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暑い暑い夏が到来した。
例年とは比べ物にならに程の猛暑に、内朝の官吏たちはもちろんのこと、後宮の女官たちもこの熱さにはほとほと参っていた。
それは女官長である彼女にも例外ではなかった。
「婉蓉、大丈夫なのか?随分と顔色が悪いようなのだ…」
執務室で政務に励む王のために冷茶を用意する婉蓉の顔色は、劉輝の言葉通り青白かった。
連日の猛暑で、熱帯夜が続き不眠が続いたことが響いたのだろう。
今にも倒ればかりにふら付く彼女に、女人嫌いを豪語する絳攸ですらも心配そうな表情を向けている。
『大丈夫ですわ…』
必死に笑みを浮かべているが、やはり顔色は蒼いまま。
そっと茶器を差し出す所作も相変わらず美しく、彼女の仕事への誇りは凄まじいものと実感する。
けれど、今回ばかりはその誇りが彼女の体調を悪くさせるものだと本人は気付いていなかった。
(いけないわ、主上の御前だというに…)
「婉蓉ッ!」
フラリと彼女の身体が揺らいだ。
しっかりしなければ、と自身を叱咤するものの身体は言うことを利かない。
そのまま重力に身を任せるように、彼女の身体は倒れていった。
「婉蓉ッ、しっかりするのだ!」
「婉蓉殿!」
自身の名を呼ぶ声に、不安そうな表情を浮かべる劉輝に必死に手を伸ばそうとするものの腕が痺れて動かない。
傍らには、いつも表情をしかめている絳攸の姿。
女人嫌いな彼でさえも、心配そうに婉蓉を伺っている。
それどころか、彼女を抱き起こして腕に抱いていた。
心配しないで下さい、そう伝えたいのに出来ない。
身体が自由にならないことがこんなに心が痛むだなんて…安心させる言葉を告げたいのに出来ない。
結局、胃から込み上げて来るものを我慢することで精一杯だった。
まどろみに誘われるように、そのまま婉蓉の意識は真っ白な世界へと沈んでいった。
劉輝と絳攸の二人の叫び声は、彼女の耳に届くことはなかった。
「陶老師、婉蓉の容態はどうなのだッ!」
詰め寄るように老師の小さな身体を見下ろす。
怒りに身を任せることを滅多にしない彼の表情に、傍らに侍る侍医はオロオロと慌てている。
「なんだか秀麗殿の時よりもスゴイ剣幕だねぇ」
いつになく焦燥感漂う表情に、遅ればせながら到着した楸瑛は驚きながらも興味深そうに見つめている。
ちなみに絳攸はと言うと、以外にも冷静さを保っていた。
陶老師の診断が下るまでは、ソワソワと動き回っていたのだが、過労と告げられたとたんホッと大きく肩で息をし、今では王よりも王らしくどっしりと構えていた。
そして今現在は、過労だと診断を下した老師に対して未だ納得していない劉輝に、馬鹿かと言いたげな視線を向けていた。
「主上、女官長殿は五年前から一度も休みを取られてはいらっしゃいません
今回の事は、日頃の疲労が積もりに積もれた結果でございます」
老師の言葉に、何が言いたいのか劉輝にはすぐに理解できた。
彼女のが傍らにいてくれる事が唯一の救いであり安らぎだった。
だから何年も何年も宿下がりを請いに来た内侍長官の言葉を蹴ってきた。
そのツケが、とうとうこうして婉蓉の身体を過労で倒れるまでにしたのだ。
渋々ながらも、彼女の宿下がりを許す、と劉輝は告げた。
本当は傍にいてほしい
琵琶を弾いてほしい
いつも微笑んでいてほしい
彼女にして欲しいことは沢山あるけれど、自分の我が儘でこれ以上彼女を酷使することは出来ないと分かっている。
葛藤に苛まれながらも、双花を引き連れて執務室に戻った。
楸瑛が煎れてくれた茶にも一切手をつけずに、劉輝は待っていた。
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