白昼夢 | ナノ



この本丸の審神者である音無ユイは目が覚めていつものように顔を洗うと白いインナーと黒スーツに袖を通し細身のボトムを履く。和風な造りの本丸では多少浮いてしまう装いだがユイはこの身軽さが好きだった。


皆と朝餉を食べ終えてから机に向かいノートパソコンを開くと毎日の日課である出陣の部隊編成を組み刀装の有無などを確認していく。途中昼餉に呼ばれて席を立ち、戻ってきてからも再び作業を進める。やがてすべての作業を終えてから壁掛け時計を見やればいつの間にやら御八つの時間になろうとしていた。





「ぬしさま、ぬしさま」
「はあい、なんですか」

たっぷりとした毛艶のいい白髪を揺らし、緋色の目をした刀剣がじりじりとにじり寄ってくる。一匹は昼餉を食したあとからずっとこの部屋に居座っていた。

彼の名は小狐丸。三条宗近が一条天皇に奉納するべくして作られた刀であり、稲荷神社の精霊である小狐が相槌を打って作られたとされる伝説の太刀である。
しかし、小狐とは名ばかりで彼の身長は大柄な岩融と並ぶほどに大きい。


「ぬしさま、いつになれば小狐のお子を産んでくださるのですか」

唐突だ。目の前の真っ白な獣はいじけたように、それでいて至極真剣な眼差しでそう言った。画面から顔を上げればキィとキャスター付きの椅子が鳴った。障子の向こうは小鳥の囀りが聞こえてくる昼間だが、彼にはそういう概念がないのかもしれない。


「小狐丸、毎日言ってて飽きないの?」
「ええ、飽きません。狐は執念深いのですよ」
「うん。それはよく知ってるよ」

小狐丸はユイをじっと見つめ獲物を狙う狐のように、今か今かと返事を待っているようだった。その様子にユイは思わず笑みを浮かべてしまう。今の小狐丸の耳は、外で今剣と岩融が襖のすぐ向こうで鬼ごっこをしていてもさらさらと半紙に筆を滑らせる音ですら聞き逃さないような気がした。






私の育った家は普通の家庭だ。父も母も審神者ではない。普通の社会人と主婦。私はその二人の間に生まれた。

唯一変わったことがあったとすれば、私の祖父のことくらいで。生業としていたのが神主であったからか彼はいつも和装で居た。祖父宅に泊まる際は浴衣が用意されていたし、走り回ればせっかく着付けてもらったのに着崩れると両親に叱られたものだ。そう、わたしが和装を好まないのはそのせいだったりする。元来動き回るのが好きな私にはただの苦行である。けれど祖父のことは大好きだった。

祖父はいつも背筋がピンと伸びており緩やかな人で、頭も良く博識だった。そして何より色んな"しきたり"を知っていた。それこそ、人のものから人ならざるモノのことまで。

そして彼もまた審神者であった。父にはその血筋が遺伝せず、私にまるっと受け継がれたらしい。



「幼き頃のぬしさまは、毎日のように好いていると口にして下さっていたのに…」
「んーそうだったような気もするねえ」
「ぬしさまが覚えていらっしゃらずとも、小狐は昨日の事のように思い出せますゆえ」


私はまだ幼い頃、何度か祖父の本丸を訪れていた。朧気な記憶に思いを馳せる。今は亡き祖父が頭の中で朗らかに笑う。沢山の刀剣たちが笑顔で出迎えてくれてたというのに、その多さに驚いてしまい祖父にしがみついて泣いたことがあった。
引っ張り出された記憶がぷかぷかと頭の中で浮いている。けれど、所々に虫食い穴があって。

目の前の小狐丸もうっとりと顔を緩ませ、私が豆粒くらいの頃に思いを馳せているようだった。刀剣の身である彼にとって祖父と過ごした時間と私と過ごす時間がどんな早さで進んでいるかは想像がつかない。けれど、彼の心の中で生きていることは確からしい。

そう、彼は祖父の本丸にいた小狐丸なのだ。



「主ー。入ってもいい?」
「ああはい、どうぞ」
「失礼しまーす」


と、その時。掛けられた声の方を向けば色白で紅色の双眸を持つ黒髪男士が襖からひょっこりと顔を出した。瞳と同じ臙脂色の和装袴姿に長い襟足を結っていて横髪の傍ではイヤリングが鈍く光っている。
彼の名は加州清光。ユイが最初に選んだ一振り、つまり初期刀であった。

「はい主、今日の御八つ」
「わ、豆乳プリン!」
「小狐丸もどーぞ」
「有難う御座います」
「多分主の部屋かなーとは思ってたけどほんとに居たね」
「ええ、油揚げの元の元の世話をしてから参りました」


今日の御八つの豆乳プリンは私の大好物だ。加州からスプーンと一緒に喜んで受け取ると蓋を外してひと掬い。口に運べば豆乳のまろやかな甘みが口いっぱいに広がった。んまー、しあわせだー。


「ぬしさまが、ぷりんを食べておられる…尊い…」
「んな大袈裟な」
「小狐丸って主の事となると人が変わるよね…」


どうやら加州は馬当番を終えて、三時の御八つを手に戻ってきてくれたらしい。小狐丸も畑に出向いて水やりなどに精を出し終えたからこそ、昼餉後からひよこのように付き纏えているのだ。


「今日近侍なのに役つけてごめんね」
「なーに言ってんの、主が謝ることじゃないって」

ひらひらと爪紅が塗られた手を振りながら加州は笑う。そう、本日の近侍は小狐丸ではなく加州だった。本来なら近侍は内当番を免除としているのだが、この本丸はとある問題を抱えているためにそれが出来ていない。



「ああそうだ、明日の出陣のメンバーなんだけど伝達をお願いしてもいい?」
「いいよ、行先は?」
「厚樫山。ちょっとハードになると思うけど…期待しています」


そういってユイは部隊編成が書かれた紙を加州へと手渡すと、彼の紅色の瞳が部隊長の欄で数秒止まり、上から下へとゆっくり動いていく。

「ちぇー、今回の部隊長は三日月かぁ」
「成程、錬度上げのためですか。三日月は本丸にきて日が浅い」
「そういうこと。…にしてもやっと第一部隊が埋まったね。本当ならとっくに賑やかなはずだけど…」
「………こんのすけはなんと?」
「未だ調査中だってさ」
「もう半年経つのに全然進展しないよねー、あいつら真面目にやってんのかな」

加州に手渡された部隊編成には、三日月宗近、加州清光、小狐丸、石切丸、岩融、今剣と名が並んでいる。ユイがいう通り、この本丸には刀剣が六振りしか存在しない。
加州は政府から最初の一振りとして送られ、小狐丸は祖父から受け継いだ刀である。その後集まった刀剣たちも何故か三条派の刀剣ばかりで他の刀派たちは現れない。時の政府ですら原因を突き止められていないのだ。