葉だったよね。君ならば僕の説明を理解した上で同意してくれると判断したんだ」

受け入れることを信じて疑わないのか、それとも断らせるつもりがないのか。
妙に自身のある態度に、思わず槙島の顔に苦笑の色がまざる。

「さっきから少し気になっていたんだが名奈は君たちに随分と深く関係している口振りだったね」
「ん、聖護くんはそれを知っていて、彼女を側に置いてるのかと思ってたよ」
「……」
「僕も詳しいことは知らないよ、なんせ僕がまだシステムに加わる前の話だからね。ただ知っているのは名奈は集められた優秀なサイコパスを持つ子供たちの中でも更に優秀だったということかな。現に彼女を含め、僕たちの思考を詰め込むという計画は数人にしか適応しなかったようだしね。そして名奈はこれから育ての親である僕たちに貢献するためにシステムに加わるんだ。聖護くん、君が加わったと聞けばきっとあの子も心変わりして戻ってきてくれる筈だ」
「そうか…機械の部品に成り果てろというのもぞっとしない話だな」

そう言って肩をすくめる槙島に、そんなことはないと禾生は緩やかに首を横にふる。

「もちろん、これは君の固体としての自立性を損なうような要求ではない。現に僕はこうして今も藤間幸三郎としての自我を保っている。君はただ一言、"YES"と頷いてくれるだけでいい。ここにある設備だけで厚生省に向かう道すがら外科的な処置は完了する。槙島聖護という公の存在は肉体と共に消失するが、君は誰に知られることもなくこの世界を統べる支配者の一員となる」

一瞬の沈黙。
その後に槙島が音もなく開いていた本を閉じる。そこに浮かぶのはやはり苦笑。

「まるでバルニバービの医者だな」
「何だって?」
「スウィフトの"ガリヴァー旅行記"だよ。その第三編。ガリヴァーが空飛ぶ島ラピュータの後に訪問するのがバルニバービだ。バルニバービのある医者が対立した政治家を融和させる方法を思い付く。2人の脳を半分に切断して、再び繋ぎ合わせるという手術だ。これが成功すると節度のある調和の取れた思考が可能になるという。この世界を監視し、支配するために生まれてきたと自惚れている連中には、何よりも望ましい方法だとスウィフトは書いている」

静かに決裂していく、この場の空気を感じとり禾生は静かに机の下にあるドミネーターを手に取る。

「…聖護君は皮肉の天才だな」
「僕ではなく、スウィフトがね」

そうして禾生がドミネーターを構えるより早く目の前に赤い本がとんでくる。
一瞬視界を奪われ禾生が動揺してるうちに、槙島は近くにあった体組織を表示する機械を頭部目掛けて振りかぶる。
ガンと鈍い音をたてて倒れた禾生が起き上がる間もなく、その四肢は折られ、封じられていく。

「場所が分からないうちは抵抗しないと考えたんだろうが、相変わらず君は詰めが甘い」
「ううっ…!」
「さっきの"厚生省に向かう道すがら"という言葉。あれで移動中だと仄めかしてしまった」

微かに揺れるグラスの中の水がいやに禾生の目につく。

「ここは公安局の中ではない。だから逃げられると僕は判断した」
「なぜだ?君なら理解できたはずだ。この全能の愉悦を…世界を統べる快感を…」
「さながら神の如く、かね?それはそれで良い気分になれるのかもしれないが、生憎審判やレフェリーは趣味じゃないんだ。そんな立場では試合を純粋に楽しめないからね」

ドッと壁に投げつけられた身体は力なく床にふす。
あまりの衝撃に部屋全体の明かりが落ちて、非常灯の赤いランプがあやしく光る。

「僕はね、この人生というゲームを心底愛しているんだよ。だからどこまでもプレーヤーとして参加し続けたい」
「君も…逃げるのか、名奈のように」
「そうだね、それに名奈が逃げる事は今のあの子にしたら必然だと思うよ。もう出来損ないの人形ではないのだから」
「出来損ない…だと」
「あぁ。初めて会った時の名奈、あれは人間としては失敗もいいところだった。まるでマニュアル通りに動くロボットか人形、そう言われた方がまだしっくりきた」
「…まさか、あれに名無を生ませたのは」
「そんなことをしたかもしれない、でも今ではあの子の意志で選択して必死に生きようとしてる」
「うぁ…ぐっ」

禾生の頭にヒビが入る。

「それを君たちが取り込むだと。そんなことは絶対に許さない。僕はもう名奈の手を離さないと約束したからね」

偽物の髪を剥がされ、強引に開けられた蓋の中から脳がのぞく。

「神の意識を手に入れても、死ぬのは怖いかい?」






(その手を掴みにむかおう)

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