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その頃、燕青は青年の屋敷の庭に罠を張り巡らせていた。
今日の夜、彼に引き寄せられる様に多くの“客人”が訪れるため、その迎えの準備をしていたのだ。
ようやくその準備が終えた頃、彼の耳に聞き覚えのある声が届いた。


「やっぱ来てくれたんだな静蘭、さっすが竹馬の友!!」


二カッと人付きする笑みで燕青は迎えた。
一方、静蘭は憮然とした表情で彼を睨み付けている。


「よくもまあ、ここまで罠を張り巡らせたものだ…
このコメツキバッタ!潜り抜けてくるのに一苦労しただろうがッ」


彼からすれば、罠の一つや二つたいしたことではない。
問題はその数である。

紅邵可邸ほどではないが、この屋敷の敷地もかなりの広さを誇っている。
その屋敷中に張り巡らされた膨大な罠を潜り抜けるのが面倒でならなかったのだろう。


もはや八つ当たりと変わらない静蘭の愚痴であはあるが、それは燕青だけに向けられるもの。
静蘭を竹馬の友と呼ぶ、彼にだけ許されたある種の特権のようなものではあるが、静蘭と共に屋敷を訪れた若者たちは憐憫の篭った表情で燕青を見つめた。

ただ一人を除いて―。


「誰だお前は!」


竹馬の友、と静蘭の事をさしたが、はっきり言って声を荒げた劉輝には燕青の顔など記憶にない、と言い切った。


「誰?新顔…」


劉輝が静蘭の異母弟であることを知らない燕青は正直な感想を口にした。
それを受けた劉輝は、ウッと声をくぐもらせる。

何も言い返せない劉輝を静蘭はそっと宥める。
はたから見れば主従関係のように見えるが、いかんせん、どう見ても飼い主と飼い犬にしか見えなかった。

双花の二人はいつもの光景として知らぬ振りを決め込んだ。


丁度その時、その場の五人の耳に琵琶の音と歌声が風に乗って入り込んできた。
優しく暖かなそれに、誰が弾いているのだろうと皆一様に思考をめぐらせる。


「これは…婉蓉だ」


はっきりと劉輝は言った。
幼い頃、兄・清苑が流罪となってからはほぼ毎晩の様に聴いて眠ったのだから間違いはない、と言葉の裏に感じられた。


「婉蓉殿、ですか…これは素晴らしい
流石は、と言った所でしょうかね」


燕青がいる手前、藤の琵琶姫と続けようとした言葉を楸瑛は遮ったが、燕青を除いた四人は納得していた。

彼女はもう人前で琵琶を奏でることをしなくなった。
それは、嘗ての後宮で彼女を得ようと公子たちが争いを起こしたこともあってか、彼女自ら封じた。

ただ、劉輝に請われた時だけ、彼女は琵琶を奏で歌を紡ぐ。
まさに王にだけ許された天上の調べである。





「それにしても、あの姫さんの琵琶ってすげえな…」


燕青はいつになく震えた声で言った。
闇夜に隠れてその表情は伺えないが、静蘭だけは彼の表情が手に取るように分かった。静蘭もまた、珍しく感傷に浸っていたのだから。


(初めて会ったときと変わらない
アレの琵琶の音はいつも心揺さぶる)


優しいのに、暖かいのに、どこか物悲しい気持ちにさせる彼女の琵琶は、二十年の月日が過ぎようとも変わらなかった。

もう記憶の彼方に押しやった筈の母の顔が、静蘭の、いや清苑の脳裏に浮かんだ。
いつも泣いていた、心の弱かった母。


(母を愛する事を諦めてしまった私を、どんな思いで見ていたのだろうか…)


らしくもなく、静蘭は胸中で囁いた。
それは燕青や静蘭だけではなく、楸瑛と劉輝も同じだった。


手酷い扱いを受けようとも、劉輝にとっての母はただ一人だった。
優しい言葉も、温かい手を差し伸べてもらって事もなかったが、それでも母を思い出してしまった。

楸瑛もまた、父の多くの妾たちに対して常に毅然としていた母を思い浮かべた。
もう、何年も会ってない母。
元気にしているのだろうか、と思わずにはいられなかった。


そして、この男も抱いた感情は別ではあるが、母を思い浮かべていた。


(…百合さん)


いつも仕事で紅州に行ったきりの義母。
最後に会ったのはいつだったか、と思い浮かべたが、すぐにそれは消えた。
変わりに浮かんだのは、別のことだった。


(百合さんの音と、似ている…)


絳攸は李姓を賜ったものの、紅家当主・紅黎深の養子である。
彼自身は琵琶をよくするわけではなかったが、それでも名手と名高い百合の琵琶の音を幼い頃から耳にしていた。

その義母である百合の音色と、今聞こえてくる婉蓉が奏でている音色はよく似ていた。
上手い人の音色というものは酷似して聞こえてくる、と誰かが言っていたことを思い出し、絳攸の脳裏に浮かんだことはすぐに詮無いことと消え去った。


絳攸は気付かなかった。
自分が思い浮かんだ事が、正しいことに―。



To be continue...


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