白昼夢 | ナノ




「あるじさまー!」

食堂へと足を踏み入れれば元気の良い声がした。灰色の透き通った髪を揺らしながら駆けて来るのは、今剣だった。その後ろでは他の五振りが上座を開けて腰掛けている。

ユイはこの大広間へやって来る度に違和感に苛まれる。大勢の刀剣たちが肩を組み、笑い、酒を酌み交わす。時代を越えて、本来なら相見えることのない刀剣たちが人の身を得て縁を深めていく。ユイはそんな本来の姿を知っていた。だがそれは、既に過ぎ去った白昼夢でしかない。

この本丸の五振りは閑散とした大広間に違和感すら感じていないようだった。それもそのはずで、彼等はこの異質な本丸しか知らない。ユイが審神者の任に就いて半年が経とうとしているが刀剣は未だ六振りしか現れず、しかも三条派ばかりが集まっている。おまけに時の政府すら原因を突き止められずにいるのだ。けれどこれこそが、彼等にとっての常で。

きっとこの物寂しさは祖父の本丸を知るユイと、祖父の刀剣だった小狐丸だけが知っているのだろう。



「あるじさま、きょうのあさげは岩融と石切丸がつくったのですよ!こんだてはさかなのしおやきに、こまつなのおひたし、みそしるのぐは、おとうふとわかめです!」
「わ、豆腐入ってるの?嬉しいなあ」

今剣に腕を引かれ五振りの元へと向かい、上座へと腰掛ける。すると今日の炊事当番の二人が口を開いた。


「一応、君の好きなものは心得ているからね」
「少々形は悪いが味は良いぞ!」

朗らかに笑う石切丸はユイの好きな豆腐を味噌汁に沢山入れたがる癖があった。この本丸唯一の大太刀である彼は礼儀正しく規律的だ。けれど何処かのほほんとしている、一緒にいて安心する相手でもあった。そんな彼は普段からユイの体調を気遣っており不摂生しないよう説いている。しかし食べ物に関しては甘やかすことが多かった。以前風邪を引いた時に作ってくれた生姜入りの豆腐鍋を絶賛してからというものの、ずっとこうなのだ。
岩融は現在実装されている刀剣の中で唯一の薙刀で、そのためか背丈は刀剣随一。身体も掌も大きいため、どうしても細々とした作業が苦手なようだった。けれど料理の腕はピカイチ。今剣の遊びにも付き合ったり、自分よりも小さいユイのことも気に掛ける面倒見のいい男だ。…………というようにユイはこの圧倒的父性の塊の二振りに今剣共々、よく御世話されているのであった。






「いただきます」

しっかりと両手を合わせてから箸をとる。ユイはひとくち味噌汁に口を付けるとその美味しさに舌鼓を打った。出汁の風味の良さが眠っていた身体を目覚めさせてくれる。それから、ほっけの塩焼きの身をほぐすことにした。肉厚な身を箸でつまみ上げ、口へと運んで咀嚼すれば口いっぱいに白身魚のさっぱりとした味と塩気が広がった。


「はあ…おいしいなあ…沁みる…」
「それは良かった、作った甲斐があるよ」
「主、言ってることがお婆ちゃんみたいなんだけど」
「ははは、ならばじじいとお揃いだなあ」
「そんなお揃いはちょっと…」
「ぬしさまとお揃い?三日月、そこを変わらぬか」
「ちょっと、そこ喧嘩しないでよ?主も笑ってないで止めて!」
「岩融、このおひたしも、さいこうですよ!」
「あまり褒めてくれるな、照れるであろう」
「だって、ほんとうのことですから!ね、あるじさま!」
「うんうん、おいしいよね。幸せだなあ」



皿の上の御数がほとんど見当たらなくなった頃、皆から段々と声が溢れていく。そして最後には小狐丸の昔話がはじまるのだ。といっても、すべてユイの話なのだが。


「ぬしさまを大豆好きにしたのは何を隠そうこの私です」
「え、それホントなの主?」
「んー、たしかにやたら油揚げとかいなり寿司とか食べさせてくれてたかも…」
「油揚げの元の元は大豆。大豆の素晴らしさを懇々と説いておりましたゆえ」
「今思えばただの餌付けだったけどなあ。あ、でも豆腐で作った葛餅は中々いけたよ」
「ねえ前から思ってたけどさ、主って結構食いしん坊だよね」
「うん?豆乳プリンなら三十個はいけるけど?」
「万屋から豆乳プリン消えちゃうじゃん」


加州がスクスクと笑い、みんなも釣られて笑う。それを見てユイはいつも思うのだ。この本丸はきっと、どこからどう見たって異質な本丸だ。他人から見れば歪でしかないんだろう。他の審神者に根拠もない噂を立てられたこともあった。例えば、三条の刀剣だけ残して皆刀解している、だとか。ユイは他人の評価を気にする質ではなかったので堪えなかったが、他人の目から見ればそう見えてしまうものなのだなあと不思議に思った。だって、彼等はこんなにも笑っているのに。

外から見える私たちと中から見ている私たちではまるっきり違うのだ。外はカリッと中はフワフワ。甘いのか塩っぱいのか、食べてみないと中身は分からない。ここはそんな本丸なのに。









「はい、では今日の内番を発表します。馬当番は三日月と小狐丸、畑当番が加州と今剣、手合わせは今日は休み。だから石切丸と岩融は非番ね。で、今日の料理当番は私が請け負います」
「わーい!あるじさまのごはん、とーってもおいしいんです!」


朝餉後、お膳を下げてから毎日の日課である内番発表を行う。いつものように六振りでローテーションを組み、それぞれの担当を伝えていく。そして炊事当番は私が請け負う事にした。今のところ根を詰めて行うイベントもないし、時間に余裕はある。

皆がそれぞれ足を進めはじめる中、小狐丸は黙ってこちらに緋色の瞳を向けていた。今も昔も彼の芯のある目は揺るがず、ユイを見つめている。


「今日の近侍、よろしくね」
「はい、喜んで拝命致します」

だというのに私の瞳は未だあの日を映し込んでいた。あれは蒸し暑い夏のことだったと思う。祖父から小狐丸を譲り受けることとなったその日、今日と同じように彼は頷いたのだ。「先に内番を済ませて参ります」と言って去っていく小狐丸の大きな背中を見つめて、ユイはゆっくりと目を伏せたのだった。