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そんな劉輝に気を使って、婉蓉はそ知らぬ表情であるものを差し出した。


「これ、は…?」


たどたどしい言葉で差し出されたものを見つめ、一寸彼女に視線を向ける。
ほかほかと暖かな湯気が立ち込めるソレは、この春を迎えたばかりの季節にはありがたいものである。


『妾が作りました桃饅でございます
お茶請けにどうぞお召し上がり下さいませ』

「婉蓉が?」

『はい』


熱いですから、と差し出された手拭いを受け取り、ニッコリと微笑む彼女に促されながら、劉輝はと桃饅に手を伸ばす。
熱い、と小さく呟きながらも、掌に収まる程のほのかに桃色に染まる饅頭を嬉しそうに劉輝は頬張った。


「美味しい…」


はぐはぐと美味しそうに食べ、美味しいと口にする劉輝を、婉蓉は嬉しそうに見つめた。
直ぐに一つ目の桃饅を平らげた劉輝は、彼女に差し出されるがままに三つ、四つと平らげていく。


「ご馳走様でした」

『はい、お粗末さまでございます』


満腹だと言わんばかりにニッコリと幸せそうな表情で微笑む劉輝は、春の木漏れ日に当てられうとうとと瞼が落ちてきた。


『お腹が一杯になられたので、眠たくなられたのですね
清苑様がお戻りになられるまで妾が御傍におりますゆえ、どうぞお眠り下さい』


柔らかな春の日差しの様な声に誘われるまま、劉輝は眠りへと誘われていった。
その様子を影で見つめていた清苑は眠ったか、と小さく声に出して姿を現した。


「すまなかったな」


自分がいない間ずっと末の弟を守っていてくれた彼女に、清苑は素直に礼を述べた。
この後宮で彼がそんな態度を取るのは、おそらく彼女だけだろう。

けれど、そんなことなど露と知らない婉蓉は気にも留めずに小さく首を振って返した。
そんな婉蓉に、清苑は小さく胸を痛めた。

他の公子たちとは違う、かと言って彼女の特別でもない。
小さな小さな胸の痛み。
けれど、それははっきりと清苑の心を正直に表していた。


“自分は彼女を好いている”


紛れもない事実が清苑に突きつけられる。

彼女は美しくて優しくて教養もあって――。
言葉で並べてみれば、後宮に住まう女官たちと然程代わりはないけれど、それでも彼女はどれもが抜きん出ていた。

ただそれだけが彼女を慕う理由になどなるはずもないのに、彼女の全てが彼を惹き付けた。


『今日の御講義は如何でございましたか?』


思案にふけていた清苑に、婉蓉は尋ねた。
清苑は彼女になんと話しかければいいのか分からずに、ソワソワとするばかり。
そんな己を(おもんばか)って、彼女は清苑の今日の講義について尋ねる事が常となった。


「今日は茶大官の講義で―」


こんなことを話したいわけではないと分かっているにも拘らず、清苑は今日の講義について話し続けた。
本当は聞きたい事が山ほどある。


“何色が好きか?”

“何の花が好きか?”

“どんな書物が好きか?”

“唄ならばどんなものが好きか?”



彼女が好きなものを、嫌いなものを、どんな些細な事でも知りたかった。
けれど、それを尋ねる勇気も器用さも彼にはなかった。

そんな自分を恨めしく思いながら、清苑は婉蓉との時間を過ごした。
彼女を見つめながら―。

彼女は清苑と話すときはいつも彼を見ない。
いや、直接目に収めようなど無礼である、という女官の教えをきちんと守っていると言えば正しかった。

けれど、それは清苑にとってありがたいことだった。
彼女のあの橙がかった赤褐色の瞳に見つめられれば、清苑はきっと平常心ではいられない。

だから、自分を見ないと知っている清苑はいつも彼女を見つめて話をする。
共に過ごす間だけでも、彼女を見ていたいから。

その清苑の目に藤の花の簪が留まった。


花言葉は歓迎、恋に酔う、陶酔の三つとは別に「至福のとき」。


彼女と過ごす時はまさに清苑にとって至福の瞬間だった。
けれどもそれを言葉に表すのも、口にする事も出来ずに、清苑はただただ彼女との時間をかみ締める事しか出来なかった。








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