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あの夜の婉蓉の言葉に魅せられてか、それからというものの、忙しいはずの仕事の合間を縫って奇人は出来るだけ屋敷へと帰宅するように心掛けた。


応援の侍童の優秀さも相俟ってか、ここ一月の間に奇人はきちんと屋敷に戻って体を休めている。
公休日になれば婉蓉と四阿(あずまや)に出て、茶会を催すほどの余裕をもった生活を送っている。

これもきっと姫様のお陰です、と口々に声を上げる侍女たちを余所目に、婉蓉はただ彼が働きすぎずにいることを嬉しく思っていた。


『そうかもしれませんが…妾は、御屋形様がきちんと御体を御安めになられるようになられた事の方が喜ばしいですわ』


自身の手柄を喜ぶのではなく、自身の言葉から何かを学んだ屋敷の主の行動を称える。
欲に塗(まみ)れず、誇りを持って王に仕えてきた彼女らしい言葉だった。

また、それをさらりと言うあたりが彼女の美徳でもある。
諭された侍女たちは、またもや彼女の心栄えに心酔し、やはり主の奥方にはこの姫しかいないと改めて思った。





そんな彼女たちを傍目に、婉蓉は窓の外に視線を送った。
屋敷に来た当初は余りの猛暑ぶりに嫌気がさしたものの、今では時折吹く涼しい風がやんわりと夏の暑さを和らげている。


『もう夏も終わりが近づいているのですね』


ポツリと零した彼女の呟きに、傍らに仕えていた侍女たちはギクリと身を強張らせた。

屋敷で世話になっている婉蓉だが、いつまでもここに居座るつもりはない。
夏の終わりが近づけば、それだけ彼女が屋敷を去る日も近づくのだ。

出来ることならずっと屋敷に居続けて、そのまま主の奥方になってほしいと考えている侍女たちはオロオロと慌てふためき始める。


「姫様、どうか…」


この屋敷に留まって下さいませんか、と告げようとした所で外から扉がコンコンと叩かれた。




よい機会であったのに、とブツブツ言いながらも侍女頭は扉の近くへと歩を進めていく。


「何事です?」


声を荒げぬようにそっと扉越しに問い掛ける。


「御屋形様がご帰宅されます」


返ってきた返答に侍女頭の表情が一変した。

そして続けられた言葉にしっかりとした口調で分かりましたと返事をすると、扉の向こうの従者は足音も立てずに去っていった。


(流石は黄家の従者ですわね、足音一つ立てないとは…
それにしてもあの御屋形様が仮面を外されて、尚且つ道の往来で人をお助けになるなんて余程のことがあるのかしら?)


楽を嗜(たしな)む婉蓉は、扉越しに行われた二人の小さな会話に聞き耳を立てていた。
静々と申し訳なさそうに自分の前へと戻ってきた侍女頭に彼女はニコリと笑みを向け、何も気にしてない、と言葉無く告げる。


『御屋形様がご帰宅なされたのですから、妾も茶器の用意をいたしますね』


本当はどう言った経緯で帰宅するのかも聞こえていたが、怪しまれるような言動はしない辺りが流石である。

ゆっくりと腰掛から立ち上がる婉蓉に、侍女頭は慌てた様に制止の言葉を掛けた。


「その、御屋形様は…仮面を外してご帰宅なさるのです」


その言葉で婉蓉は彼女の言いたい事を悟った。

つまり、仮面の下の素顔を知らぬであろう婉蓉が彼の顔を見て気絶、もしくは自身を超える美貌の持ち主であることに嫌悪感を抱くのではと思い、帰宅する彼と対面することを避けようとしているのだ。


だが、つい十日程前に彼の素顔を直視し、尚且つニコリと微笑み会話をやってのけた彼女にとってそれは杞憂である。
そのことを告げると、侍女頭を始め、室に侍っていた侍女たちは目を見開いた。


「本当でございますかッ?」

『ええ、ですからその日以来、御屋形様は妾とお話をなさる時は仮面をお外しになられますよ』


意外ではあるが、侍女たちにとっては吉報を知ることとなる。
素顔を知っているのならば、と嬉しそうな表情を浮かべる侍女頭は、婉蓉は御屋形様を迎えてほしいと告げる。

自分たちは医師の出迎えや室の用意とやることが重なっている為、彼を出迎え、病人を室に案内するには…と語尾を濁して続けた。

屋敷で世話になっている事を思えば、彼女たちの手伝いを受けるのも当然であると考える婉蓉は返事一つで了承した。


彼女の心栄えを知って、彼と何とかして結びつけようと画策する侍女たちの心も知らずに、婉蓉は一人病人を迎える室へと向かっていった。



To be continue...


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