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女官とはいえ、女官長は後宮の女主人。
官吏の長たる尚書令と同等の地位を持つ存在である。

故に、歴代女官長は“蘭”の簪を王より賜っていた。
その地位に相応しい花言葉をもつ蘭を―。


優美な貴婦人、厳粛な美しさ、成熟した魅力、思慮深い、責任感が強い
そして何よりも、蘭の花は薔薇と同じように花の女王と謳われている。


 ―薔薇の皇后、蘭の女官長―


歴代の皇后と女官長には薔薇と蘭が王よりそれぞれ贈られた。
けれど、皇后と女官長が同時期に存在した前例は余りない。


後宮に二人の女主人は不要。
いらぬ派閥争いを防ぐ為、余程の事がない限り二人の花は同時に咲かない。

女官長は皇后が不在の時のみ、妃たちの横暴を防ぐ為の重石として代々登用された。
無防備な妃たちを陰謀から守る為に―。


蘭を意味する全てを、女官長は持ち得ていなければならない。

成熟した魅力―若い娘には持ち得ない思慮深さを、女官長は持っている事が就任の条件だった。
未だ年若の月影にはその地位には就ける筈もない。

どれほど優秀であろうとも、周囲の反対を抑える事は出来ないのだ。


だが、婉蓉は違った。
今少し年が若いが、それでも二十六。
何より後宮にあがって二十年以上。

その能力も、他の女官に比べるとその差は歴然としていた。
先王の御世より王に仕え、王に藤を下賜された史上初の女官。

だからこそ婉蓉が女官長に就任する際、後宮はもとより、内侍省から反対の声が上がらなかった。
いや、不満を上げる事が出来なかった。


あの頃の後宮に、彼女以上の女官が存在しなかったのだから―。

それは朝廷でも同じであった。
古参の官吏たちは彼女の働き振りを熟知していたからこそ、若さに目を瞑って就任が許された。



『これから先、主上の元には多くの縁談が送られるでしょう
選定は仙洞省が行いますが、その後の事はあなた方が妃方を抑えるのです

五年…火急の際には、二年待ちなさい
それが過ぎたら、月影が蘭を継ぐのです

陛下のお言葉は全てにおいて優先される

この言葉に違える事無く、私情を捨て、家格に惑わされる事なく、忠義を持って御仕えなさい
珠翠もそれまでは月影を助け、よく導きなさい』


 ―――いいですね


続けられた言葉は先程とは打って変わって穏やかなモノだった。


「「御意」」


二人揃って拝礼した。
彼女は多くを語らない。

けれど時折、こんな風に女官を呼び寄せて静かに力強い口調で語る。
それは必ずと言っていい程、次に繋がることだった。


今回もそうだった。

自分が去った後王がどんな風になるのか、おそらく彼女は理解していた。
彼がどんな窮地に追い込まれ、『誰』と敵対するのさえ。

それでも、彼女は助ける事は出来ない。
彼女は女官だから―。


“他の誰にも御会いしないというのならかまいません…ですが、葵大夫だけは御会いして下さいませッ”

“自分の近しい者の言葉ではなく、自分を諫めてくれる方の言葉こそお聞き下さいませ”



彼女が助言をしようとも、劉輝は一切耳を傾けようとはしなかった。
後宮に引き篭もっていた頃以上に、婉蓉の言葉に耳を貸さなくなったから。

だから、去るのだ。
もう王に仕える事は“出来ない”から。


『言いたかった事はこれだけです
それと、報告があがっていると思いますが、妾はこれから宗正寺に向かいます

帰朝は明日の昼になるのでしょう…
後は任せました』


下がりなさい、という言葉と共に、二人は静々と下がっていった。
その二人を視線で見送ると、婉蓉は大きく息を吐いた。



『疲れた…』


紡がれた言葉はいつもと違っていた。
恭しい装飾語も、凛とした声色も、何も感じられない。

けれど、それが彼女の正直な言葉だった。

女官長という地位も、絶世の佳人という肩書きも、藤の琵琶姫という二つ名も取り払っ
何も纏わぬ、真実彼女の言葉だった。

紡いだ言葉に誘われるが如く、彼女の身体にどっと疲れが押し寄せてきた。
ぐったりと項垂れるように、疲れた身体を長椅子に横たわらせた。

外出の準備も終え、後は軒を待つだけ。
少しだけ、と婉蓉は瞳を閉じる。

今日は大切な日だから。


“あの子”に疲れた顔を見せるわけにはいかない。

“あの子”に弱った自分を見せるわけにはいかないから―。


少しだけでも疲れを取りたくて、誘われる睡魔に身を任せるように、婉蓉の思考は落ちて行った。






 

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