白昼夢 | ナノ
加州清光は暇があれば雑誌を眺めるのが好きだった。万屋の新商品が載ったカタログやユイが現代から持ってきたファッション雑誌など、とにかく興味の湧いたものは片っ端から熟読していくのが好きらしい。着飾るのが好きな彼らしいといえばらしかった。
パラパラと雑誌のページを捲っては「これかわいいー」とか「やば、これも可愛い」などと独り言を呟く加州の向かい側で、ユイが長々と書かれた買い物リストを眺めていた。


ユイの執務室はこの本丸唯一の洋間で、尚且つ無駄に広かった。中央には二脚のソファーがテーブルを挟んでおり、近侍や執務室にやってきた者のために置かれていた。一方、執務室の一番奥にはユイの作業デスクが並び、壁にはぎっしりと詰まった本棚が備え付けられている。これとは別に書庫もあるのだから、ユイの本好きが伺えた。

話が逸れてしまったが、今日は前に約束したとおり、加州と買出しに行く日だった。重量があるものは定期購入して、細々したものは自分たちで買い込むことにしているのだ。例えばみんなの分のお茶っ葉とお八だとか今剣の新しい綾紐、石切丸の半紙と墨汁、岩融と三日月の新しい草履の鼻緒、小狐丸の非常食のとん兵衛のきつね、など様々。その付き添いという名目で、加州の楽しみにしている爪紅を購入しにいくのだ。


「ねー主!これとか可愛くない?」
「ん?どれ?」
「このボルドーの!ストーンも付いてて可愛い!」

加州が万屋の雑誌から目線を離し、顔をあげる。どうやら吟味が終わったらしい。ページ中央に載るそれはいかにも彼が好みそうなデザインのネイルチップだった。

「ほんとだ、加州によく似合いそうだね」
「でしょでしょ?付け爪やってみたかったんだよね。あーでも刀握るしすぐ剥がれちゃうか…。スカルプは長すぎるし無理だから、これならどうかなって思ったんだけど」

女子より高い女子力の持ち主である彼はこういった自分磨きに余念が無い。横文字に滅法弱い三日月が「ねいる…?」と首を捻るのに対して、現代の知識も豊富な加州は色々と話の通じる相手でもあった。


「……最近、加州が男の子なの勿体ないなって思うよ」
「ねえ、それって褒めてんの?」
「褒めてる褒めてる」

頭の中に、艶やかに胸まで伸びた黒髪を巻いた加州が現れた。長い睫毛はビューラーでぱっちり上げて、アイホールにはベースのベージュを、目尻には薄づきのボルドー。唇にはマットな赤リップ。そして、めちゃくちゃ長いスカルプを付けた姿を想像して、やめた。それはそれで強そうだけどヤバイ。うるヴぁりんになっちゃう。


「あ、そうだ。今度現代にフットネイルしに行くんだけど、加州も一緒にいく?」
「えっ!連れてってくれるの?!」
「うん、いつも行きたそうにしてたから、この前店員さんに聞いてみたの。そしたら男性もOKだっていうから、一緒に行こうと思って」
「あーもー!主、ほんっと大好き!」
「あはは、加州っていつもそれ言うよね」
「何回だって言うよ、だって愛してるから!」
「ふふ、ありがとうね」

加州はよく花弁を散らす、感情豊かな刀だ。一つ一つ、私の言葉に一喜一憂する、可愛い刀。そしてユイの大事な初期刀なのだ。

「じゃ、そろそろ買出しに行こうか」
「よーし、買出しに出陣だー!」
「テンション高っ」



***



わいわいと賑わう城下町の片隅にある万屋。そこで無事に買い物を済ませたユイと加州は紙包みを持って店を出たのだが、突然の雨が振りはじめてしまった。慌てて引き戻し番傘を二本購入したのだが、どうにも雨風が強い。それならと近くの甘味処で一休みして、もう少し雨が弱まるのを待つことにした。

「俺は桜あんみつにするけど、主は何にする?」
「豆乳わらびもち」
「だと思ったー」

加州はいつもこの店に来る時は、桜あんみつを頼む。「どうして?」と尋ねれば「だってかわいいでしょ」と口を尖らせて言うのだ。確かに上に乗っている桜の花びらとさくらんぼ、あんこの下にあるカラフルな寒天、上にかけられた黒蜜は和製パフェのようで可愛らしい。そんな見た目重視の加州に対してユイは新作の豆乳わらびもちに即決した。それもそのはず、ユイの大好物で激しい競走をかいくぐり購入する豆乳プリンは、この甘味処から万屋へと売り出されている数量限定商品なのだ。同じ豆乳が使用されているのだから、ユイが見逃すはずもなかった。ちなみにあの豆乳プリン、プリン界隈の三日月宗近だといえば貴重さを分かってもらえるだろうか。



ふとユイは、甘味屋の窓枠から外を見やった。一帯には万屋だけではなく、こういった甘味処やコンビニなど様々な時代のお店が所狭しと建ち並んでいる。どうやら審神者も様々な時代から集められているらしく、そのニーズに合わせてこの街は作られているようだった。

そんなことを考えていれば先程ユイたちが買い足した番傘が目に入った。パッと広げられたそれは、もしかしたら私達のように急な雨に降られて買い足したのかもしれない。傘の陰からちらりと覗いた横顔は、確か、燭台切光忠ではないだろうか。

決して惚けていた訳では無いのだが、自分の本丸に居ない刀剣が物珍しくてつい目で追ってしまう。祖父の本丸に出入りしていたとはいえ、ユイ自身が顕現していた訳では無い。頭の中のあやふやな記憶に残る燭台切はいつもはにかんでいて、料理で相手を持て成すのが好きで、お洒落な刀。
けれど目線の先の燭台切は右肩は傘からはみ出しており、白のワイシャツが肌に張りついてしまっていた。どうやら隣の審神者を濡らさまいという配慮らしい。傘が反対側に少し傾けられていた。



「物珍しそうに燭台切なんか見ちゃって。どうかしたの?」

加州の声に視線を戻せば、あんみつをスプーンですくって、それを口に運ぶ彼の紅色の瞳と目が合った。少し拗ねたような口調だった。

「相合傘してるから微笑ましくて、ついね」
「……あ、ほんとだ」

加州もその先は口にしなかった。ただ私達は万屋で番傘を二本買い足していて、彼等は敢えて一つの傘に収まっている…。わざわざ相合傘をする理由なんて一つだけなのだ。


「うちの本丸にはいない子を見かけるとなんだか新鮮だね」
「あー…、そうだね、」
「…加州?どうかした?」

途端に加州の表情が固くなる。視線をあんみつに落として、執拗にスプーンで餡子の下の寒天を掘り起こしていた。


「………主はさ、やっぱり他の刀が、」

譫言のように言いかけて、加州は口を噤んだ。そして誤魔化すように無理矢理笑って見せて、手をひらひらと振る。

「もー、さっさと食べて帰らないと小狐丸に小言いわれちゃうよ」
「加州、」
「ほら食べて食べてー」

加州はよくユイを理解していたし、ユイも加州の性格を理解していた。だからこそ彼はこうやってユイに尋ねかけたのだろう。彼をそうさせる理由がなんなのかは分かっていた。いつも他の本丸の刀剣を見かけると、悲しそうな顔をしていたから。







大好きな豆乳をお腹に収めてから、ユイは番傘を片手に持ち、人が行き交う道を歩いていた。一歩後ろを加州が付き添い歩く。けれど、ユイが足を止めたことで加州が前に出た。


「ねえ加州。さっきの事なんだけど、私、続きが聞きたい。どうしたの?」

ユイは聞かなければならないと思っていた。何故なら加州があんな風に零すことは、滅多とないからだ。いつも嫌われまいと努力する加州を知っていたから。
ユイの声かけに振り返った加州はしばらく押し黙っていた。


「………時々、このままがいいって思っちゃって、でも、そんなの駄目だって分かってるんだけど、」


傘が別々だから、表情は窺えない。このまま、とはきっと本丸に六振りしかいないこの状況のことだろう。三条しかやって来ない、不自然で、おかしな本丸。それがユイの本丸だった。本来なら粟田口の短刀達や打刀、脇差、太刀、大太刀、薙刀、槍…様々な刀たちがゆっくりと集まっていたことだろう。けれど、ユイの本丸は、そうはならなかった。お陰で第一部隊しか組めず、近侍が内番をこなしたりと負担を強いられているというのに。それでも加州は、これからもそうあって欲しいと願っているようだった。


加州清光という刀の口癖は「可愛くしてるからいつまでも大事にしてね」だった。着飾っていれば主に可愛がってもらえると信じ続けている健気な男士だ。そして酷く、主であるユイから愛されなくなることを恐れ、この本丸に新しい刀剣が来ることを不安視していた。刀剣の数が増えれば自分はそれに埋もれ、忘れ去られてしまうと思っているのかもしれない。

そういえば、まだ本丸を立ち上げたばかりの頃、重傷を負った加州を手当していたときに「修理してくれるって事は、まだ、愛されてんのかな」と、熱に魘されたかのように呟いたことがあった。ユイはその言葉をよく覚えている。あの悲しそうな表情も。絞り出すような声も。今では随分と練度が上がり聞くこともなくなったのだけれど。

後に調べた文献によると、沖田総司の刀であった加州清光は池田屋事件の際に刀の先端である帽子が折れるほどの損傷を負って修理に出されたらしい。その後どうなったのかは不明だ。けれど、加州のあの言葉を聞くに、結末は容易に想像できた。



「ねえ加州」
「……なに?」

紅色の瞳がちらりとユイを見る。ユイの言葉を待っているようだった。


「あのね、わたしは加州が思ってるより、ずっと加州のこと愛してるよ。加州が私にいつも言ってくれるように、わたしも加州を愛してる。だって、あの本丸で初めて手にした、"わたしだけ"の初期刀なんだから」
「!」

番傘が浮かび上がるように跳ねて、加州の顔が見えた。見開かれた紅の瞳が真っ直ぐユイを見つめて、辺りに桜の花びらが舞う。その紅は同じ赤なのにユイのよく知る緋色とはまた違う色味の瞳だった。そう、加州はユイにとって初めての刀剣だった。本丸を立ちあげる際、小狐丸は既に手元に居たが、彼は元々祖父の刀。ユイだけの、初めての刀は加州清光以外にいないのだ。

「あるじ、」
「それにね、加州のために早く大和守安定を迎えてあげたくて…私、」
「…っ、主!」
「加州?」
「もう大丈夫。俺、こんなに愛されてるなら、大丈夫だから!」

やがて、見開かれた瞳はゆるゆると細まり、泣きそうに破顔する。ユイはその言葉を聞くと小さく笑った。そして、加州へと一歩近付く。


「帰ろう、みんな待ってるだろうから」
「……うん!」

加州は目尻を下げて笑う。雨降って地固まるとはよく言ったもので、これで一つ、加州の靄が晴れて洗い流されるのなら、雨も悪くない。

…ふとユイの脳内で先程の燭台切が審神者に向けていた眼差しが思い起こされた。それに重なるようにユイは入道雲の映えるこの本丸の、緋色の瞳を思い出したのだった。