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だから一時琵琶を封印した。
劉輝にせがまれた時だけ弾く、と決めた。

自分から琵琶を弾こうと思った時――奇人の邸で少年を介抱した時――は本当に久方ぶりで、そして自分から誰かの為にと思ったから澄んだ音色で奏でられた。

あれから何度試みてもやはり音は哀しみを帯びていて、奏でる自分のほうがもっと辛くなった。

けれど、花王と再開してからは音はまた変わった。
逢瀬を交わしていた頃と同じ、それ以上に音に深みが増した様にも思えた。

それはきっと、幸せになれた事と、目の前の『兄』に感化された事もあるだろう。
楽の為に彼を利用するわけではないが、だからか彼にせがまれるとついつい弾いてしまう。


『さて、何を弾きましょうか?』


答えが分かっているのに問う婉蓉に、『月』はムスッと表情を顰めた。
どうも彼女といると表情が表に出やすくなる。

彼女と接していると自然と表情が引き出されてくる。
己の知らない自分が垣間見れるが、それはそれで困った事だと溜め息を溢した。

いつもと同じの、とそっけなく何もない様に告げても、婉蓉はクスクス笑う。

時折、自分の想いが彼女に筒抜けなのでは、と思ってしまう。
まるで彼女の掌でコロコロと転がされているようにも感じて、時々腹立たしくなる。

それでも、言葉に表さない彼女に想いを抱き続ける辺りが、惚れた弱みなのだと思い知らされる。


『わかりました』


にっこりと返事を返すとそれきり、彼女の顔から笑みは消え、変わりに琵琶の調べが響き渡り始める。
藍家に来てからというもの、『月』は三日に一度は彼女の琵琶を強請る。

そして聴くたびに、音に深みが増した、と思わされる。
彼女が幸せならばこんな音にはならない。


一体何が――?


流石の天つ才でも、人の感情までは読み取れない。
それに、きっと婉蓉に聞いても答えてくれないだろう。

そんな気がした。
無理に聞く必要もないし、聞いた所で何になるわけでもない。

ただこの琵琶がずっと聴ければいい。
そして時折、彼女への想いが募ってまた絵筆を取る事になる。

それでいい。

彼にはずっと先まで視えていた。
己が一生、藤に囚われる事を――。

人の感情は読み取れないけれど、己の感情だけは間違えない。

きっと一生に一度だろう。
こんな想いを抱くのは。

“私たち”をただの一度も間違えなかった藤の姫君。
彼女だけだろう。

たった一度の相手は弟の妻で、義妹で、そして誰よりも琵琶が上手で――。


どれ程才知に長けた女でも、どれ程楽に優れた女でも、どれ程美しい女でも、絶対に彼女は超えられない。

どうしようもなくて、驟雨の様な感情にさせられる、その度に胸が締め付けられて、そして彼女の笑みを見る度に幸せな気持ちになれた。

それは思ったよりも哀しくて、想像していたよりもずっと甘美な想い。


頬杖をついて、『月』は婉蓉を見つめながら彼女の琵琶の調べに聴き入る。

うっとり微笑む『月』は、普段の近寄り難い硬質な雰囲気は微塵も感じない程美しい。
柔らかいソレは、正に愛しいものを見つめる瞳。

その笑みを、誰も見る事はない。
婉蓉も瞳を閉じているから知る事もないし、第一その笑みは誰かの目に付く場所では絶対に見られない。

それでいいし、そうでないと困る。
だから誰にも見られなくていい。

見られてしまえば、弟と婉蓉を取り合わなければならない。
いや、己の感情の為に二人に気を使わせてしまう。


(わたしだけの、琵琶姫…)


琵琶姫とは弟は呼ばない。
いつだって、婉蓉の事は藤姫と呼ぶ。

愛しそうに、想いを込めて――。


“婉蓉…ぼくの藤姫”


弟と同じ呼称は気に食わないし、何より本人に向かって言うはずもない。
だから己の好きな様に呼べる。

琵琶を弾いてくれる愛しい姫――琵琶姫。

我ながら安直な付け方だとは思うが、それでも生涯口にすることがないのならばそれで言いと結論付けた。


ふと何か思い付いたのか、『月』はまた絵筆を手にとった。

今日は本当に筆が進むな、とさらさらと思いのままに筆を滑らせる。
きっと彼女の絵だろう。

描きたいのではなく身体が勝手に描いていく。
それこそが、己が彼女を恋う証拠だ、と小さく苦笑を浮かべながら、琵琶の音に乗せて吐き捨てられない想いを絵筆にのせた。




...End




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