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まさか自分が恋をするなんて思わなかった

女人が嫌いなわけでもなかったけど、父や楸瑛の様に好きでもなかった

雪や花が恋をしたときも、ただ見つめていただけ

別段、したいとも思わない
けれど、興味はあった


どうしてみんな恋をするんだろう

あんなに苦しむなら、しなきゃいいのに、と…


特に楸瑛と十三姫の二人は、見ているこちらの方が苦しくなる様な恋ばかり

それでも、他の弟妹たちもみんな恋をしていて、してないのはきっと己と末弟の龍蓮だけだろう

でも、それでいいと思っていた


恐らく、自分が誰かに恋焦れるなんて終生ないだろう、と…



そう、思っていた――











『こちらにいらっしゃられたのね、お兄様』

「婉蓉か…」


十三が去って、雪と花が去って、また一人ポツリと庭園の四阿(あずまや)で頬杖をついていた『月』は、振り返る事もなく呼びかけた人物の名前を囁いた。

振り返る事ない兄に、婉蓉は小さく笑みを浮かべた。
夫である『花』と鏡合わせの様に瓜二つの兄は、何故か己と顔をあわせる事をしない。

別段その事に対して気に留めていないが、理由が気になって仕方がない。
だが、口数の少ない彼が教えてくれるとは思っていなくて、婉蓉は何事もなかった様に『月』から少し離れて腰掛に座った。

じっと見つめていても、彼は気にせず絵筆をとって画紙の上を滑らせていく。
人に見られるのが嫌いなくせに、何故か追い払う事もしない。

婉蓉はこの兄のそういう所が好きだった。
それは、己の兄の様にも思えてしまうから――。





「止んだか…」


ポツリとした『月』に、それが雨のことを言っているのだとわかった。
先ほどまでの霧雨が嘘の様に、雲間から陽射しが落ちてくる。

木々の葉に残った雨の露に薄っすらと陽射しがかかり、小さな虹を作っているのが所々に垣間見えた。
その情景と庭園の美しさ、そして四阿に腰掛けてうっとりと微笑む婉蓉は一幅の絵の様に美しいと『月』は思った。


一寸考え込んだ彼は、また違う画紙を取り出し、すらすらと絵筆を見事な筆捌きで滑らせていく。
迷いのない色付けには、名だたる絵師も裸足で逃げ出すほど見事なもの。


ちらちらと向けられる視線に、婉蓉は義兄が何を描いているのか覚った。
そして、彼女が己が何を描いているのかを覚っていて、そしてそれを口にも態度にも示さない事を『月』も知っていた。


彼女も、己とは別の“業”を背負った人間なのは初めて逢った時から知っていた。
だから弟に反対したし、別れた時の弟の涙を見ても、別段心揺れる事はなかった。

けれど、彼女の情報を『花』には内緒で楸瑛から得ていた頃から、何か心に引っ掛かりを得ていた。


彼女が葵皇毅の情人になった時。

公子時代の王の情人になった時。

公子たちが彼女を辱めんとした時。

その時々で『月』は胸が張り裂けんばかりに痛んだ。

この想いが何を意味するのか、彼は知らなかった。
けれど、その痛みが走る時に限って、無性に彼女の琵琶が聞きたくなる。


嘗て弟に化けて彼女の琵琶を聞きに行った様に。

彼女は、すぐに自分が『花』とは違うと分かったけど、琵琶が聞きたいといえば聞かせてくれた。
変わりに龍笛を弾こうか、と言えば、『花』に弾いてもらうと言って聞こうとしなかった。

今思えば、それが彼女なりの誠意の示し方なのだろう。


そういう所が気に入ったのかもしれない。
だから『花』が今でも姫を想っていると知った時、その背中を押した。

彼女も“業と重い鎖”を背負っていて、それが藍家を脅かすものだと分かっていても、彼女ならば――という自分がいて、同時にまたあの琵琶が聞けると思ったから。


だから、逢いに行けと言った。
騒動でも何でも起こして来いと言った。

弟の為を思っての言葉の筈だが、結局は己がまた彼女の琵琶を聴きたかったからだと『月』は悟った。
それ故に、己の想いを自覚した。


そして彼女が藍家に嫁いできたから、己が絵筆を取る日が多くなったのも、彼女への想いが日に日に募っていくからだと、『月』には分かっていた。

それでも想いを告げないのは、それ以上に弟を愛しているから。
そして彼女が誰よりも弟を愛している事を知っているから。

だから『月』は何も言わない。
変わりに、彼女の琵琶を強請るだけ。









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