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『秀麗様、どちらへ向かわれますの?』
一人残された秀麗を心配して室へと様子見に行くと、回廊にて婉蓉は居合わせた。
外は賊退治に勤しむ彼らとの攻防で荒れており、正直回廊とはいえ、室の外へと出る彼女の浅慮さには呆れてしまった。
咎める様な口調でつげると、秀麗は何も気付いておらず、ケロリとした表情で厨(くりや)へと答えた。
『この様な時刻に、厨でございますか?』
夜更けに他家の屋敷を歩き回り、しかも厨へと向かうなど失礼にも程がある。
流石に婉蓉の言いたい事を理解した秀麗ではあるが、静蘭に頼まれて為であり、屋敷の主にも許可を貰った事を告げた。
『御屋形様がお許しになられたのであれば、妾から申し上げる事はございません
でしたら、僭越ながら妾もお手伝い致します』
憧れの婉蓉と共に菜を出来るなんて―と思った秀麗は歓喜に笑みを零した。
彼女の菜は、劉輝も手放しに褒めていたからである。
“秀麗の饅頭も上手いが、婉蓉の饅頭も本当に上手いのだ
秀麗も食べたらきっと納得するのだ”
春に後宮に上がった時、劉輝はそう言った。
その時は女官長という高位の女官でありながら菜までこなすのね…でもわたしは長く後宮にいられないんだから食べられる日なんて、などと思っていた。
だが、今なら彼女の菜を間近で見る事が出来る上に、運良くば食す事も出来るのだ。
菜研究家としての一面を持つ秀麗にとって、これほど美味しい話はない。
「是非お願いします」
二つ返事で答えると、さっそくいきましょう、と相変わらず優雅な所作でゆっくりと歩く婉蓉を急かしながら、秀麗は厨へと向かった。
(秀麗様の美味なるお饅頭の秘訣を間近で見るよい機会ですものね…)
麗しの女官長も、実は同じ事を考えていたのだ。
これには秀麗も気付かないだろう。
厨へ辿り着いてからの二人の行動は早かった。
手馴れたように鍋や包丁を扱い、あっという間に一品、二品と仕上げていく秀麗の美技に、婉蓉は感嘆の息を漏らした。
(流石は紅家の主婦ですわね)
邵可のおっとりとした気性故に、家計は火の車であることは知っていたし、それをせっせとやりくりしていたのも知っていた。
だが、正直これ程とは思ってもみなかった。
(毎日こなしているとこうなるのでしょうね)
薔君の亡き後から十年間、彼女は毎日の様に行ってきた事を思えば、当然と言えよう。
彼女の邪魔にならぬ様にと心がけてはいるが、はっきり言って邪魔にしかならないだろう、と思った。
いくら菜が出来ると言えども、婉蓉の菜は所詮趣味の域。
日常において行っている秀麗の速さについていけるはずもなかった。
「後はお饅頭だけですね」
気が付けば、十品の菜が所狭しと厨の机に並べられていた。
どれも見た目美しく、匂いだけでも美味であると想像に容易かった。
饅頭を一緒に作りたい、ただそれだけの為に秀麗はいつも以上の速さで作ったのだが、それは婉蓉の知る所ではなかった。
小麦粉をお湯で捏ねて、丸め、麺棒で叩き、伸ばす。
簡単でありながら、実は奥が深い。
それを淡々とやってのけている秀麗は本当にスゴイ、と婉蓉は生地を丸めながら思った。
「婉蓉様のお饅頭は、葱がたっぷり入っているんですね」
生地は同じものだが、中に詰める具は別。
秀麗のものは、普段つかっている白菜が主なものであり、似たような食感でも大分違ってくるだろう。
『秀麗様のものは白菜ですね
歯ごたえがある上に、白菜の葉に肉汁がよく染み込みますから冷めても美味ですわね
まあ、妾の場合は……劉輝様は御膳を抜かれる事がよくありましたので、生薬にも使用される葱を多く使ったのです
風邪の予防にもよいと聞きましたので』
後見もない忘れ去られた公子、いつもお腹を空かせていた劉輝の為に、婉蓉が覚えたものだった。
一番初めに食べたのは桃饅だったが、いつも桃饅を食べさせる訳にいかなかった。
もっと栄養のあるものを―。
そう思って思索したのが葱饅頭だった。
最も、それまでほとんど菜などした事がなかった婉蓉にとって、正に寝る間も削っての思索だった事は誰も知らぬ事ではあるが…。
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