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「何でアンタまでいるのよッ!」
食卓へと菜を運んだ秀麗が一番初めに口にした言葉は、いる筈もない人物に向けた正直なモノだった。
「ちゃんと文は出したぞ、邵可にも返事を貰った…秀麗は、余に会えて嬉しくないのか?」
哀愁漂う表情に、秀麗はうっと唸った。
この数ヶ月の間、藁人形を始めとした奇妙な贈り物と、数日に一度は贈られる日記の様な一行文のお陰で、会わなかったという実感は余りなかったのである。
余りの下らない彼の所業に、その場にいた者は呆れため息を零した。
こと、文はまめに、との助言を出した楸瑛は、彼の的外れな文の内容にほとほと落胆した。
(内容が大事なんですけれどね…)
彼の真摯な言葉は、誰にも届く事はない。
「…劉輝、あんた自分が悪い事をしたって自覚はあるわね」
劉輝の“ある所業”に、ワナワナと身体を震えさせ怒る秀麗に、当の本人である劉輝は全く理解していない。
「可愛いから口づけただけだが?」
のほほんとした彼の態度に、秀麗は切れた。
ブン、と大きくふりおろされた彼女の張り手をひょいひょいと交わしながら、二人の鬼事は四半時程続いた。
結局、劉輝はものの見事に彼女の張り手をくらい、頬に真っ赤な紅葉跡を付けて室の隅で泣いている。
『劉輝様、いくら秀麗様が可愛らしくとも、恋人以外の者が女人の唇を奪うのは辱めにも当たる行為ですわ』
しくしくと泣く劉輝に、それまで厨で後片付けをしていた婉蓉がそっと慰めの言葉を紡いだ。
今の今まで彼女の存在を頭から忘れ去っていた劉輝は、驚いた顔で彼女を見つめている。
「…婉蓉?」
『はい、婉蓉でございます』
水で冷やされた手拭いをそっと頬に当てて冷やし、室の床に座り込んでいる劉輝の手を引いてそっと立ち上がらせる。
「婉蓉ッ…身体はもう良いのか?
余は、余は…心配したのだッ!」
ウルウルと瞳を揺らしながら告げる彼に、いつもながら婉蓉は苦笑交じりの笑みで答える。
なんともほのぼのとした光景ではあるが、はっきり言って秀麗以外の者は相変わらずの甘さだ、と呆れている。
『さ、劉輝様、食事が冷めてしまいますのでお召し上がり下さいまし』
暖めなおした汁を差し出し、中断されていた食事を再開させる。
その間も、頬の手当てやら茶のお変わりやらと甲斐甲斐しく世話を焼く彼女の姿はいつもの光景だった。
ただ一人、絳攸だけが、その光景に苛立ちを覚えていた。
「婉蓉殿、あまり甘やかさないで下さい」
苛立ちを含んだ声音で告げると、すかさず楸瑛の横槍が入り、いつもの如く絳攸の雷が落ちるのかと思っていたが、違った―。
「絳攸、そんなに主上が羨ましいなら、君も婉蓉殿にお願いすればいいじゃないか
お優しい婉蓉殿の事ですから、きっと君の世話も甲斐甲斐しく焼いてくれるよ」
いつもなら常春頭がッと怒鳴りつけ、茶碗や箸が飛んできても可笑しくないはずである。
だが、今日は違った―。
「なッ!!楸えッ、きさッ、なにッ…」
もやは言葉にならない言葉を紡ぎ、顔を真っ赤に染める絳攸。
余りの顔の赤さに、楸瑛はブホッと吹いた。
そして、それまで劉輝の世話に没頭していた婉蓉はふと絳攸に近づいた。
『李侍朗?如何なされたのでございますか?』
―ドクンッ―
そっと彼の手をとり触診しようとすると、絳攸は見事な早業で彼女から身を離す。
余りの早業に、婉蓉は彼が女人嫌いであったことを思い出し、そっと侘びを入れるも返事は返ってこなかった。
余程嫌だったのだろう、と結論付けた彼女は何事もなかったかの様にまた劉輝の世話を焼く。
一方、絳攸は気まずそうに、黙々と食事を続けた。
秀麗との会話に夢中になっていた劉輝は、その光景を見ていない。
だが秀麗と劉輝を除く、楸瑛、静蘭、燕青ははっきりと目に留めていた。
特に、彼の女人嫌いの経緯を知る楸瑛はもの珍しそうな視線を彼に向けていたが、絳攸は全く気付いていない。
(ふ〜ん、絳攸が婉蓉殿にねえ…)
まるで面白いおもちゃを見つけたが如く、にやりと笑みを深める彼に、これからの絳攸とのやり取りは手に取るように伺える。
(絳攸殿が、婉蓉に?)
未だ初恋の姫を思い続けている静蘭は、気が気でなかった。
彼女とどうこうなろうとは今更思えなかったが、それでも気になって仕方がなかった。
食事の間、終始静蘭の視線は絳攸に注がれていたのだが、当の本人は自分の胸の高鳴りを抑える事に精一杯で、一向に気付く予知はなかった。
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