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『んッ……、ここ、は…?』


掌から感じられる人肌に、婉蓉は意識を取り戻した。

天蓋が閉じられ、寝台の中は薄暗かった。
身体が感じる痛みは小さなもので、意識を失う前に感じた痛みよりも随分と和らいでいた。


『御屋形様…』


掌に感じた温もりの正体が奇人のものだと分かった。
きっと自分が意識を失ってからずっと傍にいたのだと、彼の律儀な性格が伺えた。

クスリ、と口元で小さく笑う。
けれど、すぐに笑みは消えた。


(何故…?)


意識を失う前、彼は自分を抱きしめた。
否、抱きしめたと言うよりは、捕らえた、という表現の方が正しいだろう。

彼の機嫌を損なってしまったのは理解できるが、そこで何故自分が抱きしめられなければならないのかは、理解できなかった。
己の手を握り締めたまま眠る彼を労わる様にそっと離し、起こさぬ様にとゆっくりと寝台から降りる。

天蓋で隠され、分からなかったが、どうやらここは彼の寝室の様だった。
室ならいくらでもある上、婉蓉には彼から与えられた室もあった。


よほど慌てていたのか、それとも―。

婉蓉の脳裏に、あるコトが浮かんだ。
もしそうならば、彼の行動も理解できる。

けれど、彼女にとってそれは、何よりも避けたかったもの。


(少し、御傍に居過ぎたのやもしれませんわね…)


自嘲の笑みが零れた。
彼の性格からすると、次の行動はすぐに分かる。

律儀で、真面目で、誠実な人。
世の女人ならば素直に喜べたはずなのに、彼女にはそれが出来なかった。

彩七家の一角を担う、黄家の御曹司。
朝廷では戸部尚書の任にある、聡明な人。

容姿、家柄、能力。
どれをとっても彩雲国でも筆頭の婿がね。

彼ならば、兄もあの人もきっと賛成してくれる。
けれど、婉蓉にとって奇人の想いは余りにも重すぎた。


 ――ブルリッ…


婉蓉の身体が大きく震えた。
寒さに対してではない、とすぐに理解できた。

これは…そう、恐怖―。
彼の強い想いに恐怖を抱く。


(近いうちに、後宮に戻りましょう…)


そっと胸の内で結論付けると、パタンと小さな音を立てて、婉蓉は奇人の室から去った。









己にあてがわれた室に戻ると、婉蓉は早速身支度を始めた。
傍から見ればいつもと変わらないその行動。

だが、一つ違うのは彼女が室にある、自分の持ち物の整理を始めたのだ。
カチャ、と物音がたち、誘われる様に視線を向けると、そこには昨夜届けられた文箱―。

葵の紋が刻まれた、かの人から送られた物。
文を読んでいなかったと思い出して、中に入った文を取り出す。


(相変わらず、律儀な方…)

“身体の調子はどうだ?
後宮にはいつ頃戻る?
お前の顔が見れないのは、すこし残念だ”



流麗で、硬質な字で書かれた文面に小さな笑みが零れた。

皇毅もまた、奇人同様に律儀で、真面目で、誠実な男だった。
自分はどうもそういう男に好かれるのだと、この時自覚した。


(花王様も、そうでしたわね…)


嘗て自分が愛し、愛された男。

彩七家筆頭、藍家の長子の一人。
今はその藍家の当主の任にある、麗しい青年の顔が脳裏をよぎった。


(そろそろ、後宮を去らねばならない時が来たようですわね…)


お前は後宮にいるべき人間ではない
それは分かっているな?



後宮に入ったとき、セン華王からそう言われた。
婉蓉もその事には、誰よりも自覚していた。

自分が後宮にいれば、いらぬ争いが起こる。
けれど、縹家の監視の目が届かぬ後宮だけが、唯一安全な場所だった。
当時はだが。


縹家は紫家の血を引く、生娘を欲していた。

公主、郡主には、巫女としての素質があるかもしれないから。
その上、血筋を重んじる縹家にとって紫家の血を引く娘は最高の産み腹。

永き渡りに蒼玄王の血筋を繋いできた紫家と、蒼遥姫の血筋を繋いできた縹家。
その二つの家を途絶えさせないためにも、なんとしてでも縹家は自分を手に入れたかったはず。


自分もそれを理解していた。
けれど、理解はしても受け入れる事など出来なかった。

“あの家”に入れば二度と“外”には出られない。
かの姫のように―。


自分の身の処し方を考えるときが来た。

眉間に皺が刻まれる。
美しい(かんばせ)は、歪んでいた。
それが何に対してなのか、本人すら分からなかった。






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