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後宮の回廊を、ゆっくりと優雅な歩行で進む美しい女官がいた。

庭園を見渡せば、藤の花が絢爛に、けれどひっそりと咲き誇っている。
藤の衣を纏うその人は、藤の花を捕らえた瞬間、えもいわれぬ花の(かんばせ)をうっすらと哀しげに歪ませた。


“もう、御逢い出来ないのですか?”


脳裏浮かぶのは、かつての己の言葉。
年上の優しい笑みを携えた藍の衣を纏う青年に、涙ながらに縋り付いた。



(あれから、13年が過ぎ様としているのですね・・・)


初恋は実らない、とはよく言ったものだと今なら言えるが、あの頃は受け入れるなんて出来なかった。
初めての恋の終わりが、刻一刻と迫ってきているのを受けられることが出来なかった幼い自分は、藍の衣の青年を引き留めようと形振り構わなかった。

そんな自分を愚かだと笑うことはしない。
今あの頃に戻っても、きっと同じ行動をとったと思えるから。


“婉蓉…ぼくの藤姫…”

自身の衣と同じ“藤”の花を見つめながら、婉蓉は藍の衣を纏う優しい笑みを携えた青年とのはじめての出逢いを思い出した。










『ふっ…ぐすっ…』


後宮の庭園の奥にある、内朝との境に近い低木の陰で、婉蓉はひっそりと泣いていた。
藤の衣を纏い、美しい漆黒の髪が地につくことも厭わず、陶器様な肌を紅く染めながら少女は嗚咽を漏らす。

少女の美貌と、胸元の衣が乱れから考えれば、“誰か”から乱暴を働かれたというのは直ぐに理解できた。


「こんなところで何を泣いているんだい?」


不意に後ろから声を掛けられ、振り返ってみれば藍の衣を纏った美しい青年が立っていた。
優しい笑みを携えながら、そっと婉蓉と目線を合わせるように膝を突き、ゆっくりと手を伸ばして頬を流れる涙を拭った。


「誰かと思えば、藤の花の精だったのか
たまには庭園に出てみるものだね」


ニッコリと微笑むその美しい微笑に、婉蓉はポッと頬を紅く染めた。


(綺麗な殿方……藍の衣ッ!)


青年の纏う衣の色で我に返った婉蓉は慌ただしく立ち上がり、スッと拝礼を行った。


『申し訳ございませぬッ、藍家のお方』


少女とは思えぬその美しい所作に青年は目を細めながら少女の身体を隈なく見つめた。


「そんなにかしこまらなくてもいいよ
誰にひどい事をされたかは知らないけれど、年頃の女人がそんな肌蹴た姿を人に晒してはいけないよ…」


その言葉にハッと我に返った婉蓉はいそいそと胸元の袷を調えた。
そんな無邪気な姿を見つめながらも、青年は婉蓉の髪に付いた藤の花を払い、また微笑んだ。


「藤の花の精が昼間に現れ藤の木の下で泣くなんて、ちょっと風流だね
普通は夜とか、人のいない時間のはずなんだけどね…」


クスクスとからかい混じりに笑って言えば、婉蓉はコテンと首を傾げながら口を開いた。


『妾は藤の花の精ではありませんよ?』

「でも、藤の衣を纏っているじゃないか」


僕はついうっかりそう思ったよ、と続けられた言葉に、婉蓉は改めて自分の纏う衣の色を思い出した。
琵琶の音色を気に入った国王・セン華の勅命によって、藤の衣を纏うことを許された。

官吏にはそれ程知られていないが、後宮内において婉蓉は羨望と嫉妬の目を常に受けていた為に、否が応でも“藤の琵琶姫”という自覚を持っていた。
中でも、王の寵愛を得ようとする妾妃たちからは公子の妃にと画策されるなど、常に身の危険とも闘っていた。

故に、こんな風に優しく接されたのは本当に久方振りだった為、つい気を抜いてしまったのだ。


「ああ、それとも君が噂の“藤の琵琶姫”?」


紡がれた言葉に、婉蓉の顔色は一変した。
先程とは打って変わって警戒心をむき出しに視線を向けてくる目の前の少女に、青年はニコリと微笑みながら少女の髪を一撫でした。


「そんなに警戒しなくてもいいよ
私は藍雪那だよ、琵琶姫」


そう言って颯爽と内朝の方へと去っていった青年を、婉蓉はいつまでも見つめていた。
高鳴る胸の鼓動を抑えることも出来ずに―。








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