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食事を終えた後、絳攸は屋敷の主より用意された室で身体を休めていた。
身体を休めるといっても、朝日が昇るまであとすう刻程度しかないが、徹夜するよりは幾分かましである。
返事二つで屋敷の主の好意を受け取り、用意された離れで宛がわれた室にそれぞれ入っていった。
用意された室は、流石は黄家と言うべき品のある落ち着いてものだった。
けれど、今の絳攸にはどの調度品も目に入らなかった。
もともとそういった贅沢品に興味がないということもあったが、先程の自分の行動を思い返していた絳攸の頭は、ソレで一杯だった。
―はあぁ―
室の奥にある大きな寝台にて、入室後何度目かも分からぬ大きな溜め息を零した。
(一体なんだと言うのだ…先程から動悸が止まらない上に、身体が熱い…)
不意にちらりと自身の手に視線を移し、そっと触れてみる。
先程婉蓉が触れた手の甲がジンワリと熱を持っている。
彼女が自分に触れた瞬間、絳攸の全身にナニかが駆け巡ったのだ。
そして自分の頭がまるで警鐘を告げるかの様に、身体を動かした。
(一体俺はどうしたと言うのだ?
いくら女人とは言え、婉蓉殿に触れられただけであんな反応するなど、馬鹿げているにも程があるぞッ)
彼女と手が触れ合う事など別に今日が始めてのことではなかった。
これまで彼女が政務の間に差し出してくれた茶器を渡すとき、書類を渡すときなど、何度もあった。
それなのに―。
(一体なんなんだッ!婉蓉殿は確かに女人だが、これまでの女とは違う、と分かっているはずだッ!)
自分がこれまで出会ってきた女人とは別物、絳攸は知っていたし、理解もしていた。
事実、彼女の言葉にはきちんと耳を傾けていたし、何より彼女自身の働き振りが絳攸にそうさせた。
彼女が女官長になってからというものの、後宮の女官が不用意に自分に話しかけてこなくなったのは一重に彼女の配慮のお陰である。
自分が迷った際には、近くにいた衛士が先だって道案内をしてくれる様になったたのも彼女のおかげだと知っている。
何より、これまで我が物顔で後宮の女官に手を出し続けていた楸瑛が、パタりとソレを止めたのだ。
筆頭女官の珠翠が幾度となく口を酸っぱくして制止を掛けていたにも関わらず、止めなかった楸瑛をだ―。
これには絳攸も頭が下がった。
後宮から朝帰りをすることもなくなり、藍家は王の花を横取りするのか、とこれまで囁かれていた良からぬ噂も近頃では聞かなくなった。
王はもちろん、側近となり花を賜った自分たちを思っての行動なのだと今ならば理解できる。
(確かに婉蓉殿は素晴らしい女人だ
俺は………)
訳が分からず、悶々と考え込むが、結局一体ナニに対して自分が反応したかは分からずじまいだった。
「ここは…どこだ?」
闇の中を彷徨いながら、出口のない世界を突き進みながら絳攸はそこにいた。
先程まで自分はどこにいたのか。
それすら思い出せない状況でも、彼は取り乱す事もなく、出口を求め突き進んでいた。
『絳攸様、絳攸様』
闇の帳に差し込む、一筋の光の様な優しい声が聞こえてきた。
自分の名を呼ぶその声の主にはどこか覚えがあった。
だが、誰だか思い出せずにいた。
それでも、こんな闇の世界の中で一人でいる事が心細くなった絳攸は、声の主を求めるように自分はここだ、と主張した。
『絳攸様、よかった…ご無事でいらっしゃられたのですね
随分とお待ち申し上げましたわ』
柔らかな声の主は、得も言われぬ花の顔の美しい娘だった。
年は彼よりは幾分か上か、それでも十二分に美しい娘。
何より、自分が見つかった事を心から喜ぶその微笑みは仙女の如く婀娜めいていた。
漆黒の髪に、透き通るように白い肌、印象的な橙がかった赤褐色の瞳の美女―。
そう、柔らかな声と共に現れたのは、絳攸がよく知る人物だった。
「婉蓉殿ッ!?」
『はい、妾でございます
絳攸様…まだお加減がよろしくないのですか?』
身長差のせいもあって、自然と上目遣いで見つめる婉蓉。
憂いの表情で告げる彼女はなんとも艶やかで美しく、流石の絳攸もクラリとその色香によろめいた。
紅く色づいた唇がなんともしどけない―。
『絳攸様…』
彼女の手が自分の手と重なった瞬間、ドクリと絳攸の胸が大きく高鳴った。
同時に彼の身体に熱が走る。
「婉蓉殿ッ!」
必死に彼女から身を離そうと試みた。
けれど、心とは裏腹に絳攸の腕はしっかりと彼女の腰に回されている。
(俺は何をやっているんだッ…)
必死に頭でそう叫び続けるものの、彼女との距離は縮まるばかり。
そして、互いの顔が近づき、ゆっくりと彼女の瞳は閉じられる―。
(なッ!やめろッ、やめるんだッ!!
おい、俺ッ!!何をしているんだ…)
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