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「入るぞ」


硬質で冷厳な声と共に入室してきた男に視線を向ければ、薔嬌の表情が驚きに染まった。
御史に長官に会いたいとは告げたが、まさか本当に来るとは思っても見なかったのだ。

眉間に皺を寄せ、ぽってりとした紅い唇がしどけなく開いている。
そしてそこから覗く紅い舌がなんとも官能的で、不覚にも皇毅の身体に甘い疼きに似たものが走った。

数年ぶりに見た華薔嬌は、想像以上の魅惑的な美女となっていた。
これでは男が溺れるのも無理はない、そう思えてしまうほどに――。


互いが互いに見つめ合う。
だが、見詰め合う理由は全くの別物であるが。

先に我に返ったのは薔嬌だった。
魅惑的な表情は直ぐになりを潜め、射る様な強い眼差しを隠す事なく皇毅へと注ぐ。

その強い眼差しに、皇毅は強い既視感を抱いた。
強い意志を秘めた真っ直ぐな眼差し。


(あれは――誰だ…?)


遠い昔、あの瞳に様に意志の強さを秘めた美しい人が――。


『お久しぶりですね、皇毅殿
こうして机をはさんで向き合うと、あなたが御史だった頃が懐かしく感じますわ
会わないうちに随分と出世されたようで…』


おめでとうございます、と続けられるはずの言葉だが、何故か清雅にはそう聞こえなかった。
変わりに、わたくしの尻尾を最後までつかめなかったあなたが長官なんて、と聞こえてしまうのがこの女の本性なのかと思えてならない。


「ふん、相変わらず男運が悪いらしいな」


負けじと毒を吐く皇毅に、清雅は珍しいとばかりに瞳を見開く。
いつも冷静さを失わない長官は、それが門下次官・凌アン樹の言葉にも怒りを表せどこんな風に表情まで変えて応対するのは始めて見た。

だがその事よりも、皇毅が現れたとたん薔嬌が饒舌となった事に怒りを覚えずに入られなかった。
己には最低限の言葉しか告げなかった彼女が――。


(俺では役不足だというのかッ)


悔しさに握り締めた拳から滲み出た血がポタリと床に落ちて波紋を広げた。
たった一滴のほんの僅かな血。

だが、それに薔嬌はピクリと反応を示した。
それまで清雅に見向きもしなかったが初めて彼へ視線を移し、血の滲む拳に視線を留めるとスクリと立ち上がり彼の前へと歩を進める。


「な、なんッ…」


目の前に立つ彼女に驚くものの、薔嬌は気にも留める事なく握られた拳に手を伸ばして、西施の如く表情を歪めた。


『掌の皮膚は薄いので、余り強く握り締めるとこんな風に血が出ます
これでは筆を持つのに支障をきたしましょう』


淡々と告げた後、皇毅に目配せをすると小さく息を吐いて渋々ながら退室した。

一体なんなのだ、と清雅は思わずにはいられなかった。
二人の間で交わされた視線に一体どういう意味が含まれているのか。

不思議でたまらない。

やがて戻ってきた皇毅は、押収した彼女の荷物をドスンと放り投げる様に机に置いた。
それに嫌悪の眼差しを向ける薔嬌に臆する事もなく、皇毅は何事もなかった様に室から出ようと踵を返した。


「あのッ、長官!」


この案件は自分でかたを付ける、と言いたいのに彼女の呼吸音が耳音でいやに大きく聞こえて上手く言葉を出せない。
女なんか、と見下げていた己がこんな女一人に、と無性に苛立ちが込み上げてくる。


「後だ、先ずは手当てを終えてからにしろ
ついでに検診でもしてもらえ」


パタンという音はそれまで室に蔓延していた彼の存在をかき消し、それが二人きりなのだという事を清雅に付き付ける様に感じた。
目の前の美女は己の掌を穴が空くほど見つめるだけ。

なのに、たったそれだけなのに無償に身体の奥底からフツフツと訳の分からない感情が湧き上がってくる。
そして、この三日間御史台で拘留されていたのだから香を焚く事など出来る筈もないのに、花の香りが清雅の鼻腔を擽る。

それはまるで、妓楼の妓女たちが男たちを誘う様な香りと似ていた。
この女は他の女とは違う、と一目見た時から清雅は本能で感づいていたのに、何故かこの香りには薔嬌のメスの部分を強調している様でいやだった。

まるで己が嫌悪する“女”と同じで、ただの女に成り下がった様に感じてならなかった。







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