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「姫様、文が届いておりますよ」


その日、夕餉を済ました奇人の身の回りの世話を終え、茶を飲もうと椅子に腰をおろした婉蓉へ扉越しに侍女の声がかかった。

彼女の元に一通の文が届けられたらしい。
濃紺色の袱紗に包まれた文箱に、ソレが兄の悠舜からかと思い何気なく文を受け取ってみた後、婉蓉は後悔の念に見舞われた。


(…皇毅、様…)


文箱に飾られた葵の紋。
彩雲国広しと言えど、文箱に葵の紋を刻む事が許される者など一人しかいなかった。


名門、葵家―。

先王である紫セン華により一族は廃され、生き残りはただ一人、第二の貴族の牙城と言われる御史台を束ねる大夫―葵皇毅―その人だけである。

何故、としか言い様がなかった。
自分が戸部尚書・黄奇人の元で静養しているのは告げていたが、彩七家を厭う皇毅が黄家に身を寄せている彼女に文を出すなど、思いもよらなかった。


 ―カタン―…


聡明な彼らしくもない行動に、不意に文箱を落としてしまった。


「姫、どうされた?」


磨きぬかれた所作を纏う彼女らしくもない失態に、奇人は声を掛ける。
けれど、一向に返事をしない彼女に不振を抱き、何事かと文箱に手を伸ばしたところ、ピクリと伸ばされた手は止まった。


「葵の、紋……葵皇毅?」


不意に奇人の声が低くなる。
その声に脅えるように、婉蓉の身体がビクリと震えた。


『あ、あの…これ、は…』


言葉を発しようにも、擦れて声にならない。
これでは言い訳をしている様にしか聞こえないではないか、と婉蓉は焦燥感に身を竦ませる。


「姫は、葵皇毅と親しい間柄なのですか?」


怒りの篭った低い声色と、向けられる瞳の鋭さに背筋がヒヤリと冷める。

別に婉蓉が誰と親しくなろうと、奇人の介入する必要などない。
けれど、つい先日己の感情を自覚してしまった奇人に、胸の内に渦巻くドロドロとした感情を抑える術はなかった。


彼女は優しい。
彼女は温かい。
彼女は全てを包み、愛し、愛される。


今日の茶の湯でそれを再度知った。

彼女の本当の魅力に触れた奇人は、尚も一層彼女に惹かれた。
その想いが、今仇となる―。



『……葵長官には、十三年程前から何かとお世話になっております』


季節の折の文などを交わす程には、と言葉を続けるはずだった。
けれど、十三年前という言葉に奇人がピクリと反応を示したのだ。

十三年前――それは、公子一優秀と謳われた第二公子清苑が流罪とされた頃。


(確かに、あの頃の後宮は何かと騒がしかったと聞いているな…)


自身が宮仕えをする前の事とはいえ、黄州にいた当時の奇人の耳にもそれは届いていた。
当時、葵皇毅も既に官吏として入朝しており、彼女も同様に女官となっており、高位の地位に付いていた。

何より、“藤の琵琶姫”として公子達から日々追い回されていた頃だと聞かされている。
御史として任官していた皇毅と知り合う機会などいくらでもあったのだ。

自分の無粋な感情で彼女を脅えさせてしまい、侘びの言葉を告げるべきなのも分かっていた。
けれど、言葉を紡ぐ事は出来なかった。


それは…嫉妬という名の感情(おもい)―。






 

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