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「琵琶を弾いてくれないか…?」
『月』はボソリと囁く様に言った。
何を言っているのか聞き取れなかったという婉蓉の表情に、再度強請った。
「琵琶を弾いて欲しい」
先ほどと同じでボソリとした囁きだったが、婉蓉はにっこりと微笑んで琵琶を求めて席を立った。
その間、『月』は絵筆を止める事なくすらすらと色を載せていく。
婉蓉が戻った頃には、画紙には美しい絵が完成されていた。
我ながら良く描けた、と『月』は珍しく笑った。
さっきの絵といい、この絵といい、今日は絵の出来がいいなと少しだけ喜びが込み上げてきた。
『妾にも見せて下さいませ』
『月』は驚いた。
彼女は絵を見たいとは一度も言ってこなかったから。
目を見開いたままの『月』に、婉蓉はクスリと笑った。
『だって、お兄様ったら満足そうに微笑むんですもの
気になって仕方がありませんわ』
クスクスと鈴の音が鳴る様に笑う彼女に、『月』の胸はトクリと高鳴り、同時に締め付けられる様な痛みに襲われた。
この痛みを、彼は嫌と言うほど知っていた。
ずっとずっと、朝廷から去ってから、彼女が藍家に来てから、ずっと消えなかった痛み。
クシャリと『月』は笑った。
そして、渋々ながらも絵を渡した。
どうせ燃やすのだから、と自分に言い聞かせて。
『ウフフ、お兄様の目には妾はこういう風に写っているのね』
頬を赤らめながら微笑む婉蓉に、『月』はそっと口角を上げて微笑んだ。
それは傍目には気付かぬほどの小さなもので、表情が滅多に変わらない彼の驚くべき変化である。
けれど、続けて紡がれた言葉に『月』は一気に奈落の落ちた様な衝撃に襲われた。
『花王様の目にも、こんな風に写っていればよいのですが…』
結局、彼女の一番は弟なのだと突きつけられた。
どんなに想っても、どんなに恋焦れても、この願いは叶わない。
(ああ、やっぱり見せるんじゃなかった…)
また『月』の表情が変わった。
今度も傍目には分からない程度だが、眉根が寄せられ、少しだけ唇をかんでいる。
それに婉蓉は気付かない。
食い入る様に絵に視線を這わせたまま。
『この絵は燃やしてもよろしいのですか?』
「え?」
意外な問いに、『月』は柄にもなく素っ頓狂な声をあげた。
まさか己を描いた絵を燃やしていいかなど聞かれるとは、誰も露と思わいないだろう。
そんな『月』に、婉蓉はクスリと小さな笑みを一つ溢した。
『だってお兄様はいつも燃やしていらっしゃるでしょう?
それに――』
一寸、躊躇するように言葉を留めた。
チラリと向けられた視線に、『月』はギクリと身体を竦ませる。
『妾も、お兄様の様にどうしようもない感情を吐き出す為に琵琶を奏でます
そういう時は決まって決まりきった曲ではなく、即興が多くて
自分自身満足のいく曲だったとしても、やはり譜面に残すとその時の想いまで残ってしまいそうで…』
――いつもそのままにしてしまうんです。
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