頬の上の神話
「こんばんわ」
静まり返った廊下の暗闇からかろうじて見て取れるシルエットが現れた。恐らく、華奢な女だろう。口調はとてもゆったりとしていているが、琥珀色の瞳が暗闇の中で月明かりに照らされギラギラと浮かび上がっている。まるで獲物を狙う獣のようだと思った。
男は忍ばせていた拳銃に手をかける。それと同時に、その人物は月明かりの下へと歩みを進めてきた。
やはり、女性であった。
黒髪に琥珀色の瞳。真っ黒なコートにあるエンブレムを見て凍りついた。加えてその女には見覚えがあった。いや、むしろこの業界で知らない者などいるのだろうか。背筋が凍り、認識するよりも早く男は銃を抜き女を狙って撃つ。しかし、先に動いたのは女の方だった。
彼女の足元の影から突如として巨大な断頭斧が現れた。女はそれを乱暴に片手で引き抜くと、目にも止まらぬ速さで走り出した。斧の質量を考えれば有り得ない速さだ。 女はジグザグに弾丸を避け、確実に距離を縮めてきた。男も弾かれるように走り出したが、完全にパニックになっている。がむしゃらに撃ち続けたせいで拳銃には弾はもう二発しかない。
「くそっ、だ、誰か、誰かいないのか…!」
どうやらここは男の屋敷のようであった。しかし、明かりが消えてからというもの使用人も男の部下もまったく姿を見せていない。この異常事態にボスの元へ駆けつけない部下がいるだろうか?
「叫んでも誰も来ないよ?」 「そ、そんな筈はない、わたしの部下達が…」 「ああ、それなら」
間合いを詰めてくる女が笑った。暗闇に浮かび上がる琥珀色の瞳が細まる。まるで悪魔が笑っているようだ。
「もう死んでる」 「な、!」 「貴方で最後だから」
そういうと女の姿が消えた。まるで暗闇に溶け込むかのようにじんわりと。しかし次の瞬間、背後からブンッと風を切る音がした。振り返った時には既に遅く、女が振りかざした分厚い刃が頸部から食いこみ、鈍い音を一つ、そのまま首を刎ねた。
男が手にしていた拳銃は投げ飛ばされ、胴体は勢いよく血飛沫を撒き散らし壁や床に叩きつけられる。辺りは、噎せ返るような血の臭いと、未だドクドクと溢れ出すそれに染められた。
すかさず女はカツカツと断頭斧を片手にその首に歩み寄り、転がっていた男の髪を掴みあげる。
「んー」
まじまじと見つめたあと、片眉を釣り上げ何やら思案しているようだった。そして掴んでいたその首を地面に放り投げてしまった。
「気のせいか」
そう言って間髪入れず厚底の黒ブーツで思い切り踏み潰したのだった。
「ゔお゙ぉい、また派手にやったなぁ」 「そうかなー?いつものことでしょ」
全てが終わって断頭斧を背もたれに一息ついてると、今回の任務のペアだった同僚がこちらに向かって来た。銀色の長髪が月夜で明るく照らされている。加えて長身なのだから、いい意味でも悪い意味でも目立っていた。
「毎度のことながら敵に同情するぜぇ」 「失敬な。というかスクアーロに言われたくないよね三枚に卸すんだし」 「あ゙ぁ?どっちにしろ俺ら二人共、極悪の極みみたいなモンだろぉ」 「まあ…それはそうだけど。そっちは終わったの?」 「当たり前だぁ!全員殺ったぜぇ」
彼はそこら辺に転がっている死体を邪魔そうに蹴飛ばしつつ私の隣までやってきた。へヘンと両腕を組み、さも誇らしげに私を見下ろしている。 彼はこの業界で『傲慢』の代名詞であった。殺し屋としての腕は一級品だが横暴で加えて声もバカでかく濁声。騒音待ったなしである。
それはさておき、今回の作戦は屋敷を二手に分けて奇襲をかける作戦だった。なのでターゲットを含め全員殺ればいずれは落ち合うだろうと踏んでいて、そして私が先にターゲットを見つけたのだけれど。
「イーヴァ、どうしたんだぁ?」
先程首を跳ねたばかりの死体を再び見つめて考え込む私に、スクアーロは怪訝そうな顔をして覗き込んでくる。どうやら私が死体を見つめて惚けているのが物珍しいらしい。
「ゔお゙ぉい!!まさかオカマみてえに死体フェチに目覚めたとか言うなよぉ?!」 「ンなわけあるか。わたしは死体に興味無いよ」
私たち暗殺者というのはそれぞれに趣向が殺り口、戦闘スタイルに影響することが多い。例えばスクアーロは特攻をかけて相手を捌くことだったり、ベルは兎に角ナイフで滅多刺しにして血を浴びたかったり、ルッスーリアは言わずもがなタイプの男の死体集めのための殺しだ。
そんな私も自分の趣向ゆえにこんな馬鹿でかい断頭斧を振り回している。人間の要である頭部を胴体から叩き落とす行為に言葉では言い表せない快感を感じるからだ。 断末魔なんて発する隙も与えない。分厚い刃で骨ごと叩き潰し、跳ね飛ばす。その瞬間の興奮といえば、殺しを味わった者にしか分かり得ない。身体中の血が沸騰し、すみずみまで巡る。そして気分は最高潮に達する。
今では人道的な目的でギロチンが導入されてしまい廃れてしまったが、それまでは屈強な男たちがこの断頭斧を振りかざして死刑を執行していた。わたしはその血族の末裔だ。今となっては私を含め、血色を好む戦闘狂の一族になってしまったけれど。 そんな私が熱心に死体に目を向けているのだから、何かあったのかと思うのは仕方ないのかも。
「んーなんか変だったんだよねこいつだけ」 「この死体がかぁ?」 「刎ねたときに…違和感がね」
スクアーロは私の目線の先にある踏み潰したそれをまじまじと見つめたが、分かりかねたようで首を傾げた。私のそういった直感を信じてくれる奴ではあるが、如何せんもう一度生き返って首をはねさせてくれとも言えない。それに彼は山積みになった死体を気にするタイプではないし、寧ろ先程のように蹴り飛ばすタイプだ。畑違いともいえるだろう。
「俺は死体は専門外だからなぁ。気になるならオカマかマーモンとこの研究員使え」 「それもそうだね、こればっかりは専門家にお願いするかな」
そういって通信機でこの後入る予定の処理部隊に死体の一部の回収をお願いした。そのままマーモンの研究員たちに引き渡すように付け加えて。
あとは結果を待ち次第、報告書を仕上げるだけだ。任務は成功したし、もうここに留まる理由はない。さっさと帰ろう。タイムイズマネー、時は金なり。元上司の常套句だ。その習慣が身についているからか、私も仕事と時間にはとてもシビアだ。
「よ゙ぉし、帰るかぁ」 「はいよー」
深夜の静まり返った空気の中、無駄に整えられていた中庭を通り門の前に出るとヴァリアー専用の黒塗りフルスモークの車が待ち構えていた。私達はそれに乗り込み、この屋敷をあとにする。 やけに明るい月夜だったと思う。その光は、鼻につく鉄の臭いとそこら中に広がる阿鼻叫喚を無神経にも明るく照らしていた。
[ back]
|