白昼夢 | ナノ


見渡す限りの荒野をいつもどうりのスーツ姿で普段より背の低いヒールを鳴らしながら歩く。柔らかな風に揺られユイの長い茶髪は緩やかなウェーブを打ち、長い睫毛に覆われた焦げ茶色の瞳は前を見据えていた。そして剥き出しの大地に生える草たちを横目に、目的の場所へと辿り着いたのだった。

彼女、音無ユイの隣には本日の近侍を務める小狐丸が佇んでおり、傍には今剣が寄り添っている。その後には三日月宗近、加州清光、石切丸、岩融といつもの顔触れが後を追う。


「ひさびさのえんれん、たのしみですね!」
「ああ、骨のあるやつと殺り合いたいものだな!」

義経と弁慶組が意気揚々と宣言するように、三条しか顕現できない審神者であるユイとその刀剣たち六振りは久々の演練とあってか皆気合が入っていた。中でも小狐丸は段違いで、いつもより余計に毛艶が良いのがそれを物語っている。ちなみにユイのヒールを低いものに変えたのは彼で、少々足場の悪い演練場を考慮してのことらしい。

「ぬしさま、本当にお姫様抱っこは宜しいのですか?」
「その言い方だといつもねだってるみたいだからヤメテ」
「ん?主がねだるのは豆乳ぷりんだけだろう?」
「三日月うまいこというねぇ〜」
「確かに豆乳プリンに関しては駄々っ子だね」
「石切丸までひどくない?」


ここは時の政府が『演練』のために確保した空間。時間遡行軍の干渉もなくランダムで選出された審神者同士が手合わせをすることが出来る場所だ。日に二度ほど対戦相手が変わり錬度上げができるだけではなく五回戦のうち三勝または五勝するとデイリーボーナスとして資材やお札が貰えるのだ。また、演練で受けたダメージは終了と同時に全回復してくれるという特典付き………と、散々演練の良さを語った後で申し訳ないのだがユイは演練に行くのがあまり好きではなかった。今日だって連日こんのすけからの催促が鬱陶しくなってきたので渋々の参戦なのだ。


他の本丸がどうなのかは知らないが、カリフワ本丸の西門を潜り抜けると演練場へと繋がるようになっている。そこでは五人の審神者のために五つの陣地が存在し、門を潜った時点でそれぞれに振り分けられるのだそう。それからこの合流場にてお互いの練度や部隊編成を確認することになっているのだ。
そして今回も例に漏れず合流場へと出向いたのだが、瞬間、老若男女の視線が突き刺さる。すっかり慣れてしまったことではあるが、視線の正体は大袈裟な和装に身を包んだ審神者たちとそれぞれの刀剣で、皆おっかなびっくりと言いたげな顔だ。


「……なにか?」
「あ、いいえ!何でもありません…!」

近くでぎょっとしていた女性に声を掛けるも、慌てて首を振るだけで理由は教えてくれなかった。しかしその視線はユイのうしろに控える三条たちを捉えて離さなくなる。……あぁ、成程。察したユイは苦笑してやり過ごした。ついでにぐるりとその場を見渡してみれば視線を送ってくるのは一つではなかった。


どうやら『黒スーツの女審神者』『三条しかいない本丸』という噂が回っているのは本当のようだった。それであのおっかなびっくり顔。おまけに審神者は和装、という固定概念が浮き彫りになっているのが分かる。時の政府は服装については言及しないとのことでラフなスーツ姿を選んでいるというのに毎度毎度大袈裟に驚かれるのだ。
そういえばこの前の審神者会議のときも本当はスーツで参加したかったのだけど「審神者会議は厳粛な会議ですので、今回は正装で」と、こんのすけからNGを食らってしまい、結局管狐の目の前でAm○zonで見つけた純黒の巫女装束をポチってやった。だって、あんな可愛らしい赤の巫女装束、私には似合わなさ過ぎて嫌なんだもん。自分の首が乗っていると思うとゾッとする。
………そうそう、その審神者会議でも一悶着あったんだけれど、可愛らしい十代の審神者との出会いがあったの。その話はまたまた今度しよう。


そんなことを考えている間も目の前の気弱そうな女性は、未だ三条の、ユイの隣にいる小狐丸を凝視していた。だというのに『私が小!大きいけれど!』の獣は何処吹く風と言った様子で気にも止めていない。
そういえば祖父が『平安の刀は強い神気を持つから彼等の膨大な神気に慣れない者はあてられてしまう』と話してくれたことがあった。目の前の女性もそうなのかもしれない。本当に罪深い男達である。しかも本人達にその自覚はないのだから更に業深い。
そもそも場の空気すらもすっかり厳かなものに変えてしまう三条を『揃え持つ』本丸はまだまだ少ないと聞く。ましてや三日月を顕現した者となると一握りなのだとか。とどのつまり、そんな天下五剣を小娘が所持している方が異常なのだ。白い目で見られることは致し方ないとユイは思った。現に、白髪混じりの男から刺すような視線を受けているのだから。

ユイの父ほどの年齢だろうか、近侍には一期一振を従えている。そのうしろには江雪左文字、蛍丸、太郎太刀、次郎太刀、そして鶴丸国永。錚々たる刀剣たちが軒を連ねているというのに彼等の顔は、気のせいであってほしいのだが、かなり険呑としているように見えた。

と、その時。

小狐丸を穴が開くほど見詰めていた女性が、震える手を抑え、唇を震わせてこちらを見つめていることに気付く。しまった、あの男に注意を払いすぎてこちらのことを忘れていた。
彼女には三条の神気が濃すぎたのかもしれない。どんなに良いものも、過剰に摂取すれば毒になるのだ。

「あ、あの、わたし、前からずっと小狐丸が欲しくて…でも全然来てくれなくて…!いくら払えば譲ってもらえますか…!」
「な、何言ってんだ大将!」

急激にその場の温度が下がって、水を張ったように静まった。まるで氷水の中に放り込まれたような、そんな空気。
近侍の小狐丸がユイを素早く下がらせる。大きな彼の背に隠されていれば今剣がいつものように寄り添ってくれた。守り刀は懐にあるものだから彼との距離はいつも近いのだ。「あんしんしてください、ぼくがいますよ!」と囁く今剣に静かに頷く。
一方、肝心の女性は、近侍なのだろう薬研藤四郎に支えられ声を掛けられるも虚ろな表情のままで譫言は止まない。

「ぬしさま」

すると、小狐丸に耳元で催促するように声を掛けられた。顔を上げれば、その緋色を見れば彼が何を言わんとしているのかユイはすぐに察することが出来た。何故ならユイが演練に行く気になれない理由がこういった厄介事にあるからだ。


「ごめんなさい。小狐丸を譲ることは出来ないの。勿論、他の刀達もね」

ユイの声に言霊が宿ったのか、はたまた三条たちの神気を中和したのか、女性の瞳に生気が戻ってゆく。やがて目の焦点が合い、ユイを映しだすと同時に顔色がみるみるうちに青くなっていく。どうやら自分が何を口走っていたかは覚えていたようだった。

「あ、あ、わた、し、とんでもないことを…!」
「気にしてないからゆっくり休んで。……それと、貴女だけの小狐丸に出逢えますように」

審神者の言霊はとびっきり効くものだ。自分に掛けるのは難しくてもユイのものは、それはそれはよく効く。
それにしても"貴女だけの"その言葉に自分で言っておきながら後ろ髪を引かれるなんて。
ユイは自嘲して己の陣地へと向かうべく踵を返した。そして部屋の隅から未だ向けられる鋭い目線を感じながら、三条と加州と共に己の陣地へと向かったのだった。