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危うい美貌と類まれな才能から、彼は誰よりも優秀な公子として崇められていた。

けれど、彼は全てを得ていたにも関わらず、誰もが手にする筈だったものは何一つ得られないまま、生まれ育った場所を追放された。
そう、何一つ得られないままに――。

万人が必ずと言っていいほど幼いときに得るだろう母の愛情、優しい言葉、暖かい温もり。

その全てを、彼は得る事無くしてその場所を去らねばならなかった。
冷たい場所で生きてきた彼に、そのことを悲しむ心は残っていなかった。

けれど、彼にはたった二つの心残りがあった。


一つは末の弟。
得られなかったその全てを、彼は末の弟に注ぎ込んだ。
そして、自分と同じようにその末の弟に暖かい心を持って接してくれた少女。


そう、その少女こそが、彼のもう一つの心残りだった。

少女は類まれな美貌と琵琶の音色から“藤の琵琶姫”と謳われていた。
公主でも郡主でもなく、ただの女官でありながら、少女は王に藤の衣を下賜された。

王家に通ずる“藤”の衣を―。

太子を含めた第三、第四、第五公子達はこぞって彼女に夢中になり、我が物にせんと策を張り巡らした。
だが、公子達の求愛もそぞろに、彼女はただひたすら女官としての勤めを果たし続けるばかり。


その姿を、子供はただじっと見つめ続けた。

特に親しいというわけではなかった。
けれど、やはり末の弟を気遣ってくれるその少女と何度か言葉を交わしたこともあった。

時には琵琶を奏で子守唄を唄ってくれた。
優しい音色に、鈴の様な可愛らしい歌声に、子供の心は癒された。

初めて出逢った、その日から―。










子供はただ佇んでいた。
泣くことも無く、叫ぶことも無く、ただそこに佇んでいた。

悲しいのに、苦しいのに、子供はもうそんなことを感じることが出来ないほど、心が麻痺していた。

こんなのとき、普通の子供であれば母の元へと翔けて行くのだろう。
けれど子供はしなかった。

いや、出来なかった。
なぜなら、子供の心をこんな風にしたのは、子供の母の涙だったからだ。


“どうして……わたくしは何も欲しくなどなかったのに…”


記憶の中の母はいつも泣いていた。
それが子供の一番古い母の記憶。

どうにかしてその涙を留めたくて、必死に手を伸ばしてみれば、母は脅えたような目で子供を見下ろした。
聡いその子供は瞬時に理解した。

何も欲しくなかったと嘆く母の言葉に、自分も含まれていることを―。

そうして自身が要らぬ存在であると受け入れた子供は、出来る限り母の前に姿を見せぬようにと心がけた。
そして今も母が泣いている為にそっと室を離れ、外に出て庭園を見渡している。


 ―ブルッ―


どれほどの刻を過ごしていたかは分からないが、冷たい空気に身体が震える。
桃の花がそっと花びらを綻ばせる春が近づいているといっても、季節はまだ冬。

五つの子供が長時間外にいれば身体が冷えるのは道理である。
けれど子供は室に戻ろうとはしなかった。

否―戻れなかった。
戻ればまた母の泣き顔を目に留めることとなる。

自分が戻れば、母が脅えたような目で自分を見るのは分かっていた。
故に子供はただ時が過ぎるのを待っていた。

不意に耳に楽音が冷たい風に乗って伝わってきた。
悲しい、でも暖かいソレに子供は音を求めて庭園の茂みへと突き進んでいく。


“誰が弾いているんだ”


子供心の探究心ゆえか、それとも自身の心を代弁してくれたこの音の主を求めたのか、己自身も分からぬままに唯々只管に追い求めて翔けていった。








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