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『…ッ…ん…』


寝苦しい。
まさにその一言で薔嬌は身体を起こした。

時刻は酉の刻。
空がやっと闇色の帳に覆われた頃。

ホウ、と大きな溜め息をついた。
この寝苦しさを何故、と思うことなどなかった。
原因は一つしかないのだから――。



あの日、清雅から髪への口付けを受けた日から、薔嬌と清雅は互いに互いを避け続けた。
互いにそうしているから二人の距離は益々遠くなる。

距離が遠くなるのだかから、当然会話などある筈がない。
会話もなくなれば、自然と夜の関係もなくなる。


薔嬌にとって重要な、“クスリ”とも呼べる行為がない。


それは彼女にとって苦痛の日々の始まりだった。


今夜も、欲を発散していない彼女の身体は熱く高ぶっていた。
ここ数日はまだよかったが、あれ以来五日もナニもなかった事を考えれば、身体が精を求めているのが自身で理解できた。

自身で欲を解放しても、中途半端に高ぶった身体は収まる事はなく、むしろもっとと熱が上がるばかり。
これには、手業の優れた彼女でもどうにもならなかった。


解放する方法などいくらでもある。
その辺の邸の男でも狩って貪れば納まる。

けれど、何故かそんな気にはなれなくて、未だ己の熱を持て余していた。
脳裏にちらつく“彼の行為”が、こびり付いて離れない。

忌々しげに薔嬌は拳を強く握り締めた。
こんな筈ではなかったのに、と思わずにはいられないのだ。

けれど今はそれどころではない。
直ぐにでもこの身体をどうにかしたい。

この時分なら、他の家人たちは食事をしたりしている。
邸を抜け出すなら今しかなかった。

すぐに身支度を済ませ、薔嬌は闇に溶けるかの様に陸邸から姿を消した――。










ガヤガヤと賑やかな繁華街。

右を向いても左を向いても、艶やかに着飾った女たちばかり。
そして、その女たちを見定める様に男達のニヤニヤとした笑みが視界に入ってくる。

気分が悪いと分かっていた。
けれど、ここくらいしか思いつく所がなかった。

ここならば、後腐れのない一夜限りの相手を見つけられると思った。


そう、ここは貴陽花街――。

キョロキョロと首を左右に動かしながら、薔嬌は今夜の相手を見定める。
遊びなれた、一人の女に執着しない、病気持ちでない男。

貴族であれば後々面倒だから商人の男がいい、と薔嬌は適当な男を探す。





「何をしている?」


掛けられた声にギクリと身体がすくんだ。
この声を、彼女は良く知っていた。

はあ、と大きな溜め息を溢した。
後ろを振り向くまでも啼く、彼が誰なのか分かっている。

だからこそ後を振り向く事がイヤでたまらない。
彼に見つかってしまったのならば、大人しくする他ないのだから――。

嫌々ながらもゆっくりと後ろをり向けば、そこにはいつもの仏頂面で佇んでいた。


「何だ、その顔は?」


ブスくれた表情の彼女に、彼は眦を上げて少しばかり苛立ちを込めて言った。
別に、と薔嬌は反論するものの、やはり表情はそのまま。

それが一層彼の苛立ちを増幅させた。


「こんな所で何をしている」


まるで尋問の様だと思いながら、薔嬌はホウと小さな溜め息とともに口を開いた。


『あなたが想像している通り、“狩り”をしているのよ?』


最後にニヤリと挑発を込めた笑みを向けると、目の前の彼も釣られる様に口元に笑みを浮かべた。

その笑みに、薔嬌がおやとばかりに反応する。
相変わらずの悪党面だと思ったが、以前よりは思慮深さと落ち着きが増していた。


(わたくしに対する嫌悪感は相変わらずの様だけれど)


それを嫌だとは思わない。
寧ろその嫌悪感を心地よいと思っている。

本来己に向けられるべき感情はこうであるべきなのだ。
旺季の様にいらぬ同情を買うつもりは更々ない。

同情は不要だ。
それが彼女の心情だった。







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