失った喉が痛い
無駄に広く手入れの行き届いた庭を黒塗りのリムジンが進んでいく。ヴァリアーもかなり広大な敷地を有しているけれど、ボンゴレの本部となれば桁違いだ。 フルスモークの窓から外を眺めれば様々な色が視界に飛び込んで来ては、すぐ後ろへ流れていく。ぼんやりとした意識はやがて窓ガラスの向こうの相変わらず青白い無表情の女へと絞られていく。女は真っ直ぐにこちらを見ている。琥珀色の瞳でじっとりと睨むように。
「ねえ、スクアーロ」 「何だぁ」 「…やっぱり何でもない」 「ゔお゙ぉい、言い掛けんじゃねえ。気になんだろぉ」
隣に座るスクアーロも朝から神妙な面持ちだった。眉間に深い皺を寄せて腕を組み、真っ直ぐこちらを見ている。
「いや、今すぐ帰りたいなあって。なんか嫌な予感しかしないし」 「…心配すんなぁ。さっさと終わらせて帰ろうぜぇ」
落ち着かない私を宥めるように頭をぽんぽんと不器用に撫でるスクアーロ。どうしたんだろう、そんなの余計に嫌な予感しかしないじゃないか。
「てかスクアーロ、そんな眉間に皺寄せてると顔怖いよ」 「ンなの知ってんぞぉ」 「あ、自覚あったの」 「ゔお゙ぉい!そりゃどういう意味だぁ?!」
今日初めての爆音に耳を押さえる。リムジンで広い車内だといえど、煩いものは煩いのだ。
◇
本部の廊下を歩くスクアーロとイーヴァの目の前には一人の男が案内役として歩いている。彼の名前は沢田家光。ボンゴレの門外顧問であり次期十代目となる沢田綱吉の実父だ。
「また随分と若くて可愛い子がヴァリアーにいたもんだなぁ」 「あはは、有難うございます。沢田さんもダンディで恰好いいですよ」 「嬢ちゃんみたいな若くて可愛い子にそう言われると照れるな〜」
門外顧問とはリング戦の時にカチ合ったのだがこの人とは出くわさなかったな、なんてイーヴァは思いながらその背中に話しかけていた。 一方、隣のスクアーロは先程から一言も話さず、相変わらず眉間に皺を寄せたまま私たちの会話に耳を傾けているようだった。 ここまで彼が無口になるのは滅多にない。彼にとっては沢田家光もとい門外顧問には一杯食わされた苦い思い出があるのも相まっているのは確かだろうけれど。
「おいおいスクアーロ、何だってそんな怖い顔で黙ってんだ?お前らしくないな」 「うるせぇ、テメェには関係ねえだろぉ」 「ったく、やっと声出したかと思えばそれかよ」 「ンだとぉ?!」 「まあまあスクアーロ落ち着いて。怖い顔なのは自覚してるよね、ドウドウ」 「ゔお゙ぉい!フォローになってねえぞぉ!」 「お前ら仲いいなー」
家光はスクアーロを茶化しそのリアクションを楽しんでいるように見えた。しかしこの男、一見親しみやすそうな雰囲気を出しているけれどかなりの切れ者なのは分かる。あの柔和な沢田綱吉には似ても似つかない。腹の底で何を考えているか読みきれないのだ。だからこそスクアーロは気安く馴れ合いたくないのだろう。と、そんなことを考えていれば沢田家光の足が止まる。どうやらこの部屋に入るようだ。
通された部屋の窓際には二つのソファーが黒の背の低いテーブルを挟んで、向き合うように置かれている。そして、その奥には朗らかな笑みを浮かべた九代目が腰掛けていた。
「わざわざ呼び出してすまないねイーヴァ君。それとスクアーロ君も」
九代目が言うとおり、今回呼び出されていたのは私だけだったのだ。けれどボスは私を強行で件の指揮官に据え置いただけでなく、本部に出向かせる条件としてスクアーロを付き添わせることを許可しろと焚き付けたらしい。ちなみに本当はボスと行く予定だったらしいんだけど、御本人は「あんなカスしかいねぇ吐き溜に短期間で何度も行くかよ」と断固拒否だったとか。それでスクアーロ。なるほど。
何だかんだでベルが言っていたことが現実になってしまったな、とイーヴァは一人心の中で呟いていた。「立ち話ではなんだ、座りなさい」と九代目に言われ、私達は向かい合うソファーに腰掛ける。沢田家光は九代目のうしろに控えていた。
「今回呼び出した理由は君たちも分かっていると思うが…アバティーノの件について幾つか聞きたいことがあるんだ」 「聞きたいこと、ですか」
九代目は小さく頷いて私の目を真っ直ぐに見つめてきた。
「率直に聞こう…イーヴァ君はバルトロと面識はあったのかね?」
その瞳がボスと同じ様な、何もかもを見透かしてしまうものへと変わる。穏やかな雰囲気はそのままだというのにイーヴァは目を逸らすことができなくなった。 部屋の温度が下がったように感じるほどに、九代目の視線は私を貫いている。流石ドン・ボンゴレ。背中がひやりとして、汗が伝うのがわかった。 すぐ隣に座るスクアーロもまた身動きもせず、そして驚くこともせず、まるでこうなることを予想していたかのように静観していた。また、沢田家光も同じく。私がどう答えるのかを待っているのだ。
「いいえ、任務が初めてです」
答えはこれ以外にない。最初から分かりきっていたそれを声に乗せて九代目を見つめ返し、キッパリと言い切った。九代目の双眸が暫くじっと私を見つめていたけれど、急にその視線を緩め、そして目尻を下げた。
「そうか、ありがとう」
九代目は小さく微笑んだ。彼の超直感が私の言葉の真実を読み取ったのだろうか。家光の視線も緩み、その場の温度がやっと上昇していくように感じた。
「九代目、真意を説明願いたい」
すると今まで沈黙を貫いていたスクアーロが間髪入れずに噛み付いた。まるで予め用意していたような言葉だ。もしや、本部が私を疑っていたことをボスはしっていたのだろうか。だからこそスクアーロを同席させたのかもしれない。九代目に門外顧問というボンゴレのトップ二人とヴァリアーのペーペー幹部の私ではかなり分が悪い。スクアーロを同席させることで本部からの圧を減らしたかったのだろうか。
「疑うような真似をしてしまって済まない。しかし、こちらも手を打たねばならなくなってしまったんだ」 「…つまり?」 「その説明は俺がする。…今回の一件はな、イタリアだけの話では収まらなくなってるんだ」
九代目の隣で佇んでいた沢田家光がようやく口を開き、こちらを見据えていた。
「門外顧問は今、とある失踪事件を追っていてな。耳に入ってるかもしれないがフリーの殺し屋が次々と失踪してるのは知っているか?」 「!…そういやぁ、」 「たしか、ベルが言ってたよね…」
ベルがフランスでの任務へ赴いた際にそんな噂話を聞いたと零していた。スクアーロもその話を聞かされていたらしく、私と目線を合わせて頷いた。
「腕の立つの殺し屋が失踪してるらしいじゃねえかぁ。だが俺達が聞いた話はフランスでだ。それとイーヴァの何が関係あるってんだぁ?」 「話せば長くなるが……イタリア国内でも既に失踪者が目立ち始めている。だがフリーの殺し屋の性質上調べるのがやたらややこしくてな。仕事でヘマすれば消息がわからなくなる上に、ひっそりと引退するヤツだっている。やっと最近、その規模がヨーロッパ圏内で広がっているのが判明したんだ」
家光が言うには、ボンゴレがスカウトするつもりであったフリーの殺し屋の失踪から始まったらしい。 そのヒットマンはボンゴレの勧誘を渋っていたらしく、別の者からも勧誘されているうだった。だが結局あの手この手で説得し、よくやく男は苦渋の決断でボンゴレへ籍を置くことを決めた。
しかしその翌日、男は突然姿を消したのだという。おまけに彼の住まいは争った痕跡が残っていたらしく、彼の行方を調べている内に今の事態に気付いてしまったというのだ。
確かにフリーの殺し屋というのは痕跡を残しにくく、後を追うのはとても難しい。けれど、それを境にヒットマンの行方不明者が続出し始めたようで、同時に共通点も浮かび上がってきたのだという。
「一つの宗教集団を見つけた。消えちまった奴らの殆どが、消息を絶つ前にそいつらに勧誘されてるってのが分かった」 「宗教集団…?」 「ああ、それがまたきな臭くってな。所謂邪教だ。構成人数は不明。そんでもって他宗教への攻撃、略奪、何でもやる。どっちかっつーとテロリストみたいなもんだ」 「なんでまたそんな…」 「めちゃくちゃな奴等だぜ、まったく。んでもって、そいつらを追っているうちに見つけた物がある。それが問題なんだ。あいつらの信仰しているモノの正体がな」
そういうと沢田家光はテーブルの上の大きめの封筒から数枚の写真を取り出し、私達と九代目たちの間にあるテーブルへと並べる。
「!」 「…ゔお゙ぉい、どういう事だ、こりゃ」
その写真が写しているのは一人の女性だった。長い黒髪に青白い肌。そして一際目立つ琥珀色の瞳。口元に笑みを浮かべ、黒のドレスに身を包んでいる。スクアーロは隣にいるイーヴァとその描かれている女性を見比べた。
そう、描かれている。イーヴァに瓜二つの女性がイーゼルの枠の中で微笑んでいる。十数枚あるその写真、収められているのはすべて同じ女性だったのだ。
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