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「お前は婉蓉姫を、慕っているのか?」


震える声で問えば、フンと鼻で笑われた。
当然だろう、とばかりに。


「俺は十年待った、婉蓉があの男を忘れるまでな…
今更他の男に譲るつもりなどない」


投げ付ける様に紡がれた言葉が、誰もいない回廊に嫌に響いた。
仮面越しに見える奇人の目を、射殺さんばかりに皇毅は睨み付ける。


何故、彼女は自分ではなく奇人の屋敷に身を寄せたのか。
自分との関係を悠舜が悟られたくないからこその行動だと理解できる。

けれど、つい最近まで婉蓉の事を何も知らなかった男の元に預けるなど、皇毅には許せなかった。
その上、敵対する黄奇人が彼女を特別に想う様になるなど、少し頭を働かせれば分かる事だった。

それなのに悠舜は奇人を選んだ。
それが皇毅には解せなかった。


“あんな若造にくれてやるものかッ”


小さな胸の呟きを落とす。
最後にもう一度奇人を鼻で笑い、皇毅は踵を返しその場を後にした。

奇人はギュッと強く拳を握り締める。
ブルブルと震える身体が、仮面に隠れた彼の感情を表していた。


(十年、待った……だと?)


皇毅の言葉が、何度も何度も、奇人の脳裏をよぎった。
彼と彼女の間に、何があったのか。

そればかりが、奇人の心を、頭を占めていた。










「絳攸、楸瑛、婉蓉が…、婉蓉が帰って来るのだ!」


嬉しそうに彼女から送られた文を手にし、劉輝はフニャリと顔を綻ばせた。
何度も何度も読み返し、その度に嬉しそうな表情を浮かべる劉輝に楸瑛は苦笑した。


(これで本当に婉蓉殿をふっきれてるんだろうかね…)


嘗て劉輝が口にした言葉を思い出し、不意に溜め息が零れる。
続いてちらり、と隣にいる友人に視線を移す。

彼もまた、劉輝と同じように彼女を慕っている。


「婉蓉殿が…」


そう小さく彼女の名を口にすると、絳攸はそっと表情を和らげた。

彼女が帰って来る。
また彼女と共にいられる。
また彼女の笑みを見れる。

そう思うだけで、絳攸の心はジンワリと温かくなった。
奇人との親しげな雰囲気も、今の絳攸の頭にはなかった。

彼女と共に時間と、空間を共に出来る。
彼女の笑みを見る事が出来る。


それだけで、絳攸の心は満たされていた。

つい先日自覚した想い。
だが、絳攸はそれを彼女に押し付けようとはしなかった。


想いを告げる、という事が頭になかったからかもしれない。
それをする術を持ち合わせていないからかもしれない。

彼女を想うだけで十分だった。

誰かを愛しく想う。
この感情が、どれ程自分を満たしてくれたか。


“誰かを愛しく想う事
その想いはいずれ、国を、民を慈しむ心へと変わるのですから”



嘗て彼女が自分に言ってくれた言葉が胸に広がる。

自分は人として、一歩成長した。
その事実が、嬉しかった。

彼女の笑みを思い浮かべるだけで、幸せだった。


(大事に、大事にしよう……婉蓉殿が下さったこの想いを…)


柔らかな微笑を携えながら、絳攸は小さな決意を胸に刻んだ。



藤の花と謳われた絶世の佳人。

彼女の心を掴むのは、葵か黄牡丹か、それとも何も望まぬ純真な李か。
あるいは、遠き空の向こう藍の牡丹か―。

藤花を巡る男たちの闘いの行方。
答えは誰も知らない―。



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