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『花王様…今日はどうされたのですか?』
共に夜を過ごすようになって幾月。
激しさの中にも必ず優しさや余裕のあった彼だが、今日は微塵も感じられなかった。
まるで虚無感を拭う様な激しく乱暴な行為に、婉蓉は不安を抱き問う。
「どうして?」
『いつもより、激しかったので……』
「…何でもないよ、辛かった?」
婉蓉の言葉にハッと目を見開いたがすぐに笑みを貼り付け、寝台に横たわる愛しい少女の髪を撫でる。
優しい手つきにいつもの花王だと安心する。
だが、不安は拭えなかった。
(花王様、何か隠していらっしゃる…)
何が愛しい人を悩ませているのか。
思案にふけると、やはり今のこの政情かと直ぐに浮かんだ。
今現在、王の後継者として一番に名が上げられるのは第二公子・清苑である。
太子を差し置いてだが、能力も家格も公子随一であるため、実力主義を旨とする現王・セン華としてもそれは当然だと思われる。
だが、最近その清苑の周囲に不穏な気配が感じられた。
何が、というわけではなかったが、勘の鋭い婉蓉が否が応でも感じてしまうものであるため、清苑自身はもっと強く感じているだろう。
清苑がいなくなれば王位争いは激化するだろうが、反面あの公子達ならばいつでも、そんな冷静な判断を婉蓉は下した。
ならば別のと思うと、ふと半年ほど前に告げられた雪の言葉が婉蓉の脳裏をよぎった。
“君が噂の琵琶姫?”
向けられた言葉は彼の瞳から溢れる情とは別のものだった。
別段冷たい言葉ではなかったが、品定めをするようなそんな不躾な視線にさすがの婉蓉も気を悪くせずにはいられなかった。
自分を妃にと望む、太子や他の公子達とどこか通ずるような瞳。
その瞳を思い出してしまい、フルリと背筋が震えた。
それを薙ぎ払うかのように婉蓉は花王の胸に擦り寄り、忘れるようと瞳を閉じた。
「君が噂の琵琶姫?」
愛しい待ち人と同じ顔から紡がれた言葉に、婉蓉は彼が“彼の人”とは違う人物だと覚った。
返事をしない婉蓉に目の前の人物は、伺うように顔を覗きこんできた為、あわてて距離を取り是と返事をした。
「ふ〜ん、君が花ご執心のお姫様ね」
ジロリと品定めをする様な不躾な視線に、婉蓉の背筋は冷や汗をこぼした。
穏やかなで悠然とした笑み。
微笑んでいるように見えるが、その瞳は笑っていない。
一頻り彼女を見つめ終わった目の前の彼は、貼り付けていた笑みを消し、鋭い視線で婉蓉を見下ろした。
「悪いけど、藍家は君を認めるわけにはいかない
今はいいよ、花にも恋の一つや二つ、経験するのも必要だから…
でも、最後は藍家に返してもらうよ」
――いいね…?
投げ捨てるような言葉で婉蓉を無理やり頷かせると、彼は悠然と微笑みながら踵を返してその場から去って行った。
“最後は藍家にかえしてもらうよ”
男の言葉が胸に突き刺さる。
わかっていたことだった。
“家”という後ろ盾のない婉蓉と、藍家直系である花王では釣り合いが取れないことなど・・・。
身分違いも甚だしい。
そんな事、言われるまでもなく解っていた。
けれど、花王の口から紡がれる優しい言葉に、どこか自分は期待していた。
もしかしたら―、そんな甘い夢を抱いてしまった。
だが、もう甘い夢な見続けることは出来ない。
政情は波乱へと刻一刻と向かい、花王が藍州へと戻る日は近づいている。
花王が自分を選んでくれるかもしれないなど、もう思えない。
彼は二人の兄を裏切ることなど出来ないのだから。
“ぼく達は、生まれたときからずっと一緒だったんだ”
見分けられれば殺される。
だから、三人は絶対に見分けられないように、同じ仕草、同じ考え、同じ好みを人前で演じ続けた。
彼らの妻になる人間は、彼らを平等に扱わなければならない。
自分には到底そんなことなど出来ない。
自分が愛しているのは、慕っているのは花王なのだから…。
もう、長くは傍にいられない―。
そう思うと涙は止めどなく溢れてきた。
やがて来る別れを恐れ、婉蓉は泣き続けた。
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