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「もう、会えない…ぼくは藍州に帰るよ」
『そんなッ!』
「もう、ぼく達が貴陽にいる意味もない」
最後の言葉を口にしながら、花王はギュッと拳を握り締めた。
本当は、君の傍にいたい。
雪や月に駄々をこねて、自分だけ貴陽に…。
けれど、そんな我が儘は言えない。
「ぼくは“藍家”の人間だから君とは一緒になれない……ご―――」
ごめんね、そう言おうとして花王はぎゅっと唇をかみ締めた。
言ってはいけない、この言葉だけは絶対に言ってはいけない。
そう思いながら、目の前で泣き続ける婉蓉を抱きしめようとする自分の腕を押さえつけた。
(婉蓉…泣かないで、ぼくなんかの為に泣かないで…)
言葉も交わさずに、沈黙が流れる。
ふと、頬に冷たいものが触れた。
自分の涙かと思ったが、涙とは違う、もっと冷たいもの。
上を見渡せば、それが雪だと花王は気付いた。
止めどなく天から降り注いでくる雪に、花王は焦点もなく見つめ続けた。
「花、そろそろ時間だよ…」
不意に呼ばれ、ハッと二人は我に返る。
声の方を振り向けば、兄がいた。
“雪”だった―。
「雪」
花王を迎えに来た兄の名を紡いだポツリとした呟きは、婉蓉の耳にも届いた。
現れた兄の下へと踵を返した花王の手を、婉蓉は握り締めて引き止める。
『花王様、妾も―』
「それなりに楽しかったよ、さようなら」
紡ぐ言葉を遮って、唯二言だけを口にして、花王はあっさりと婉蓉の前を去って行った。
(さようなら、婉蓉…ぼくの愛しい藤姫)
雪の降り注ぐ中、花王は去っていった。
婉蓉の大嫌いで、恐れ続けた“雪”に攫われるようにして―。
『ふ…うっ、ふぇ…』
嗚咽を繰り返しながら、婉蓉は泣き続けた。
彼は一度も振り返ってなどくれなかった。
ひどい、ひどい、と何度も口にしながら、泣き続けた。
悲しかった、痛かった。
恋がこんなにも苦しいものだなんて、思いもしなかった。
誰かを愛することが、その人を失うことがこんなにも辛いだなんて思ってもみなかった。
婉蓉はただただ泣き続けた。
雪に攫われれるようにして、去って行った愛する人を思って―。
「よく我慢したね、花…」
軒の乗り、貴陽の城門を抜けた頃、雪は唐突にそう呟いた。
花王は何を今更、と言いたくなった。
けれど、心と反して瞳から我慢に我慢を重ねて抑えていた涙が零れていた。
拭っても、拭っても、涙は留まることを忘れたかのように零れ続けた。
「愛、していたんだッ…本当に!」
「うん」
「一緒になりたいって、そう…思った」
「うん」
「彼女は…“ぼく”を見分けてくれた」
「うん」
「ぼくが、一番だって…言って、くれたッ」
「うん」
「でもッ…」
続けられはずの言葉は出てこなかった。
辛くて、苦しくて、もう言葉を紡ぐことなんて出来なかった。
その証拠に、花王の頬は涙でいっぱいなのだから。
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