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カタン、と物音が響いた。
小さな音ではあったが、シンと静まり返った室には十分すぎるほどのもので、訝しげな表情で薔嬌は音の方へと視線を投げかけた。


「随分としょ気た顔だな」


ハンッ、と鼻で笑う仕草はいつもの彼――清雅――だった。
けれど表情はどこか苛立ちを帯びており、またか、と薔嬌は内心溜め息を溢した。


『若様でございましたか』


期待はずれだとばかりの表情に、ムッと清雅が剥れた。

室内の壁が反転している事にも驚かず、突然現れた己にも驚かない。
清雅は面白くないかった。

けれど、彼女が少しだけ余所余所しそうにしているのに気が付いた。
余所余所しく感じるのは寧ろ己の方だというのに、何故、と思わずにはいられない。

アレだけ余裕釈然と、最後まで己を惑わせた彼女。
最後まで彼女に翻弄され、少女のように声を上げた己。

思い出せば羞恥にかられ、同時に身体がどうしようもなく熱く悶える。


今もそうだ。
彼女を見つめていれば胸が締め付けられる様な痛みと、甘い疼きが身体を襲う。

いつもは纏められている髪は下ろされ、それが彼女の白い(かんばせ)に影を作り、憂いを誘う。

サラリと肩から一筋の髪が落ちる。
そこから(うかが)える白い首が、眩しいほどに清雅を惹きつけて止まない。


長い長い黒髪が彼女を覆う姿に、黒い薔薇だ、と清雅は思った。


艶やかで、華やかで、それでいて影を潜めつつも輝く女を、清雅は他に知らない。
黒こそが、彼女の魅力を一層際立たせた。


突然、己でも説明しようのない感情が沸きあがってきた。

まるで今まで閉じ込めてきた感情が爆発した様な、そんな感覚だった。
欲情とは違う感情だった。

本当に理解が出来なくて、気が付けば、寝台に腰掛けていた彼女を押し倒して唇を重ねていた。


『…ッ…ん、んッ…』


無防備な彼女は抵抗すら出来ない。
そのまま、いつもの彼女ではない彼女の唇を食らい尽くす様に貪った。

いやらしい水音が、深閑とした室内に響き渡る。





呼吸さえ奪う様な口付けに、薔嬌の息が自然と乱れていく。
苦しい、と告げる胸を叩く拳を両の掌で包み込み、猶も口付けは続いていく。


『…ッ…ハァ…も、放し、ッ…て』


その言葉でやっと唇を開放した清雅は、額を合わせて彼女を見下ろす。
菫色の瞳に揺れる涙に、思わず笑みが滲む。

瞬きと共に零れ落ちた涙を、そっと舌で掬えば、塩気を帯びたソレがどんどん甘くなっていく様にも感じ取れた。

涙はまだ滲んでいた。
それは黒い薔薇に滴る朝露の様にも思えた。

それ程美しく、魅惑的だった。

苦しそうに眉根を寄せて己を見上げる彼女は、いつもの様なしなやかさは微塵もない。
ただ、煙る様な色香が清雅を吸い寄せていく。

気が付けば、再度唇を重ねていた。
甘く脳と身体を痺れさせる口付けは、歳若く経験のない彼を溺れさせるには十分だった。


この前の様にまた彼女の身体に溺れるのか、と脳裏で思いながら、それでもあの夜の快楽を求めて衣の袷せに手を入れようとした瞬間、扉の叩く音がした。

それにハッと我に返った清雅は、瞬時に身体を起こして寝台の影に隠れた。
気だるげに扉へと向かう薔嬌に、名残惜しげに視線を送る。


「時間になっても来ないから心配したのよ、薔嬌
夕餉を持ってきたのよ、食べれる?」


同僚の侍女が夕餉の膳を手にしていた事で、話し声の聞こえない清雅は状況を悟った。

時刻は夕暮れを過ぎ、窓から覗く外は闇に覆われている。
元気がなかったのは体調が優れなかったからか。

そんな時に身体を重ねようとした己が恥かしくなった。
まるで初めての情交に溺れた小僧のように思えてならない。


パタンと扉の閉められる音に、やっと侍女が去ったのだと思い影から出てみれば、薔嬌が扉の前で立ちすくんでいた。


「どうした?」


怪訝そうに尋ねれば、ただボーっとしているだけ。
やはり体調が悪いのか、と思った。

けれど、チラリと向けられた瞳を見た瞬間、ゾッとした。
感情すらも読み取れぬ無機質な瞳は、人形とも思えるほど精気がなかった。

冷たさも、温かさも感じないソレに、清雅は思わずあとづさる。
ソレすらも興味がないとばかりに薔嬌は黙々と食事を取った。







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