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「おやすい御用だ、今夜中に摘んで来る!」


葉医師の言葉に耳を傾ける事のなかった少年の兄・翔琳は、医師の告げた石斛(せっこく)という薬草を求めて、風の如く掛けて行った。


『まるで嵐の様でしたわね』


少年の動向をそう表現した婉蓉に、医師は何かやってたほうが気が紛れていいじゃろう、と高笑いをあげて答えた。


「それにしても…」


先程までは医師の態度を崩さなかった葉は、婉蓉と奇人を交互に見比べながらデレデレと表情を崩している。


「往診に来てこんな美人さんに二人も会えるとはついとるのう…わしの長い人生でも滅多に拝めない美人さんじゃ」


なぜ、おなごじゃないないかのう、と奇人のまっさらな胸をペタペタと遠慮もなしに触る姿に、最早医師の威厳もへったくれもない。
怒りを露らにして掌に気を集中させる奇人を、燕青は必死に宥めていた。
そんな彼のことなどお構いなしに、葉医師の視線は婉蓉へと注がれる。


「こちらはちゃんとした女子のようじゃのう」


服の上からも分かる彼女の豊満な胸をさわさわと気持ちよさげに触れる医師に、その場の三人はピシリと固まった。

こういった事に慣れているはずの婉蓉ではあるが、流石に人前で堂々と胸を触られたことなどあるはずもない。
ポカンと呆けたまま立ち竦む。


「おい、いくらなんでもやり過ぎだろう!」


今にも医師を吹き飛ばさんばかりの奇人の腕を押さえながら、燕青は声を荒げた。


「そうかそうか、すまんのう」


悪びれもなく謝罪の言葉を口にする姿に、何を行っても無駄なのだと理解できる。
だが、触られた婉蓉の事を思うと哀れでならなかった。


「おい姫さん、大丈夫か?」


そっと傍へと近寄り顔を覗き込んでみても、彼女は正気を取り戻さない。
余程の衝撃だったのだろう。


「かなり堪えてるみてえだな」


ボリボリと頭を掻きながら困ったように表情を歪める燕青。
未だに女人、いや婉蓉に対して不埒な行為を働いた医師を睨み付ける奇人。

三者三様の反応を面白そうに見つめる医師は、ひょひょひょ、と不気味な笑い声を上げた。





『まさか人前であの様な不埒な真似をされようとは思ってもみませんでしたわ』


正気を取り戻した婉蓉はジロリと医師を一睨みすると、大きな溜め息を零した。
後宮の女官である為、先王の公子がまだ後宮にいた時にも今回のような不埒な真似をされたことはあった。

あの時は相手が公子であり自分が女官ということもあって、仕方のない事として諦めていた。

だが、今回の葉医師に関しては全くの別物である。
まさに、まさか…の事である。

ガミガミと怒りに任せて怒鳴りつけてもよかったが、そんなはしたない行為を人前でする程彼女は無作法でもない。


(まあ、高々胸を触られた程度で怒るほどの年でもありませんしね)


胸中で呟くと、未だ目覚めぬ少年の下へと踵を返した。
熱の篭った呼吸を繰り返す曜春に憐憫の情を抱いてならない。
そっと額に手を当てて熱を測ってみると、まだ熱が下がる様子は伺えない。


『お苦しいでしょうに…』


そばに置いてある桶に手拭いを浸し、しっかりと冷やしてから額にのせる。
その感触が熱の篭った身体には嬉しいのだろうか、幾分か曜春の表情が和らいだようにも感じた。


「…ん…んんッ」


彼女の動作にか、はたまた心地よい冷たさに曜春の閉じられた瞼が開けられた。
ぼんやりとだが婉蓉に視線を送り、何か言いたげな様子である。

そっと顔を近づけ声を聞き取ろうとするものの聞き取れず、どうしました、囁く様に問えば嬉しそうに彼の表情が綻んだ。


「母、さん…」


ポツリと呟かれた言葉に、婉蓉ははっと目を見開いた。
自分の事を言っているのだろうか。


(きっとお母様の事を思い出されたのだわ)


まだまだ子供と呼ばれる年の頃の少年。
体調を崩すと何故か皆一様に母を求める。
彼女の主である劉輝も同じだった。


『大丈夫よ、あなたが眠るまで傍にいるわ
ゆっくり眠りなさい』


林檎の様に赤く染まった頬を撫でながら呟けば、曜春は嬉しそうに笑った。
そしてもう一度、彼女を母と呼びながら微睡の中に誘われて行った。


瞼を閉じてゆっくりと熱の篭った息を吐きながら、曜春は眠りにつく。
そんな少年を慮ってか、婉蓉は近くに佇んでいた侍女に一言告げると、侍女は静々と下がっていった。

暫くして、侍女が琵琶を抱えて戻ってきた。
その琵琶を受け取ると、婉蓉は指を遊ばせるように小さな音を奏で唄を口ずさみ始めた。


  天からの恵み 受けてこの地球に

  生まれたる我が子 祈り込め育て


不思議な調べ。
それは彩雲国にはない、異国の唄だった。

だが、彼女の琵琶の音と優しい歌声に侍女は問いただすこともなく、ただただその子守唄に耳を傾けた。






 

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