白昼夢 | ナノ
この本丸の景趣はほとんどが夏だ。ユイが気まぐれに変えることもあったが、それでも圧倒的に夏が多かった。空には入道雲が広がっており遠くから蝉の鳴き声がする。夏とひとくちに言ってもずうっと同じ気候なわけではなく、朝はひんやりとしているし突然の夕立だってある。ある日は蒸し暑かったり、カラっとした日があったり。今日はいくらか涼しいのでエアコンも掛けずに吹き込んでくる風を招き入れることにした。ぶらさがる簾が小さな音を立てる。隣でカランとぶつかる音がして、汗をかいた硝子のコップの中で四角い氷が転がった。


「こんぺいとう…?」
「そう、コンペイトウ」

灰色の透き通る髪をいつもよりしっかりと結い上げて、うなじを晒した今剣が手のひらに転がるそれをまじまじと見つめている。様々な色のそれが星の形を成した、見ているだけで綺麗なお菓子だ。まだユイが今剣ほどに幼かった頃、虫歯になるからと母から一つずつ渡されて、それを宝物のように扱っていたのを思い出した。


「ほら食べてごらん、あーん」
「…あーん」

口を開けた今剣の口に白色の金平糖を放り込めば恐る恐る口を動かしはじめる。まばたきを一つしたころ、すっきりとした紅色の瞳が見開かれた。

「あまいです!」
「あはは、砂糖で出来てるからね」
「おいしいです、こんなの、はじめてたべました!」

甘いだけの砂糖の塊。でもそれがいいのだろう。今剣が両手で頬を押さえるとひらひらと花びらが舞った。どうやらその甘さにうっとりとしているようだった。
そういえば、織田信長の生きていた南蛮時代には金平糖三つで城が建っていたらしい。砂糖の塊がたった三つで家、しかも豪邸が建つのだ。今じゃ全く考えられない話である。でも、それほどまでに砂糖は貴重なものだったのだろう。……今剣はその時代よりも遥か昔の刀なので金平糖の存在を知らなかったようだけど。



「なにそれ?金平糖?」
「そうそう金平糖。加州も食べる?はい、あーん」
「あーん」

ちょうどその時、加州が廊下を通りかかって立ち止まる。ユイと今剣を交互に見つめてから、手元の甘味に目を輝かせた。あ〜んが嬉しかったのか、照れ臭そうな加州の口の中に赤い金平糖が消えていく。もごもごと舌で味わうようにしてそれを溶かしているようだった。



三人がいたのは風通しの良い広々とした吹き抜けの居間で、ぶらさがった簾が日差しを遮ってくれていた。ユイはここでぼーっと本を読んだり、お昼寝をしたりしてオフの日を過ごすことが多かった。寝転べば目線の先に入道雲が入り込んできて、心地よい風が頬を撫でるのだ。

お昼まで『池田屋の記憶』をぐるぐると周回してきた彼等を休ませるため、午後からは仕事も取りやめることにした。綺麗好きの加州はすぐさま湯汲みへ向かい、他の者もその後に続く。そして、一番に帰ってきたのが今剣だった。

夏の風物詩といえばキンキンに冷えたビール、大きめの氷の入った麦茶、水にさらした素麺、風に揺れる風鈴、線香花火、スイカ割り…などと様々だ。うちの本丸は年がら年中麦茶なのでちょっと風物詩とは言えないけれど。
硝子のコップが二つ、卓の上ですっかり汗をかいて小さな水溜りを作っている。それを余所目にティッシュを一枚敷いて小瓶を二度ほど振れば金平糖がコロコロと転がり落ちてきた。

「こんなにあまいのに、おほしさまみたいですね!」
「たしかに、砂糖の塊には見えないよなー」
「ふふふ、今剣の言う通りお星さまで、夜空から掻き集めたのかもね…うん、そうだといいなあ」


卓のそばに腰掛けた加州のために冷蔵庫から取り出した麦茶を氷入りのコップに注いで手渡しながらユイは呟いた。この広い広い本丸では居間やユイの執務室から厨房が遠いため、このように人が集まる場所には冷蔵庫や食器棚を備え付けているのだ。

そんなユイの隣では未だ今剣が熱心に星屑を見やっていた。


「あるじさま、これとこれで、ぼくと岩融ですね!」

かと思えば今剣は突然口を開くと、二粒の金平糖を指さしてそう言った。今剣は分からなくもないが、いや、それにしたって小さすぎる、この小粒な金平糖があの大きな大きな岩融…?突然のことに加州はきょとんとした顔になり、ユイはゆるりと笑顔になった。


「さっすが今剣、よくわかったね」
「えっへん!ぼくはてんぐですから、あるじさまのかんがえることはわかりますよ!」
「え、なになに話が読めないんだけど?」
「んー、これ、みんなに似てない?」
「みんな…?」

不思議顔だった加州の顔が小瓶を見つめてから暫くして、パッと明るくなった。小瓶の中でキラキラ光る金平糖の色は白、赤、青、緑、紫、黄……どこかで見たことのある配色だったのだ。
そして今剣が指さしていたのは白と紫の金平糖。二人の身に纏う紫は、勝負と同音で好まれた菖蒲の花の色。そして義経公の具足の色もまた同じ。岩融とは元の主は主従関係にあったため、同じ色を纏っているのかもしれない。


「ちなみに加州には赤の金平糖をあげました〜」
「………俺、主のそういうところ大好き!」
「ふふ、ありがとう」


片手で両目を覆った加州が上を向けば、今度は彼からひらひらと花弁が舞いはじめる。ユイはそんな二人を微笑ましそうに見つめ、立ち上がった。向こうの廊下から藍色に藺草色、菖蒲色と山吹色が見えたからだ。

またも冷蔵庫に向かい一段を占領していたザルたちを卓へ運ぶ。さっぱりしたものが食べたいと零した三日月のリクエストの、素麺だった。気のせいか昼をすぎて少し蒸し暑くなってきたように思う。これでは益々素麺が美味しく感じるはずだ。……ふと卓に並べた新たな硝子のコップを見やる。あの四振りがここへ着く頃にはとっくに硝子が汗をかくのだろうか。

そんなことを考えていれば、今剣が慌てたように声を上げた。



「たいへんです!あるじさまのいろがありません!」
「あらら、ほんとだねえ」

ユイはのんびりと笑いながら返した。たしかに彼等六振りの色はあってもユイの色は無かった。それもそのはず、ユイはこの六振りを思って購入したのだから、まさか自分の色など連想すらしていなかったのである。

「あるじさまのいろ、どうしましょう…」
「主の色ってやっぱり黒?」
「ええー、黒い金平糖?なんか失敗した刀装みたい…」
「あー…たしかに…」


加州はほとんど冗談交じりだが今剣は純粋ゆえに大真面目に悩んでいるようだった。おまけに目に見えて肩を下げるものだから、ユイは何やら上手い返しは無いものかと考えを巡らせて、ピンと思いついた。



「じゃあ、私がこの小瓶になろう」
「………こびん、ですか?」
「うん。そしたらいつまでも、みんなが一緒に居られるでしょう?」



小さな砂糖の塊がばらばらにならないように。一度集まった星粒たちが離れ離れにならないように。
ユイの脳裏で、祖父の本丸の刀剣たちが浮かんでは消える。彼等が人の身を得て笑顔になるのも、声を発せるのも、手を繋ぐことも、それは審神者によって顕現されたからであって。
ふわりと山吹色が吹き抜ける。丘の向こうにあるひまわり畑のそれによく似た彼は「溶ければ皆鉄よ」といつも口にする。ならば解けぬようユイがこの六振りのために采配を振るえばいい。けれど、たったそれだけの事が、どうして。


「あ、そういえば今日の誉は今剣が取ったんだよね?」
「はい!やせんはとくいですから、がんばりましたよ!」
「よーしよし、頑張った御褒美にこれをあげよう」
「ほんとですか?!やったー!」

ユイは微笑みをひとつ零して金平糖を今剣へと手渡した。受け取った小天狗は小瓶を上へと掲げ、飛んだり跳ねたり大喜び。涼しげな紅の瞳で、きらきらと光るそれを満足げに見つめた。
きっと義経公にお目見えすることが出来たとしたら、今剣のように身軽な人なのかもしれないな…とユイはぼんやりと思った。現代に住む私達は伝承でしか彼を知らない。そんなユイと過去を繋ぐのが今剣たち刀剣で。彼らは過去を守るためた己を振るうのだ。いつも真っ直ぐな目でユイを見つめながら。


「いーなー、俺も御褒美貰えるように頑張ろっと」
「ふふ、加州もいつも頑張ってるから今度一緒に万屋行こうね。爪紅の新作が入ったってカタログ来てたから」
「もー!主大好き!愛してる!」


くるくると周り小瓶を持って花びらを散らす今剣と、ユイの手を握り目尻を下げて笑う加州も花びらを散らす。この二人はよく花びらを散らすなあとユイは呑気に思ったのだった。


「なにやら随分と楽しそうだな、今剣よ!」
「岩融…!みてください、あるじさまからほうびをいただいたんですよ!ほうらこれ、ぼくと岩融でしょう?」

湯汲みを終えてやって来た岩融が声をかけた。今剣はそんな彼を見つけるや否や小瓶を頭に乗せ、嬉しそうに飛び跳ね駆けていった。聞き手に回る岩融はギザギザの歯を見せて終始ニコニコ顔だ。


「おや、賑やかだね。何かあったのかな?」
「うん。金平糖がね、嬉しかったみたい」
「金平糖?」

後から続いてきた石切丸が声を掛けてきた。続いて三日月、小狐丸の三振りが見えて腰掛けていく。彼等は今剣の様子を見て「ああ、成程」と笑みを零す。
卓の上では、硝子のコップがすっかり汗をかいていた。