白昼夢 | ナノ



「まずは偵察と行きましょう」

小狐丸がぬらりと刀を抜けば、白い柄から伸びる刀身と刃先が鈍く光った。その奥で敵陣を見据える緋色の瞳からじわりと黒い靄が滲む。


「視えました、逆行陣です」

大きな大きな背中はユイの背丈が随分伸びた今も昔と変わらない。人であるユイと刀剣である小狐丸。老いることを知らぬ彼等と、老いることしか出来ないユイが同じ時代を生きている。

実に奇数な人生だとユイは思った。あの日、審神者になることを選ばなければこのような人生は歩めなかったからだ。おまけに奇妙な本丸の審神者を務めているのだから人生とは分からないものである。……そんなユイは『もしも』を思わずにはいられなかった。

もしも、私が審神者でなかったら。
もしも、あの日私が祖父の本丸に行かなければ。

人間とは後悔する生き物である。ことある事に何度となく後ろを振り返ってしまうのだ。運が悪ければ過去に囚われもする。前だけ向いて生きられる人間はいない。見ないふりをしているだけで。



***


ユイとしては先程の事もあり三戦ほどしたら帰りたい気持ちでいっぱいだった。その他大勢にとって審神者同士のコミニケーションツールになる演練だがユイにとっては真逆。最早鬱陶しいともいえるだろう。それもそのはず、参加する度に何かしらトラブルが起こるのだから。
しかし本丸を出る前に「五戦しっかりと戦ってきてください」とこんのすけに念押しされてしまった。こうなっては放棄して帰還することは出来ないのだ。



「ふむ…」
「わ、どうしたの三日月」

そんなユイの隣に、いつの間にか蒼い狩衣の裾で口元を隠しながら佇む三日月がいた。

「…いやなに、小狐丸が随分と殺気立っているのでな」
「殺気…?」
「うむ、よほど次の獲物が待ち遠しいのだろう」


第一部隊の先頭に立つ小狐丸の視線を辿れば、そこには敵陣を仕切る白髪混じりの男がいた。合流場でずっと何を言うわけでもなくユイを睨みつけていたあの男だった。
成程、とユイは一人納得する。野生の勘と鼻のきく小狐丸のことだ。最も注視するべきなのは誰なのかいち早く気付いていたのだろう。


三条ばかりの特異な本丸であるが故に、僻み、妬み、プライド、その他諸々の感情を持つ人間に目をつけられることはしばしあった。加えて先程のように三条の神気に当てられ奇行を見せる者もいる。けれど彼女はまだいい方で、もっと悪質な輩はわんさかいる。例えば小狐丸がギラギラと殺気を纏った目で睨みつけている人物とか。
それにしてもほぼ毎日石切丸に祈祷をしてもらっているというのに、やはり御神刀の力を持ってしてもこの悪縁は祓いきれないのだろうか。いや、そもそも根本的な原因が三条しか顕現できないユイにあるのだからどうしようもないのだろうが。

そうこう考えていれば三日月が突然ぽんぽんと頭を撫でてきた。ぎょっとして彼を見上げると瞳の中に見える金色の月を弓なりにして、慈しむような笑みを浮かべているではないか。
三日月はこの本丸で一番最後に顕現された刀だ。彼がやって来てしばらく経つのだがこんなことは初めてだった。……そういえば、三日月宗近という刀は案外そういったコミュニケーションを好むのだとWiki○ediaで見かけたことがある。だとしたらこれは彼なりの慰めなのだろうか?「ほんっと平安の刀って、パーソナルスペースっていう概念ないよね」…ふと加州がそんな話をしたのを思い出した。


「ありがとう…?」
「主は厄介事を招きやすいな」
「うん、それは自分でも思うよ」
「ははは、しかし肝心な厄には気付いておらんなぁ」
「……?それってどういう意味?」

未だに頭を撫で続ける三日月がじぃっとユイを見つめる。ひんやりとした深い蒼は寒色だというのに優しい光を宿していて、きっと金色に輝く三日月がそう感じさせてくれるのだろう。
彼の瞳は芒の揺れる月夜ようだといつも思う。つい足を進めてしまいそうになる。それ程に高い神気を纏っている刀。天下五剣。そして、忘れてはいけない。彼は一番最後にやって来た。だからこそ、この本丸で一番神様らしい刀剣なのかもしれない。


「たまにはじじいも構ってくれ」

三日月の薄い唇から紡がれた唐突な言葉に思わず目を剥いて見上げてしまった。目が合えばニコッと人のいい笑みを浮かべている。

「えっと…?」
「ああ、そういえば小狐丸も寂しそうにしていたぞ」

するりと話題が入れ替わったように感じたが流されておくことにした。小狐丸が?寂しそうに…?そうはいっても執務の合間を縫って相も変わらずベッタリなのだけれど…?
湯汲みの時には浴室で柔軟剤のいい香りのするふかふかバスタオル片手に待機しているし(「ぬしさま、ばんざいしてください」と体を拭こうとするので丁重にお断りしている。私が幼かった頃の癖が抜けないのだろうか。もういい大人なのに)、厠まで着いてこようとしたりとか(ひよこ並み)逆に傍に居ない時間の方が少ない気がするんだけど。

余りにも心当たりが思いつかなくて再び小狐丸の方を見やった。透けて見えはしないと分かっていても、じいっと彼の背中に視線で齧り付く。すると隣にいた三日月が小首を傾げた。

「この御伽噺は小狐贔屓と聞いていたのだが…違ったか」
「何の話?」

三日月は時折、本当に訳の分からないことを言う。摩訶不思議度は三条の中でもピカイチだ。天下五剣ってみんなこうなの?不思議ちゃんばっかりなの?本人はまったく自覚はないようで「はっはっは」と笑うばかりだ。

「三日月ー!もー何してんの、はやく行くよー!」
「あいわかった。では主、行ってくる」
「う、うん、行ってらっしゃい」

そんなユイの葛藤虚しく、加州に回収された三日月はゆるりと手を振って部隊へと戻っていった。



それを見届けたユイはぺちぺちと自分の頬を叩き、仕切り直す。小狐丸が、寂しそうに…その言葉が頭の中で反響するのを押さえ付けるかのように。


***


小狐丸を先頭に第一部隊は二手に分かれ左翼を前進、右翼に向かって下っていった。
同時に法螺貝の音が鳴り、続いて銃声が鳴り響く。遠戦がはじまったのだ。弓が風を切る音、岩が砕ける音が木霊した後、鉄と鉄がぶつかり合う音が荒れ野原に響く。ユイはそれを小高い場所ににある本陣から腕を組み、見つめていた。決着が着くまで緊張感は胸にある。けれど。



「勝ちました」
「ありがとう、お疲れ様」

暫くすると大きな白い獣が誉まで攫って、したり顔で帰還した。いつもこうなることを信じている。彼らを信じている。だから余計な心配はしないことにしたのだ。
それにしても余程あの審神者が気に食わなかったのか派手に暴れてきたようだった。山吹色の羽織は大きく裂け、血飛沫が顔まで染め上げてしまっている。ユイはスーツのポケットから取り出したハンカチで彼の顔に飛び散った赤を拭ってやった。ついでにそのモフモフとした頭をしっかり撫でてやる。そこでふと、三日月からの言葉が脳裏に浮かんだ。

「小狐丸……」
「ねえねえ主、俺のことも褒めてよー」
「あるじさま、かちましたよ!」

瞬間に加州の声に掻き消され、びゅんと今剣が飛び込んでくる。そしてユイのスーツの端をきゅっと掴んで笑みを零した。その時ユイは初めて小狐丸の眉根に皺が寄っているのに気づいた。けれどそれも一瞬のことで。


「きょうのあいてはなんともいえませんでしたね…てづよくはありましたが…」
「そうだなぁ!だが手応えがあったのは確かだ!」

いつもの笑顔に戻った小狐丸を見つめ、何だかいけないものを見てしまったような気分になった。咄嗟に誤魔化すよう岩融と話す今剣の頭を撫でる。

「にしても、小狐丸が殺気立つのも無理はないね。ああいった輩との悪縁はすぐ断ち切った方がいい。帰ったら厄祓いをしよう」
「あ、石切丸も気付いてたんだ……是非おねがいします」

どうやら小狐丸が殺気立っているのは皆周知のことだったらしい。鳥帽子の先を揺らしながら石切パッパが言う。穏やかな彼が言及するとは、よっぽどの相手だったのだろう。
ふと、あちらの刀剣男士の様子を思い出して顔を顰める。あの剣呑とした雰囲気は私以外から見ても少し異常ではないのだろうか。それこそ三条しか顕現できないうちの本丸より、よっぽど。


「んじゃ、帰りますかー。早く湯汲みしたいし」
「ははは、加州は綺麗好きだなぁ」
「三日月は気にしなさすぎでしょ。ほらここ葉っぱついてるよ」


やいのやいのと解けた緊張感からいつもの六振りへと戻っていく。こんのすけにこの五連勝を見せつければまた暫くは演練に来なくて済むだろう、なんて悪い考えをしながら来た道を戻ろうとした時のことだった。



「おい、お前」

こんなことなら今すぐここで厄祓いをしてもらうんだったとユイは心の中で悪態をついた。声のする方に振り向けば、あの白髪の男が近侍もつけずに立ち竦んでいるではないか。ここが本当に戦場なら命取りとも言える行為だ。
それに合流場にいた時は遠目だったので分からなかったが、目の周りは窪んでおり不健康に見える。けれど身なりだけは大袈裟で、それが余計に不気味さを際立たせていた。にしても、この表情。どう見ても和睦的な顔ではなさそうだ。それに六振りの動きは早かった。瞬き一つで小狐丸たちが動き、ユイと男との間に立ち塞がった。



「なにか御用で……」
「お前、どうやって三条を集めている」

食らいつくように男はユイを睨み付け距離を縮めてくる。それに比例して加州の指が鍔を押し上げているのが見えた。


「えっと、さっきの合流場で聞いてましたよね?わたし、どうしてか三条しか顕現できないんです」
「嘘をつけ、そんな事有り得るわけがないだろう!!」

罵声が響き、ビリビリと男審神者の神気が暴れた。血走った目がユイを睨みつける。そして憎々しげに「俺がこんな小娘に負けるはずがない」と吐き捨てた。

ーーー負けるはずかない。

この言葉を同じような輩から何度として聞いてきたが、その度にユイは呆れていた。
そもそも演練とは何のためにあるのだろうか?答えは時間遡行軍と戦うべく審神者同士で切磋琢磨するためにあるのだ。決して審神者同士の自己顕示欲のためのシステムではない。寧ろ刀剣男士たちの経験値を増やすためのもので勝敗なんぞ二の次だろう。この男のように、ここまで執拗に勝ちにこだわる必要なんてないのだ。しかし、凝り固まった洒落頭に詰まっている脳味噌は聞く耳など持ち合わせてはいないようである。まったく叩いたって埃は出ないというのに、やはり分かってはもらえないものだ。

「何度も言いますが、三条しか顕現できないんです」
「黙れ、お前のような小娘がこれだけの刀を揃えているなど不自然だろう……!何か裏があるはずだ!!」
「裏も何も小狐丸は祖父から譲り受けた刀で、加州は政府からの初期刀。今剣、石切丸、岩融、三日月は顕現しました。三条しか現れないことについては時の政府でも未だに原因がわからないと…」
「……………わかったぞ…そういう事か…」
「あの、聞いてます?」

何なんだ、この人は。ブツブツと譫言を話す男にユイは思わず眉間に皺を寄せてしまった。この手の『会話は出来るが言葉が通じない輩』が一番厄介なのは知っている。粘着質な奴だな、もう無視して帰ろうかなと考えが過ぎったとき男の口元に嘲笑うような笑みが浮かび上がった。


「時の政府の役人に股でも開いたのか?そうだろう!!見るからに阿婆擦れそうだからなあ!!!!!」
「……は?」
「役人に股を開けるなら俺の相手もしろ、よく見れば上玉……」

瞬間、ダン!!!!!!と地に叩きつけるような音がした。男の身体が足払いをされて地面に叩きつけられた音だった。苦痛に顔を歪める男審神者の顔が視界に入るが、ユイは生理的嫌悪を覚えた。一体全体どうやったらそんな思考になるんだ?股開いて三条だけ揃えてどうなるっていうんだ?たった六振りでは、できないことの方が多いってのに。

「なにもしらないくせに、ころしてやりましょうか」

ポツリと、消え入りそうな声で今剣が呟いた。いつもの無邪気な笑みは消え、彼の紅の瞳か細まる。そう、カリフワ本丸で一番怒らせたら怖いのは今剣なのだ…。その隣で岩融の鋭い双眸が男を貫いていることに気づいた。刀剣随一の背丈を誇る彼に上から凄まれては地を這う男の顔が青く染まってしまうのも無理もない。
普段温厚そうな石切丸と三日月でさえ一応笑みを携えているものの、目は全く笑っていなかった。


「……ぬしさまへの愚行をこの小狐がみすみす見逃すとでも?その首、落とされても文句は言えぬぞ」
「オッサンさぁ、そーいうのセクハラって言うの知らないの?」
「な、なんだお前等…!」


殺気と犬歯を剥き出しにした小狐丸の刃が、地面に仰向けに叩きつけられた男の首に突き付けられる。ぴくりとでも動けばその皮に食い込み肉を削ぐだろう。成程、彼は頗る機嫌が悪いらしい。
そんな小狐丸の隣では加州が切っ先を突きつけたまま軽蔑の眼差しを送っている。完全にモブおじさんに睨みをきかせるJKだった。


「あー……今剣、こんのすけ呼んできてくれる?この人政府に突きだそう」
「りょーかいです!」
「主、この場で厄祓いをして帰ろう。いや、させてくれないかな?」
「そだね、塩撒いとこ」

このようにこんのすけを呼びつけることはカリフワ本丸の間では日常茶飯事だった。そしてこの男然り、厄介な輩はブラック本丸を築いていることが多い。故にユイは不名誉なことに時の政府からブラック本丸ホイホイと呼ばれているのを知っている。

そして今剣と入れ替わるように、石切丸が羽織から取り出した清めの塩を男や周囲に撒き始める。傍から見れば実にシュールな絵面であった。

「うん、荒療治ではあるけれど終わったよ。続きは本丸に帰ってからしようか」
「ありがとう石切丸。じゃあこんのすけが来たら、この人の陣地にいるって言っといてくれる?」
「ああ、わかったよ」
「主、俺もついていこうか?」
「ううん、大丈夫。ありがとうね加州」

そう言い残してユイは男審神者の陣地へ向かって歩き出した。
ユイはずっと気になっていたことがあったのだ。合流場での刀剣達の様子と、あの男が近侍も付けずに一人でやってきたこと。そして、ユイが考えていることが正しければ、あの刀剣たちはーーー。


演練での傷は自己修復されるが、それ以外での傷は修復されない。戦衣装を小綺麗にさせていれば周りは中々気づくことができない。なぜ負傷させたままにするのか。それはきっと真剣必殺を効率よく引き出すためだったのかもしれない。これはあくまでユイの予想でしかないが、もしそれが本当ならばあの男は傷ついた刀剣達を置き去りにして来たのだ。

「不本意かも知れませんが、手入れをさせてください」

相手陣営へと向かえば刀剣達が地に伏せていた。一番近くにいた一期一振にユイが近付けば何かを悟ったように目を伏せた。ユイはそれを肯定と受け取り、スーツのポケットにあるミニ手入れセットを取り出した。ユイが傷を癒す間一期一振も、他の五振りも、すべて分かっていたのだろう。誰も、一振りも言葉を発さなかった。









「ぬしさま」
「なあに」
「ぬしさまは優しすぎまする」
「…そうかな」

ユイの本丸、通称カリフワ本丸の広大な敷地の西側には大きなひまわり畑がある。その奥に西門があり演練場と繋がっているのだ。
ユイと六振りは真ん中の畦道を通って本丸へと戻っていく。その中で、いつの間にか隣に佇んでいた小狐丸が珍しく苦言を呈してきた。しかし、言葉とは裏腹に小狐丸の表情は憂いに満ちている。

今、彼の緋色の目には一体何が映っているのだろうか。音無ユイ?それとも、過去の音無ユイ?


ーーーあの男の本丸は、運が悪ければ解体されてしまうだろう。それは彼等の刃生の終わりを意味していた。付喪神から刀の姿に戻り刀解を待つことになるのだ。彼等はユイのことを憎むだろうか。それとも解放してくれたと喜ぶだろうか。……小狐丸が言いたいことはわかっている。祖父の本丸で唯一生き残った彼にはきっと、痛いほど分かるのだろう。



2017.08.31