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『風がとても心地好いですね』


黄家貴陽別邸の庭園に用意された畳の上に座しながら、婉蓉は涼やかな風に笑みを零した。
残暑が厳しく、鋭い日差しが続く日だったが、今日は過ごしやすい穏やかな晴れ模様が旻に広がっている。

公休日に重なったよい天候を逃すまいと、侍女たちに用意された道具を見せられ、誘われるがままに奇人と茶会を催す事となったのだ。
作法に自信がないと辞していたが、奇人の是非という言葉につられ、気付けば畳の上に座っていた。



コポコポと音を立てながら沸騰する茶釜の蓋を、袱紗で覆いながらそっと蓋置きに乗せる。
水差しの蓋を開け、建水を引き上げ、棗を棚から下ろす。


一連の作法を、流れるように行うその様は、優美で洗礼されていた。
彼女が行うだけで、全てが美しく高雅に思えてならない。


『本来ならば、茶菓子も妾が用意するべきなのですが、今日は侍女の方々がご用意して下さいました
作法など気にせず、御寛ぎになってお召し上がり下さいませ』


茶杓を磨きながらそっと奇人に目配せする。

何気ない所作にも、奇人を気遣う心配りを感じてならない。
彼の隣、次席に座して彼女の作法に見惚れる侍女頭は、ホウと小さな息を零した。


(本当に、姫様は何をなされてもお美しくていらっしゃる)


茶碗に抹茶を注ぎ、茶杓を磨いた後に棗を仕舞う。
茶筅を持ち出し、ゆっくりとけれど素早い所作で茶を点てる。

ピンと伸ばされた背筋から首の線が凛として美しい。
その背を流れる漆の様な黒髪が、日差しを浴びて艶めく。


(この茶の湯というのは、婉蓉姫の美しさを一層際立たせるな)


彼女の凛とした佇まいと、優しい心づくしの作法、何より全ての茶道具から滲み出る気品が、彼女を一層魅力的に魅せた。

夏の終わりの涼やかな風が、茶の香りをそっと運んでくれる。
同時に、彼女の纏う花橘の香が奇人の鼻腔を擽り、穏やかな雰囲気を一層強めた。


『夏の風、実りを育む力強い日差し、甘く優しい茶の香り…
野点のよさは季節を肌で感じながら茶を楽しむ事と言いますが、本当に好い日に恵まれました』


点て終えた茶をそっと差し出しながら、婉蓉はニコリと表情を綻ばせた。

紡がれた言葉は、何気ないもの。
けれど、その言葉すら彼女が紡ぐだけで美しい詩となって耳に届く。

柔らかな声が風と共に運ばれる。
耳に注ぐ、優しい詩声―。

茶を受け取り、事前に教えられた三度に分けて飲み干す。
ただそれだけの事なのに、彼女の前で行う作法が何よりも難しく感じられた。


『御屋形様は、どんな花がお好きですか?』


不意に尋ねられた問いに、奇人はきょとんと目を見開いた。

取り立てて好んだ花はなかった。
けれど、彼女が纏う花橘、彼女を示す藤の花。
彼女が好む、牡丹の花。

自然と彼女に纏わる花を、奇人も好むようになった。

だが、自分の想いを知られるのを厭い、特にない、とそっけなく返した。
そんな自分を彼女は咎めはしなかった。


『彩雲国は、とても四季に恵まれた国です』


ご存知でしたか?

続けられた言葉に奇人はまたも目を見開く。
それは隣に座していた侍女頭も同じだった。


『茶の湯の文化を持つ外つの国も、彩雲国と同じように季節に恵まれた国です
けれど、この世界に存在する多くの国が、実は季節というものを日常に感じることは難しいのです

南に行けば、暑さに悶える
暑さに強い花は多く咲き誇るけれど、逆に寒さに強い花は芽吹く事すら適いません

北に行けば、寒さに凍える
寒牡丹は美しく咲き誇るけれど、氷の世界に閉じ込められその地は、春や夏の花が芽吹く事はありません

同じ緯度の国でも、吹く風や流れる海流によって感じる季節も異なります
天候や風、それらがもたらす全ての自然の相性によって、芽吹く花は異なります

妾は彩雲国の、それも貴陽の一角しか存じ上げません
それでも、この国に咲き誇る花がどの国のものよりも多く、美しく、誇り高く咲くことは知っています』


空となった茶碗を手に、ゆっくりと婉蓉は庭園を見渡す。
夏の日差しによって育まれた、美しい木々や花々が我先にと誇らしげに地に根付いている。


『自然は人に愛でられるものではありません
ですが、人に愛されるものである事は確かです

生きる事に急いて、目に映るはずの美しいものから目を逸らすのはとても、残念な事


御屋形様のお屋敷はとても美しい花々に囲まれております
けれど、今御屋形様が口にした言葉で、もしかしたら咲き誇る木々や花々は、啼いているかもしれません
愛し、愛されるのは何も人だけではないのです

その事を、どうか御心の片隅に、留め置きくださいましね』


悠然と微笑む婉蓉の笑みが、いつもよりも眩しく見えた。

今回の茶会は、外の国の文化を紹介するためではなく、仕事ばかりに目を向けていた自分の心を“外”に向ける為なのでは、と思えてならなかった。






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