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――ガシャンッ…


陶器の割れる音に、薔嬌はハッと我に返った。
この所上の空になる事が多かったが、ここまで酷い失態は犯さなかった。

けれど、陸邸の家人たちは彼女の様子がおかしい事には気付いておらず、彼女の失態に驚いた様に大きく眼を見張る。


『申し訳ありません、すぐ片付けます』


無表情のまま陶器を片付ける彼女に、一人の侍女がそっと声をかけた。
体調が悪いのではないですか、と。

いつも毅然とした完璧な彼女の滅多に犯さない失敗に、同僚の侍女は不安げな表情を浮かべる。
それを大丈夫と笑顔で返しつつも、どこか陰のある顔色に益々不安げに眉根を寄せた。


「今日はもう特に何もする事がないので、ゆっくり休んで下さい」


半ば無理やりに彼女を室から追い出し、自室へと向かわせる。
こうでもしないと彼女は身体を休めないから、と他の侍女たちもウンウンと頷きながらその様子を見送った。





ハア、と大きな溜め息が薔嬌の自室に響き渡った。
あれから二日程休みを貰ったが、かえって暇になり困ってしまう。

監視の目は和らいだものの、己に向けられる視線は変わらず注がれる。
何をするにも誰かの視線を感じているのは、薔嬌の気のせいではない筈。

けれど以前とは違い、その視線がどこか温かさが帯びてりるのは事実で、その度に意味深な笑みを向けられるのが気になって仕方がなかった。


(…まさか、あの夜の事が?)


数日前に己が少しの悪戯心で始まった清雅との閨。
声を出さない様にと気をつけてはいたが、実際声を出していたのは彼の方で。

まさか誰かに見られていた、もしくは聞かれていたら…。
小さく頭を振って嫌と囁く。

あの時は時間も時間で、他の家人たちは寝ていた。
あの時間に家人が主人の室の辺りをうろつく筈もない。

杞憂だと己に何度も言い聞かせた。



不意に視線を窓に移せば、ある男の影が見えた。
見覚えのある顔に、眉根を寄せた。

視線が合えば、男は何かを窓枠に挟んで姿を消した。
いったい何を、と思い窓に近寄れば、それが手紙だと分かった。

書かれた内容に、薔嬌の眉間に一層皺が寄せられた。

今更、とも思える内容だったが、それでも何故か胸が締め付けられた。
憎んで憎んで、憎み続けた相手だったのに、何故か――。


(…死んだか……
まあ、父上もずっと病んでおられたもの…仕方がないわ)


そう己に言い聞かせて、湧き上がる憎しみの感情を押さえ込んだ。
寝台の傍に置かれた鉄器に手紙を落として、火を焚いた。

燃える手紙を、ただじっと薔嬌は見つめていた。

寝台に腰掛けると、ギシリと音がなった。
それが彼女の心の悲鳴のようにも聞こえる。

憎しみなんて持っているだけで疲れる、邪魔なもの。
抱くだけで無駄なのだ。

憎しみは怒りへと変わり、怒りは暴力へと変わる。

それで己も犠牲になったのだから、と言い聞かせ、猛々しく燃える火に視線に一瞥を送り、目を閉じた。





“どうして?
どうしてわたしはお父様に嫌われてるの?”




不意に脳裏に浮かんできたのは、幼い頃の自分の悲しみに嘆く声だった。

父に嫌われ、疎まれ、厭われて、虐げられてきた幼少時代は、薔嬌にとって耐え難い苦痛の日々でいかない。
思い出すことすら忘れていたが、きっと父が死んだ事が原因だろうと思った。


母が死んで、二人きりになった時からだった。
父がおかしくなって、暴力を振るわれるようになったのはその直ぐ後から。

泣き叫んで抵抗しても、父の暴力がやむ事はなく、いつも傷だらけだったのを覚えていた。
母に似た己の容貌が、母の死を嘆いた父の心を慰めると同時に、憎しみを生み出んだ。

病の為に母は死んだ。
けれど、普通の病ではない事を知ったのは、十をいくらかすぎてからだった。

それを知った時、何故父があれ程までに己に憎しみと暴力を向けてきたのかは直ぐに理解できた。


――何故俺を裏切った!?


泣きながら拳を振るう父の姿が、脳裏にこびリ付いて離れない。

哀しいとは思わなかった。
父を哀れこそ思えど、同情した事は一度もない。

それ以上に、父から受けた暴行や所業は、酷いものだった。
出来る事なら、父の死を見取って笑って遣りたかったが、それも叶わないと知った今、薔嬌はただ呆然とするだけだった。






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