※少々注意





会ったのは一体いつ振りだろうか。別に会いに来てと頼まれた訳ではない。ずっと会ってない、だから会いたくなって、精一杯の勇気を振り絞って、今イシドさんの部屋の前にいる訳だが。私は今、部屋の前…扉の取っ手を握った状態のまま。理由は簡単。聖帝の部屋の中から聞こえた声に、動かないのではなく、動けなかったのだ。

「…ん…っ、イシドさ、」
「可愛いな」

クツクツ、扉の向こうからイシドさんが笑う声が聞こえる。それと、途切れ途切れの女の人のたまにかすれる、高い声。中で何が起こっているかはすぐに理解できた。バクバク、心臓が激しく音を立てる。何で、他の女の人と。私はイシドさんの彼女とかそういう訳ではない。だけどいつも私を傍に置いてくれて、私に好きだと言ってくれて、そう言う事も私とだけしてくれて。…そう思っていた。私だけが、イシドさんから愛されているのだと。だけど違った。勘違いしていた、自惚れていた。部屋の中から聞こえる声に、耳を塞ぎたい気持ちだった。だけど、出来ない。動けない。ショックでたまらなくて。イシドさんにとって、私は所詮都合の良い女のうちの一人にすぎなかったのだ。

「…誰だ?」
「っ…!」

ふと、部屋の中からそんな声が聞こえた。何で人がいるって分かったんだろう。ドキドキしながら、ばれないようにそっと忍び足でそこから離れた。イシドさんの部屋からは遠い私の部屋。思えばそこにイシドさんから訪ねてくるような事はなかった気がする。私を呼んでいてもそうでなくても、いつも会いに行くのは私から。そんなこと気にした事はなかった。イシドさんに、会いたいとそう呼びだされるだけで嬉しかったから。当たり前と言えば当たり前かもしれない。私は普通の女で、イシドさんに唯一愛してもらえる存在だなんて、そんな風になれる訳なかったのに。

「馬鹿みたい…」

たどりついた自分の部屋のベッドに、ばたんと倒れ込んだ。好きで好きでたまらなかった。妖艶な雰囲気を持っていて、冷たいようで優しい所。偽りではないと信じていた。その優しさは、私だけのものだと信じていた。ベッドにうつ伏せになりながら、シーツをきゅっと握る。憎いのか、悔しいのか。正直、薄々気付いていた事だ。たまに香る香水の匂いで、イシドさんはもしかしたら私以外に女の人がいるのかもしれない、と。だけどそれはイシドさんのものだと自分に言い訳して、ずっと信じていた。自分が鈍いから悪い、実際に裏切られた訳ではないのに、裏切られた気分だった。確かにイシドさんは、私だけとは言わなかった。勝手に勘違いしていただけで、私たちの関係に名前はなかった。憎い訳ではなく、悔しい訳でもない。ただ、悲しい。寂しい。自分がみじめでどうしようもなかった。ぽろぽろ、今更涙があふれてくる。大好きなのに、イシドさん。私には、あなた以外考えられないのに。あなたはそうじゃなかった。私の事なんて、どうでもよかったんだ。

「…名前」

ふと、自分を呼ぶ声がした。私以外いないはずの部屋に、響き渡ったその声は。今まさに私の頭の中を占めていたその人の声だった。何でここに。一回も私に会いに来たことなんてなかったのに、何で今になって。それに、あの女の人はどうしたの。聞きたい事は山ほどあったけど、それが声になって出る事はなかった。

「泣いているのか」

クツクツ、笑いながら近寄ってくる足音が聞こえる。イシドさんのその声に、少し恐怖を感じて体が僅かに震えた。来ないで。思わせぶりな事をしといて、平気であんな事。言ってしまえば、ズタズタにされたイシドさんへの恋心。仕方ないと割り切れるものではなかった。

「ばれてしまっては仕方がないな」

相も変わらず、クツクツと笑いながらそう言うイシドさんからは、焦っている様子はうかがえなかった。ズキン、と心が痛む。ベッドに俯いているせいでイシドさんの顔は見えないが、きっと悪いとは少しも思ってはいないんだろう。余裕だとでも言わんばかりの声色に、更に涙があふれた。

「泣くな、名前」

ふわり、後頭部に温もりが触れた。ついにベッドの所まで辿り着いたイシドさんが、私の頭を撫でたらしい。優しい手つきに、ドクン、と心臓が音を立てる。その声も優しくて。何、それ。私は都合の良い女の一人のうちにすぎなかったんじゃないの。首を動かしてちらりとイシドさんを見ると、そこにはいつものように優しく笑った顔があった。ドクン、ドクン。イシドさんを好きだという気持ちが溢れる。何で、こんなに優しい表情。

「お前は、私が好きか?」
「…すきです」
「そうか」

私のおでこに、ちゅっと小さくキスを落とす。最低だと分かっていても、胸が高鳴るのは仕方がなくて。きゅっと目を瞑る。ぽろぽろと止まる事のない涙が溢れる。苦しい。こんなに好きなのに、この人にとって私は唯一じゃない。所詮、イシドさんにとっては他の女のひとに乗り換えられるような存在。苦しくてたまらなかった。

「お前は、これからもずっと私が好きなんだろうな」

クツクツと笑いながら言われたその言葉は、とても歪んでいるように聞こえた。グイッと腕が引っ張られて、ベッドの上に仰向けにされたかと思うと、その上にはイシドさんが馬乗りになった。さらり、長くない私の髪を掬って口付けをする。酷く近い唇に、ドクン、また心臓がひとつはねた。

「私もだ」

ニヤリと歪んだ唇が、低くて心地のいい声が、その妖艶な笑みが。その言葉が、私を更にイシドさんから離れられなくする。近い唇が近付く。抵抗なんて初めから出来るはずもなく、ゆっくり目を閉じた。好きで好きで、酷いと分かっていても離れられない。好きだから、離れたくない。

「私にはお前だけだ、名前」

含みのある声で、クツクツ笑いながら言われた言葉は、偽りだと分かっている。暗い部屋の中、この先ただこの人に堕ちていくだけど分かってる。だけど求めてしまう。いつか私があなたの唯一になれたら、と。そっと触れた冷たい唇は、私にとっては何よりも暖かかった。いつか、あなたの一番になれるなら。あなたにとっての私の存在意義を、私は今日も探しているのです。
















暗中模索
手がかりがないままに、
いろいろと打開策を試みること








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