(2/5)



月日は流れ、少女だった薔嬌は艶やかな女人へと成長した。
彼女は男の言葉どおり難を逃れ、穏やかに暮らしていた。

そう、穏やかに――。


「お前は実に美しい
どれほど見つめていようとも、お前の美しさに飽きる事などないだろうよ、薔嬌」


そう言って、皺の寄った手を伸ばした老爺は、柔和な笑みを浮かべながら薔嬌の手を摩る。
侍女として雇っていたが、彼女の美貌や教養、そして薬草に通じた深い知識と気配りに心打たれ、周囲の反対を押し切って妾として迎えた。


『旦那様は、本当にお優しくていらっしゃいます
そして……御口がとてもお上手』


ぽってりとして紅い唇を艶めかせ、とろけんばかりの笑みを浮かべる姿は、大輪の薔薇を思わせるほどに美しい。
名は体を現す、というのは正にこの事だと老爺は思った。

皺の寄った夫の手に、嫌がる事なくやんわりと己の手を重ねて握る。
彼女から発せられる甘い香りと共に、老爺は坂を転げ落ちる様に薔嬌に溺れていった。


彼女の笑みを見たいが為に、老爺は贅を尽くして妾を喜ばせた。
名家として名高い男は、これまでの財を全て彼女につぎ込んでいく。

それは、傍目にも分かり易いほどの溺れよう。

余りにもその愚行が目立ってか、いつしか彼女は夫の一族から毛嫌いされる様になっていく。
そしてそれは、夫に仕える邸の者たちも同じだった。


「お前が来てからというのもの、旦那様は朝廷に出仕する事もなくなってきた
清廉潔白な官吏として陛下の覚えも目出度かったというのに……」


家令の言葉は事実だった。
この邸の主である老爺は、国王・紫戰華に信を置かれ名をはせている。

洗練潔白でありながら風雅を好み、決して家名に奢る事のない彼を、邸の誰もが敬愛していた。
だが薔嬌が妾となってからというものの、以前の姿はすっかり影を潜め、日夜宴に明け暮れ、彼女と戯れている。

家令を含め、邸の全ての者たちが彼女に怒りを抱かずにはいられない。
だが、敬愛する主が選んだ女を、影でだけでも貶める言葉を向けれる筈もなく、せめてお前の口から、と請うてきた。


『わかりました……わたくしから旦那様に進言致します』


瞳を伏せて、寂しさを漂わせながら薔嬌は言った。
反省している様にも見える姿に、家令もふくめた使用人たちはホッと安堵の息を溢した。





「どう言う事だ、わしが嫌になったのか?」


主人の室から焦燥感に満ちた声が漏れた。
恐らくは薔嬌が進言したのだろう、と誰もが想像に容易かったが、主人の尋常ではない様子には驚きを隠せないでいる。


『いいえ、そんな事などありませぬ
ただ、わたくしの為に旦那様がお傍に降りますと、よからぬ噂が尾鰭々々となって、ご迷惑が……』


袂でそっと口元を隠しながら告げる薔嬌。
その初々しいまでのいじらしさに、老爺はまたもや溺れていく。

出仕はする、だから傍を離れるなど言うな、と懇願する様に告げれば、薔嬌はうっすらと涙を滲ませながら喜んだ。
その様子に安堵した様に老爺は彼女の手を撫でる。

薔嬌から何故こんな事を告げたのかと聞き出した主人は、家令を含めた使用人たちに不満を抱いた。
それが彼女の思惑通りとも知らず――。




それからというものの、邸の主人は昼は出仕をし、夜はまた以前のように歌宴に更ける毎日を過ごす。


だが、老体に日夜の宴会は身体に負担となり、そう長く続く事はなかった。
無理をしてでも妾を楽しませようと必死な老爺は、とうとう身体を壊して寝込んでしまった。

邸の者の全てが、彼女の所為だと責めて止まない。
だが、妾を愛する主人はそれを咎める。

そんな主人を慮ってか、薔嬌は日夜彼の傍で看病を続けるものの、老爺が回復する事はなかった。
結局、愛する妾に看取られながら、老爺は息を引き取った。


邸中の者全てが、その死に哀しみ、涙を流す。
ただ、ある者だけ違った。


「お前の所為だ!」


涙を流しながら告げるその男は、老爺の子だった。
清廉潔白で風雅な父を、誰よりも尊敬し、敬愛していた息子は妾に憎悪以外の感情をもてなかった。

老いた母を蔑ろにする事を彼女はしなかったが、それでも許せなかったのだ。

美しい娘を妾にし、毎日生き生きと暮らす父を見ている内はよかった。
いつしか歌宴に耽り、出仕も儘ならない父に不満は募っていく。

そして――。







top

人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -